栄村大震災

栄村大震災(さかえむらだいしんさい)とは、2011年3月12日午前3時59分に発生した、長野県と新潟県の県境を震源地とするマグニチュード6.7、震源の深さ8キロ、最大震度6強[1]という大地震と、その地震による災害のことである。
概要[編集]
栄村とは、長野県北部下水内郡に属する人口2300人あまりの小さな村である。長野県と新潟県との県境に位置し、主な産業といえば農業と林業しかなく、特筆すべき施設と言えばダムしかないような栄村に、2011年3月12日、震度6強の地震が発生する。この段階で、地方自治体としてはもはやどうしようもないレベルである。しかも、本震発生から1時間あまりのうちに、同じ震源域内で震度6弱の余震が2度繰り返される。これは、北信濃の鄙びた寒村に過ぎない栄村に、新潟県中越地震以来の近年まれにみる大災害が訪れたことを意味した。
そして、短時間にわたって繰り返された激しい揺れは栄村のインフラ設備に大きな被害をもたらし、多数の建造物を破壊。未明の大災害に栄村は大混乱に陥った。夜が明け、被災した状況が確認されるようになると、そこら中で栄村単独では対応しきれない大被害が続出しており、その結果、村民約2300人のうち2000人に避難指示が呼びかけられ、1700人あまりが実際に避難を行うことになる。
今回の震災は、まさに栄村始まって以来、むしろ縄文時代以降、この地域に人が住み始めてから最も巨大な災害となった。あわせて、長野県の歴史においても、近年、激甚災害にまで指定されるような震災が一度も観測されたことがないことを鑑みれば、いかにこの地震が緊急かつ多大な支援が必要な事例であるかが分かる。
しかし世の中は……。本当に世の中ってものは……。
以下のホームページにおいて、今回の大震災の詳細と被害状況、そして義捐金の振込み先、最新の情報が確認できる。
非道な気象庁[編集]
栄村において観測された震度6強の地震とは、近代日本において発生した多くの災害の中でも特筆すべき事象であることは間違いない。実際、2000年代に発生した震度6強を観測する地震(新潟県中越地震、新潟県中越沖地震、岩手・宮城内陸地震)などは、それぞれにおいて国が先頭に立って対応に当たらねばならないレベルの大災害であった。鳥取県西部地震は都合により例外とさせてもらう。しかも、今回の地震では、中越地震の際と同じように、震源域をほぼ同じとする震度6弱の余震が2回も発生。この段階で、どんなに災害に疎い人間でも、大変な事態であることは丸分かりである。にもかかわらず、気象庁ではこの事実をガン無視するかのごとく今回の長野県北部地域を中心にした大地震に、命名の規定外の規模であることにより、名前さえ付けなかった。そのため、実際に被災した栄村役場が震災後すぐに命名した栄大地震、もしくは栄村震災、栄村大震災という名前が、そのまま多くのメディアで使用されることになる。また、震源の位置が県境の微妙な場所にあったため、それこそ、新潟、長野両県、もしくは市町村単位で名称が異なるという、笑うに笑えない話が存在する。その全てで情報を共有しようとした際、一体どんぐれえひでえ話になるかは、想像にお任せする。
なお、栄村では震災直後からホームページ上で全国に向けての支援を要請。しかし。
……人口2300人程度の小さな村にできることなど、たかが知れている。
不運[編集]
栄村にとってはまことに運が悪いことに、今回の地震の前日である3月11日に日本の歴史に残る大災害、東日本大震災が発生していた。そのため、気象庁では当時、全ての労力を東北地方へと向けていたため、いきなり300キロも離れた栄村での烈震×3に、関係者は度肝を抜かれることになる。もっとも、それは多くの国民においても同じであり、今回の地震においてもっとも緊急地震速報を詳細に報道したNHKにおいても、最初の速報の際、震源が東北ではなく遠く離れた北信越にあったことにアナウンサーが驚く様が全国に放送されている。
けれども、いかんせん世界史に残る大災害である東北地方太平洋沖地震の翌日(ほぼ12時間後)に起こったことが、今回の栄村の行く末を決めることになる。栄村大震災の発生直後から、気象庁は即座にこの地震は東日本の大地震と関係あるものと勝手に疑い、北米プレートだのなんだのという理屈をこねくりまわして、栄村大震災を東北地方で発生した一連の地震と同じメカニズムで発生した地震であるというふんいきを醸し出す。その話をテレビが全国にぶちまけたと同時に、メカニズムが違い、直接の関係はないとこっそり発表。誰も聞いていない。その結果、個別に見るべきとんでもない大災害であるにも関わらず、なぜだか国の支援まるでなし、情報? 展望?それって日本語?というロクでもない状況が形成されることになる。
なんで仙台市から100キロ以上も離れた海底下での地震と、フォッサマグナの端に位置する栄村での地震が一緒の分類になるのやら。これはちょっとどころではなく、相当酷な話ではある。
前科[編集]
もっとも、このような判断を気象庁がするに至ったのは、日本の地震学界の特性によるものが強い。学界には、2004年に発生した新潟県中越地震と2007年に発生した新潟県中越沖地震とは、震源が同じ中越地方に存在したにも関わらずに、その関連性を頑なに認めなかったという前科があったりする。あわせて今回の地震についても気象庁は、中越地震の際の震源とほぼ変わらない場所に震源が存在しているにも関わらず、前述の2つの地震との関連性はまるで無視。気象庁からデータを受け継ぐ地震調査委員会も、あくまで今回の地震はそれまでの中越地方を震源とする多くの地震とは関係がないとの立場を崩していない。
まぁ、気持ちは分からなくもない。
今回の地震について、地元住民の見解はただ一つ。
中越地震の余波。
この大震災が発生するまで、この地域に住んでいる人間は、およそ6年にわたって中越地震の余震に苦しみ続けていたため、今回の地震がいきなり東北の大地震が関連している、もしくは他の地震とは関係がないなどといわれても、もはや体に染み付いた本能からして、すでにそんな話は信じられないのである。信じることができないのである。なお、今回の栄村大震災から3日後の3月15日、今度は静岡県東部を震源としたマグニチュード6.4の大地震が発生。静岡県富士宮市で震度6強を観測している。けれども、こちらもなぜだか東北の地震と同じカテゴリと認知させられた直後に、栄村と同様に直接の関連はないとひっそり発表。さらに、長年警戒されている東海地震との関連についても、気象庁は「まったくない」と断言。いや、まぁ、その、なんちゅうか、うん。
絶対おかしいやろ、それ。
なお、当地域では3月15日に国の支援ではなく長野県の支援で被災者への救援活動が本格化する。国?聞くな。悲しくなる。
ロクデナシのマスコミ[編集]
東京のボケクソカスマスコミどもは、まったく絵にならない、視聴率が取れない、中越地震と中越沖地震で語ることすら飽きたなどなど、まったく栄村を取り上げようとしなかった。そのため、被災早々に政府から激甚災害に認定され、実際に1500人を越える住民が避難所で生活したにも関わらずに、自前の中継車すらよこさないまま、東北地方沿岸部でどこのテレビ局でもまるで同じ内容の番組を制作する始末。どうやら彼らの頭の中には内陸部と独自性などという言葉は存在しないようである。結局、全国レベルのテレビ局で栄村の被害を本格的に取り上げたのは発生から3週間後の4月1日、フジテレビがようやく重い腰を上げてのことである。
どう考えても遅すぎ。
しかも、ものの見事に栄村の場所を間違って紹介。
すいません、最後、栄村の位置を説明しているときに長野県北部についている印がありますけれど、そこはどう見ても長野市です。いろんな意味でありがとうございました。
忘却[編集]
こういった話を積み重ねるまでもなく、3月12日以降、栄村は積み重なる東北からの情報の山の中、多くの国民から忘れ去られることになる。全域の停電、断水、国道の閉鎖、JRの不通、土石流の危険といった住民の生活を揺るがすような多大な被害を受けた栄村が、まるで何事もなかったかのように。
まぁ、たしかに、時期が悪かった点については否めない。けれど、それにしたって、震度7を記録した宮城県内陸部の栗原市も含めてガン無視されるってのは、頭がおかしい。絶対に頭がおかしい。しかし、各局はまるで競い合うように沿岸部一帯の映像、情報ばかりを一極集中。もっとも、今回に関しては、犠牲者の99パーセントまでが津波によるものだった、てのもあるんだが、被災者の50%以上は沿岸部から遠く離れた地域にもいた。
にも関わらず、常にインパクト重視、視聴率優先、東京都中心の報道が続くことになる。国民の求める、これからの展望と将来の希望、ついでに言えば各テレビ局ごとの連携といったものはまったく無い中で、情報は常に一方向で同内容。その結果、無駄に露出しまくった報道関係者の質が丸分かり。ボロ出しまくり。多くのテレビ局が公共性を意識しないことが判明する。そして、ついには震災に関する情報すら、原子力発電所の情報に食われていくことになる。
もしかして、公共性って、死語?
偏向[編集]
そんな矛盾あふれる東京のマスコミから置いてきぼりにされる中、遠く離れた栄村では、被災早々に住宅判定が行われ、村内800戸の住宅のうち、数件が全壊、2割強に危険判定が出され、3割が要注意と診断。さらに、多くの住宅で1階部の車庫が崩れて車を押しつぶし、避難場所への移動手段すら確保できない家庭も散見。このように、地震から数日の間は住民の生活を逼迫させるような話は事欠かず、何よりも村内にある水源16箇所のうち、14個所が枯れている可能性があるとの報告すらあった。
農村の危機である。
これは本当にシャレにならない。しかしながら、こんな話は、今そこにある悲劇に比べれば些細なことであると、マイクを持った渡り鳥ならぬ人でなしどもは勝手に判断。そして、東北地方沿岸部以外の地域に散らばる悲劇を、存在しないものとすることに全力を挙げて取り組み、最終的に震災から1週間後には、福島第一原子力発電所の前で、全てのテレビ局のアナウンサーと解説員が一様に押し黙り続けるまで報道の路線が固定。それをほとんどのテレビ局で3月末まで続けることになる。
……その結果、ラジオがいかに泣きたくなるほど素晴らしい媒体であるかが再認識される。
……各地の地方新聞がいかに生活に大切な情報を発信しているかも再認識される。
……被災地に向けて東京の買占め騒動を報道する大手マスコミがいかにバカであるかも再認識される。
Once Again, 大手マスコミがいかにバカであるかも再認識される。
さらに、被災者たちへの情報も、大手スポンサーが介在する安否確認情報手段などの説明はこれでもかこれでもかと大きく報道したのに対し、被災者の生活に直結する情報である、各地の道路の寸断状況や復旧に関する見通し、実際に回復して通行可能になった箇所などはまるで取り上げず、さらには被災者にとっては命の綱とも言える「臨時災害放送局」に指定されたラジオ局の周波数(メガヘルツ)などは、スポンサーのスの字すらかからないためか、まったく取り上げようとさえしなかった。その結果、高速道路、幹線道路の情報は共有されることなく、日本経済の血の流れ、流通は大きく混乱。実害として、支援物資の配給に大きな混乱をもたらす。
なお、栄村近辺のラジオ局については、臨時災害放送局の指定すら行われていない。
そのため、栄村村内ですら情報の伝達不足から来る必要物資の不足が発生。栄村を通る国道117号線がギリギリ通行可能だったにも関わらず、震災直後から栄村でもガソリンが逼迫、近隣市町村ですら給油制限が行われる。しかも、石油精製施設を管轄する国が何の指針も示さなかった結果、国道が通れる栄村ですら、このような状況が1ヶ月近く継続する。東北各県の被災地域については推して知るべし。
このように、明らかに国や自治体、住民が共有するべき情報が偏向されたことによる弊害は、今回の一連の大震災の中でもっとも顕著な人災であり、放送の危機である。
上に製作有れば、下に対策有り[編集]
このように、大手マスコミの情報収拾能力、及び情報提供能力のクソさ加減に業を煮やした政府が、ついに対策に動くことになる。4月6日、それまで政府が定期的に報告していた被災者向けの情報を、なんと、大手メディアを通さず、国から直接東北地方の主要地方紙17誌に被災者生活情報を掲載することが決定。住宅情報や被災者への支援に関する情報などが、主要新聞やテレビといった媒体を通すことなく、被災地へと発信されることになる。その内容は、被害の大きかった地域では避難所を対象とした壁新聞に、被害は軽くてもインターネットを使用できない地域では地方誌にといった形で、役割を明確にすることで、きめの細かい情報がようやく被災者の下へ届くようになる。
それまでの間、こういった情報がいったいどこのマスコミがどういった方法で被災者に情報を届けていたかについては、今後、検討が待たれる。てゆうか、大手ほどこういった情報を届けていない。なお、この情報伝達のシステムの大幅な改正の結果、ようやく国の支援の中でも最も重要な「情報が被災者に届けられる体制」が整うことになる。
それまで、情報がどう扱われていたかについては、本当に、今後の検討が待たれる。それぐらいにひどい。
ちなみに、震災に巻き込まれた宮城県の地方新聞、石巻日日新聞社は印刷設備が使えなくなったにも関わらず、震災の翌日からフェルトペンで壁新聞を作成。印刷機が復旧するまで6日間にわたって各避難所に情報を提供し続けた結果、ワシントン・ポストが震災時における報道の偉業として各国に紹介し、即座にアメリカの報道に関する博物館「ニュージアム」で実際に壁に貼られた新聞が永久保存されることになる。
今回の震災における最も意義のある報道として世界から賞賛されたこの話は、逆に、それ以外の報道がどんなレベルだったかを示すものである。
もちろん、東北各地の地方新聞もやはり多くの被災者に向けて、数々の有益な情報を提供し続け、被災者の目線にたった報道を行っている。ただし、こういった地方新聞が最も被災者から情報を得られる立場であり、なおかつ地域全体の情報を把握できる立場であったにも関わらず、なぜだか土地勘もクソも人脈もない東京のマスコミが現地まで出向いて勝手に独自に一地域の情報を入手。全体を把握せず、地図もロクに示さず、単に一箇所の避難所という立場で集めた情報を、全国へ向けて被災地の大変さとして発信するという、本当にクソろくでもない報道が繰り返されていく。
その情報が上まで届き、その避難所に物資が提供され、その結果、そこ以外の避難所がガン無視。
1つの県で数百もの避難所がある中、1箇所にスポットライトを当てるというのは、情報産業として最低の愚行である。
しかも、その一箇所の避難所の情報を得たことに対して、支援団体がその避難所に対して物資を用意するまでの間、相当なタイムラグが発生する。その間、何をしていたかと言うと、別の避難所の紹介。もしくは、被災地の光景の垂れ流し。その結果、どのような支援体制が構築されるかについては、今後の検討が待たれる。
検討しなかったら、次の災害時にまた同じ光景が繰り返される。
そもそも、大手マスコミの情報には、決定的に自治体との連携という、支援のために必要不可欠な視点が欠けていた。そして、一箇所への支援が用意される間も続々とその他の避難所に関する新情報が追加され続ければ、そらあ、自治体は疲弊し、それを助ける多くの支援団体もまた、まともな対応は難しくなっていく。
当たり前の話である。
あわせて、こういった大量の情報の取捨選択、精査が連続することに加えて既存の情報媒体である2ちゃんねるやツイッターなどもまた、頻発する大きな余震や原発の事故に振り回された結果、それぞれの情報媒体がそのままデマの温床と化し、さらには被災者を覆い隠す必要な情報すらかき消す騒音と化して大手情報産業を混乱させる。その結果、各避難所ごとに異なる必要最低限の物資、そしてそこからもたらされる情報、そして各避難所の情報を取りまとめることのできる情報産業までは、被災地で構築されていたにも関わらず、それらの情報を誰も上へ伝えない。伝えたとしても、連携もクソもない全国放送が突発的に動くのみ。
震災から1ヶ月間を経て、政府が被災者への情報発信および情報収拾媒体として大手情報産業を通さずに、直接被災者と地方新聞に向けて情報を発信したのは、確実に英断である。
なお、栄村の震災については、そういった大手情報産業の暗躍というものがなかった。採り上げることもなかった。そのおかげかどうかは不明であるものの、東北各県と比べればかなりの密度で各自治体と情報産業の連携が為され、復興に大きな役割を担ったことは確かである。けれども、だとしても、とは言っても…。とりあえず、全国の自治体職員、もしくは県の職員の方々、および地方新聞、ローカルニュースの皆さんに心底お願いしますとしか言いようがない。もし、次に起こる大規模災害の際に、国および県による最大の復興支援である情報経路の構築は、あなたたちだけが頼りです。
ちなみに、上記のような話については、逆にこうなることを予測していなかったほうが甘いという面もある。なぜなら、大手マスコミ全体のモラルはすでに地震よりも先に崩壊していたため、先を見据えた報道なんてものが出来なかったとしても、ある意味いたし方ない。ちなみに、震度7を観測した栗原市も死者はいなかった。しかし、地震の揺れでインフラや住宅がとてつもない被害を受けている。しかし、被災から2ヶ月を経過しただけなのに、5月末現在、栗原市に目を向ける人はいない。いや、ほとんどいない。
報道が始まり、報道が消えていく[編集]
震災から1ヶ月を経過した4月半ばを過ぎたあたりから、少しずつ、大手マスコミが栄村を取り上げる回数が増えていく。しかし、増えたはいいけれど栄村を「忘れられた被災地」扱いして、誰が・なぜ・どうして・忘れさられるような状況にしたのかまったく謎のままにするというのが、実に日本の大手マスコミらしくて仕方がない話である。しかも、栄村にとって最も大事な情報となる、農地の被害が分かるのは早くて雪解け後。復興については数年規模。そのため、今後も忘れることなく報道してもらわないと、栄村としては大変にまずい話である、にも関わらず、その後の報道はぼちぼち。本当に、思い出す程度にしか為されない。
しかし、もっとまずい兆候が始まっており、このように栄村を取り上げる回数が増えるにつれ、東北三県以外の被災地、茨城や青森、北海道、千葉といった太平洋沿岸地域や、栃木、秋田、山形といった強い揺れを観測した地域の話がとんと聞こえなくなってくる。それらの地域にも多くの被災した場所が存在するのに、そこからの情報を取りまとめることはほぼなくなっている。実際、震災から3ヶ月後には、それらの被災した地域なんてものは存在しないレベルで報道されなくなっている。
まぁ、予想通りといえばそれまでだけれど。
しかし、場所によってはシャレにならない話である。地方新聞の皆さん、ぜひ地元の国会議員の方々や知事に働きかけて、あの総理大臣にそれぞれの地方の被害を懇切丁寧に何度も何度も伝えてやってください。でないと、国民よりも先に、内閣が忘れます。内閣が忘れなくても、国民が忘れれば、内閣は手をつけません。素晴らしいコンビネーションです。特に、台風が直撃する前に港湾関係においては早急の働きかけ及び継続的な働きかけが必要だと思われます。
ちなみに、国民が忘れていたことを見逃さないで、ちゃんとフォローするような内閣だと思いますか?
さらに言えば、自分達がこれだけ耐えているんだから、お上がきっとなんとかしてくれると、信じて待つことのできる政府ですか?
こういった、忘れられたらシャレにならん話を掘り起こすのは、本来なら大手マスコミの仕事であるわけだけれど、彼らはまず栄村を忘れさせ、次に東北内陸部を無いものとし、そして今、東北三県以外の被災地域を消去しようとしています。
……情報って、なんなんでしょうね。
なお、別に大手マスコミが取り上げなくても、国会議員がしつこくしつこく国会の場で取り上げるだけで十分政府内での認知は可能です。栄村ですら、最終的に総理大臣の記憶に残ることができたわけですから。防衛大臣や元総理の息子、そして最終的に県知事の要請を経て、総理大臣の口から直接的なメッセージを得るのに、1ヶ月半かかりましたが。
……1ヵ月半で済んで、本当に幸運だったと天に感謝したい。
その後のことを思うと特に。
それで居て、マスコミたちは「東日本大震災」などという大げさな名前を、未だに使い続けている。東北3県の沿岸側だけを過剰に取り上げておいて、「東日本」などという広域地名を用いるなど理解に苦しみます。
血も涙もないウィキペディア[編集]
震度6強のゆれを観測したにも関わらず、激甚災害に指定されたにも関わらず、そして東北地方太平洋沖地震とは分けて考えたほうがいいレベルであるにも関わらず、日本語の誇る知の結晶ウィキペディアでは、この悲劇をガン無視。3月15日にウィキニュースに掲載された事象であるにも関わらず記事作成は行われなかった。ちなみに、東北地方太平洋沖地震の記事が作成されたのは、発生から11分後。そして、栄村の記事においても、地震発生直後に人命に関わる事件・事故に関するテンプレートが栄村の記事に貼られるも、その後、まったく音沙汰が無し。何もなし。ちなみに、実際に栄村で大地震が発生した直後に東北地方太平洋沖地震の記事にその内容が記載されるけれど、震源が遠く離れた栄村の大震災が、なぜか東北の地震と関連した余震の一部として取り扱われていた。
そのくせ、栄村の被害について、一っ言たりとも言及しないのがさすがのウィキペディアクオリティ。
さすがすぎて涙が出てくる。
アンサイクロペディアでは、そんな彼らの怠慢をここに告発すると同時に、栄村の記事への加筆、および地震の年表への加筆について、なぜだか右往左往するのが手に取るように分かるため、心優しいアンサイクロペディアンとして両記事の履歴を見守るものである。
なんて優しいアンサイクロペディア。アンサイクロペディア優しい。
ちぇっ。[編集]
なお、大変残念なようなそうでもないような、3月16日に無事ウィキペディアにおいて「長野県北部の地震」(のち「長野県北部地震」に改名)などという実もフタもないネーミングで記事が作成され地震の年表にも記載される。けれど、肝心の栄村の記事になんら手が加えられていないことについては、やはりさすがウィキペディアというところである。そして、長野県北部の地震の記事において、東北地方太平洋沖地震とは直接関係はないなどと気象庁の発表を書いている一方、東北の地震の記事内に今回の栄村大震災を余震の一部として記載し続けるのもまた、ウィキペディアクオリティである。
そして、3月18日に至極当然のように、長野県の北部の地震に対して削除依頼が出されてしてしまうのもウィキペディアクオリティ。削除議論が紛糾して右往左往するのもウィキペディアクオリティ。そして、いつのまにか東北の地震の記事の一部をわずかに改変し「誘発された可能性」などと称していつまでも栄村の地震を余震の項目に掲載し続けるのもウィキペディアクオリティ。ちなみに、削除依頼が出された理由が実に素晴らしく、気象庁が名前をつけていない、他の大地震に比べて被害が軽微、よってこの記事はウィキペディアにふさわしくないというのが大まかな理由である。
貴様ら、それでも人間か……って、そういえば、ウィキペディアンでしたね。ごめんなさい。
ついでに言えば、別に気象庁が名前をつけたわけでもない静岡県富士宮市の震度6強の地震に、ウィキペディアンが勝手に「静岡地震 (2011年)」(のち「静岡県東部地震」に改名)と名づけて記事を新規作成。これはつまり、ウィキペディアンたちの判断は、気象庁を凌駕することの証左である。そして、なんの臆面もなくまったく同内容の「静岡東部地震」すら作成。ちなみに、「栄村大震災」という名称は、公的機関である村役場のホームページで使用されている公式名称であるにも関わらず、3月末になるまでリダイレクトが作成されることはなかった。
本当に、さすがすぎて涙が出てくる。
そして、ついにというかなんというか、「長野県北部の地震」に遅れること1分。「静岡地震 (2011年)」にも削除依頼出される。理由もやっぱり、気象庁うんぬん、被害が軽微うんぬん。加えて、静岡東部地震も同内容の記事があるからという理由でうんぬんかんぬん。とりあえず、長野と静岡の両地域ともに被災者がおり、インフラにダメージがあり、震度6×3という記憶にも記録にも残すべき特別な事象であるにも関わらず、単に「自分たちのルールに則ってないから削除」。
しかもこの削除依頼をしたユーザー、「平成時代に入ってから、日本で最大震度6強以上の地震は数えるほどしか発生しておらず「特筆性が無い」とは、呆れるを通り越して失笑するほかない」と言う指摘に対しても「記事内で記載されているだけでも震度6以上の地震は数えるほどどころか数十回発生している」などとバカ丸出しの苦しい反論。こいついったいどんな神経してるの?と言いたくなる。
この利用者を通報した某IPユーザー様は耐えかねて投稿ブロック依頼。
akane700、ニューロン - Wikipedia:削除依頼/静岡地震 (2011年)などで、互いのトンデモ論をぶつけあって議論しているが、それはウィキペディアでやることではない。削除依頼の場でなぜお互いの学説をぶつけあっているのか全く理解できない。記事を削除するかどうか、その根拠は何かを議論すべき。にもかかわらず、お互いが、何の出典も示さぬまま独自の学説を主張しあっている。全くばかげた話であり、天災についての流言飛語の恐れすらある。何が目的なのかは不明だが、いい加減にスベキ。地震に関する主張であるにもかかわらず、検証可能な出典を伴わない主張、あるいはあえて曲解した主張を延々たれ流すなど言語道断。両者とも地震調査研究推進本部の報告の一節「今回の地震(=静岡地震・筆者注)はその影響(=東北地方太平洋沖地震の影響・筆者注)によって発生した可能性は否定できない」との論説を下敷きにしているようだが、2人も曲解して都合のいいように主張しておりもはや看過できない。--111.188.173.51 2011年3月18日 (金) 12:31 (UTC)
狂ってるって? いいえ、ウィキペディアンの日常風景です。
その後[編集]
なお、今回の削除依頼騒ぎに関して、削除依頼をしたユーザーはその後、ソックパペットを使用したとして無期限ブロックを食らっている。
あわせて、ウィキペディアでは今回の東日本大震災後に発生した一連の地震に関して、発生から4ヶ月目に新たに誘発地震なるページ及び項目を作成。余震ではない新しい地震のジャンルを作成することで、ようやく、震源から数百キロ離れた場所での余震という大きな矛盾、てゆうか明確な間違いを解消することに成功する。
せっかくなので、誘発地震とは余震とは異なると書いてあるウィキペディアの余震のページへのリンクも心の底からの嫌がらせとして貼り付ける。
我々は常識を持つウィキペディアンを強く支持する[編集]
最終的に、3月22日にようやく栄村の記事に今回の震災の記述が書かれることになる。3月26日には、「長野県北部の地震」から「長野県北部地震」への改名も行われ、あわせて、長野県、静岡県の地震の削除依頼についても提案者以外、満場一致で記事の存続が決定。
皆さん、騙されてはいけません。ウィキペディアンにも常識を持った人は大勢いるのです。
……それ以外? 聞くな。悲しくなる。
楽しいウィキペディア[編集]
3月26日、ウィキペディアにおいて新たな伝説が生まれる。なんと、ウィキペディアにおける長野県北部地震の記事に、なんとアンサイクロペディアの当該記事へのリンクが貼り付けられるという、まさに前代未聞、驚天動地、早めにやってきたエイプリルフール並みの衝撃的な事件が発生。
もちろん、即座に荒らし認定。リンクも解除。
ところがぎっちょん、大変残念なことに、ウィキペディアよりもアンサイクロペディアのほうがよっぽど内容がまともだったことで、話がややこしくなっていく。
そんな面白い話が巻き起こっているとは露知らず、その頃、アンサイクロペディアでは震災の被害を逐一書き込み、二次災害に関する注意も喚起し、復興支援に関する情報もふんだんに盛り込み、国やマスコミの動きを即座にネタにし、隣県やら過去の事例などもちまちまと取りまとめ続けていく。その結果、なぜかマスコミ各社がウィキペディアよりもアンサイクロペディアの方が正しいと判断。多くの報道記事がアンサイクロペディアから文章を引用することになる。
これはひどい。こんなひどいウィキペディアに対する嫌がらせは見たことがない。マスコミ各社はいったい何を考えてるんだ、と思っていたら、4月8日現在、ウィキペディアの当該記事は約6,500バイト。対するアンサイクロペディアは約70,000バイト。
……えー、うん、その、なんだ、マスコミの皆さん。すいませんでした(棒読み)。
そんな話が次々ともたらされたにも関わらず、4月に入ってもリンクを削除した勢力と少しでも情報を拡散したい勢力との争いは激化の一途をたどる。そして、いつもどおりの、長文すぎて読んでられない争いが始まり、最終的に、当該記事にリンクを貼り付けた張本人は2年間の投稿ブロック。ウィキペディアは最善の情報を拡散する場所であることを放棄しました。だってウィキペディアだもの。
なお、双方のプライバシーに配慮して、アンサイクロペディアではこの記事内においては該当ページへのリンクを差し控える。
実はバカだろ、ウィキペディア[編集]
3月12日に起こった今回の震災は、長野県の栄村に深刻な被害を及ぼすと同時に、新潟県側の津南町、十日町市にも多大な農業被害を引き起こしている。しかし、それ以外の地域への影響はごくごくわずか。特に長野県内の被害については、栄村と隣にある野沢温泉村にほぼ集中しており、改めて、今回の震災の特異性を際立たせている。
そして、そんな話にまったく取り合わないウィキペディアが、名前がついてないだのと無理難題を押し付けて記事を削除しようとしてからおよそ1ヶ月半。今度は、何の考えもなく今までの慣例で今回の地震を「長野県北部地震」と名づけたことが、次の混乱を引き起こすことになる。
4月26日、長野市長鷺沢正一氏は、定例の記者会見で今回の震災についてを発言。一般的に使われている名称が「長野県北部地震」となっているせいで、全然被害が無かった長野県北部のほかの市町村の観光業に深刻な影響が出ていることを示唆。各種報道機関に対して、改めて今回の地震の呼び名を「栄村地震」に変えてもらいたいとお願いする。これは、長野県北部の多くの町村の意見を代弁したものであり、県庁所在地の長としては致し方ない発言である。もっとも、それは栄村に地震に関する負のイメージ全てを押し付けるということでもある。ある意味、致し方ないとは言え、今回の発言の結果、県内外から鷺沢氏は多くのバッシングを受けることになる。
しかし、この発言がもたらした影響は大きい。何せ、その発言の意図を汲んだ報道機関は、大半が「長野県北部地震」という呼称を差し控え、「信越地震」や「栄村大震災」、「栄村で起きた地震」という形で記事を作成。何の考えもなくただ機械的に「長野県北部地震」という言葉を使うことが、いかに多くの人々に被害を及ぼすかを踏まえて、慎重な報道を行っている。
ただし、そういった気づかいなんてものがまったく存在していない某有名サイトが、全世界に向けて長野県北部が危ないというイメージを撒き散らし続ける。そして、記事名を変えるという議論すらしようとしない、風評被害について書きもしないのが、実に実にウィキペディアの素晴らしいところである。ちなみに、よく考えてみると、今までの慣例で記事名をつけていたというのだから、すなわち、今までも風評被害の根本的原因となっていた可能性が高い。
皆さん。日本語の知の現実を心に刻んでください。
なお、ウィキペディアが命名する以前、3月15日までにマスコミ各社において、これまた慣例どおりに「長野県北部地震」という呼称を記事で使用。その後も数週間に渡って新聞、テレビ、ラジオなどで報道している。実際、5月6日現在でも、Googleで「長野県北部地震」で検索すると120万件以上ものページがヒットする。しかし、4月26日以降、長野市長の発言の後は、長野県北部地震という言葉は、インターネットにはほとんど出現しなくなり、検索にヒットしても新潟県のローカルニュースぐらい。逆に言えば、ほぼ全てのマスコミがその呼び名を使い続けることが、いかに観光業に被害を及ぼすかを理解した結果でもある。彼らは、自分たちの影響力を重々理解している。
で、そんなことに気づかないウィキペディアだけが、突出してその名前を使用し続け、風評被害を撒き散らしまくる。なぜなら、ウィキペディアンってやつは、自分たちの喫緊の影響力について何も知らない。気づいてすらいない。そこで本日の格言「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」リピート・アフター・ミー
皆さん。日本語の痴の現実を心に刻んでください。
ただし、彼らが今までの慣例どおりに長野県北部で起きたから長野県北部地震でいいじゃないか、などと気軽に記事名を考えた結果、長野県北部の地震による被害を受けなかった市町村やそこに観光業を営む人々に迷惑をかけるのは、仕方のない部分もある。結局、事典は事典。情報を伝えるだけの存在である以上、取り扱いを間違えればこういった話が出てくるのは当然である。ただし、そのことと、実際に風評被害が懸念されてもなお何もしないことは別。本当に風評被害が出てすら、なーんもしないこととはまったく別。すべからく別。
皆さん。日本語の遅の現実を心に刻んでください。
長野県北部の定義[編集]
せっかくなので、アンサイクロペディアで「長野県北部」という名称がいかに風評の原因になるかを説明する。大変に優しい嫌がらせである。そもそも、今回の地震で最も大きな被害があったのは、長野県の北東部の北信地域と呼ばれる一部の区域だけであり、しかも、その区域の中でもごく一部、2つの村にしか各種施設やインフラに大きな被害はなかった。そのほかに、長野県北部という場所には、長野地域や大北地域といった、今回の地震でまったく被害を受けなかったエリアがごちゃまんと存在している。こんなとてつもなく大事なことを、あれだけ大勢いるウィキペディアンが一人残らず無視した点については、大いに恥じ入るべき話である。
もっとも、そんな感情を持っている気すらしない。だってウィキペディアってそういう宗教だから。
そして、翌月にゴールデンウィークなんて話があることは、きれいさっぱりすっかり見事に、誇るべき知的な脳内になかった可能性が高い。その間、長野県や新潟県の地方新聞では、こういった観光業に深く関わる地震の名称について試行錯誤を繰り返しており、一部のメディアでは新たな呼称として「信越地震」という言葉を使用。新潟では「新潟・長野県境地震」と、少しでも名前が及ぼす風評を抑えようと努力していたにも関わらず。
にも関わらず、そんな努力をあざ笑うかのように、慣例に従ってつけた名前が世の中に広まってどうなるかを無視したまま「長野県北部地震」という名称を使用し続け、野火のごとく長野県北部への風評被害を広げ、ついには長野市長がマスコミ各社に対して名称の使用を差し止めるようお願いしたにも関わらず、何事もなかったかのようにいつまでもいつまでもいつまでも。
……実はバカだろ、ウィキペディア。
……本当に、本っ当にバカだろ、ウィキペディア。
もっとも、この件については正式名称を定めなかった気象庁にも大きな責任がある。そして、風評を抑えるような名称を定めず、実際に風評被害が出てから初めて呼称について検討しだしたマスコミにも責任はある。そういった話を一切合財含めて、ウィキペディアが悪い。風評のことをまるで考えていない記事名を使用し続けるということは、それぐらいにひどい。
長野県北部に位置する長野地域及び大北地域の観光業の皆さん、風評被害に負けないでがんばってください。アンサイクロペディアからですが、皆さんのご活躍を応援します。あわせて、北信地域の観光業の皆さん、余震に負けず、夏以降、秋、冬、来年を見据えて今から少しずつ進んでいきましょう。地域の報道関係の皆さんと一緒にがんばれば、きっと以前の客足が戻るはずです。
そして何よりウィキペディアンの皆さん。これからもウィキペディアの慣例に従って、自分達で勝手に災害に名前をつけて世間に広め、風評被害でも何でも巻き起こしてください。大丈夫です。我々アンサイクロペディアンは、あなた方を大手マスコミ以上に、まったく自浄能力が存在していないとすでに見なしております。
アンサイクロペディアでは、今までの慣例に則り、黙って見ていることにします。
とりあえず、今回のことは、別段、自浄能力もクソもないアンサイクロペディアですらこう書かれても仕方がない話であることをご理解ください。
アンサイクロペディアは悪意に満ちている[編集]
6月30日、長野県松本市でマグニチュード5.4、震度5強を観測する地震が発生する。この地震は、長野県中部にある大断層、牛伏寺断層(ごふくじだんそう)の側にある知られていなかった断層が東日本大震災の影響でずれたことで引き起こされたとされ、地震の直後に公然と語られた「栄村の地震の影響で松本でも地震があったのではないか」という話は、即座に気象庁やら地震学会で否定されることになる。そもそも100キロ以上も離れていて、震源域も片方は信越国境沿いの断層群、もう片方は松本市を貫く牛伏寺断層では、なんぼなんでも違いすぎる。
しかしながら、なぜだかウィキペディアの長野県北部地震の記事に「本地震と同様に、東北地方太平洋沖地震に誘発された可能性がある」として項目が立てられるってのが、世の中の面白いところ。いや、まぁ、間違ってはいない。けれど、それを言うんなら静岡県富士宮市の震災も書かなければならないし、岐阜県の高山市で群発する地震についても書かないといけないわけで、さすがにそれは違う気がしないでもないと思いつつ、周辺の事情を調べると、違った意味で納得せざるを得ない理由が見つかってしまう。大変に分かりやすく説明すると、そうでもしないと文章として残せない。
もちろん、これは悪意に満ちたアンサイクロペディアの主観である。
実際のところ、松本市の地震は死者1名、重軽傷者15名、3200戸を越える建物への被害を出し、災害ボランティアも活動、国宝である松本城にも被害を及ぼしている。のだけれども、あの素晴らしきウィキペディアの積み重ねられたルールは、松本市の地震程度の軽微な被害と少ない震度、そして話にもならない被害額では、とてもじゃないが記事など立てられない、立てたとしても地震の規模だの気象庁が名前をつけていないだのというクソたわけた理由で、確実に消される雰囲気に満ち満ちている。なんせ、上記にもあるように、そういうルールに則って記事を消そうと動いた以上、今後もそう動く可能性が高い。
もちろん、そんな話は人でなしのアンサイクロペディアが適当にほざいているだけである。
しかし、ウィキペディアが見なす軽微な地震でウィキペディアの基準で少ない被害者が出て、ウィキペディアの中ではまったくもって話にもならない混乱であっても、それが発生した以上、なんとしてでも記録として残したい人々が出てくるのは当然。そして、そんな奇特な人が残していくのもまた歴史てえものである。その結果、震源が100キロも離れ、どう考えても直接的な関係は薄いはずの栄村の震災に無理やり絡めて記録したとしても、それは人として否定しがたい。ちなみに、すでに東北の地震被害の記事は地震被害の記録の泥沼と化しており、そこに書かれた地震被害の記録は記録に記録が埋没することになっているので、大変に素晴らしい判断である。
……まったくもって、ひでえ話である。
なお、7月3日現在、素晴らしきウィキペディアでは、今回の地震を松本市の記事に記載していない。東北地方太平洋沖地震の余震の記事には即座に記載したにも関わらず、元記事に関しては変更していない。ついでに言えば、震災後に東日本大震災の記事から個別に記事立てされた情報群において、いつの間にか内容の更新がなされなくなったものが心底嫌になるほど幾つも存在しており、「東日本大震災のテンプレート内」の記事の更新日時をチェックするだけで、いかにウィキペディアが笑えるサイトであるかが実感できる。違った意味で笑えるサイトであるかが実感できる。つまるところ、あまりにも巨大な事象を手広く受け入れすぎた結果、末端において崩壊が始まったってことだわな。だーれもなーんにも気にしてないっぽいけどさ。
もちろん、アンサイクロペディアはウィキペディアが何を欲しているか知っています。
もちろん、アンサイクロペディアは何の反応も示しません。
現実はウィキペディアの予想をはるかに超えて[編集]
松本市の地震からおよそ10ヵ月が経過した2012年4月12日、ついに松本市の地震がウィキペディアに掲載される。もっとも、2011年の8月の段階で「テンプレート:地震の年表」に項目は存在していたため、およそ8ヶ月の期間を経て正式な記事が書かれることになった、ということになる。
情報を残すために努力し続けた良識あるウィキペディアンに心から拍手を送りたい。
しかし、名称が「長野県中部地震」という段階で、いかにウィキペディアの震災に関する命名規則が狂っているか、風評被害の源であるかを明確に示すことになる。もっとも、今回は発生から10ヶ月近くを経過して、ひっそりとこっそりと記事にされたぐらいの話であるため、風評の及ぼす害についてはさほど気にすることはない。ただし、長野県中部ではあまりにも対象地域が広すぎであり、あわせて局所集中的な被害を及ぼしたことを鑑みれば、2011年6月30日の地震の名前は、地元で使用している「松本地震」のほうがより正確であるといえる。
そのため、1992年に新潟県津南町の上郷地区だけ震度5の揺れを観測し、それ以外の場所が全く揺れなかった局所地震、通称「上郷地震」も、ウィキペディアの毒牙にかかれば「新潟県南部地震」もしくは「中越地震 (1992年)」になる可能性が高い。このように、命名規則によって機械的につけられた記事名によって、多くの読者に誤まった印象を与える可能性について、いずれかならず彼らはドツボに落ちるものと、心優しいアンサイクロペディアンはにこやかに宣言するものである。
なお、この命名基準と、災害関連の記事作成の基準となる一定の数値が存在するせいで様々な群発地震を主な地震のテンプレートに入れることができず、そういう意味ではすでにドツボに落ちている。
- 長野県神城断層地震……落ちた。その結果、ようやくルールが改定されることになった。
素晴らしすぎる東京電力[編集]
なお、震度6強を観測した栄村を中心とした地域は、いわゆる信濃川(長野県では千曲川)を中心とした水力発電所のメッカとなっており、今回の地震でそれらの発電施設に大きなダメージがあったことは確実である。
しかしながら、それらの施設を管轄する東京電力はその事実を華麗にスルー。
ちなみに、今回の震災の3ヶ月前にあたる2010年12月には、栄村に東京電力としては実に48年ぶりとなる水力発電所「栃川発電所」が新たに完成。新規に運用を開始していたりもする。この施設は小さな沢に付随する小水力発電所ということなので、さほど被害等について言及する必要はないのだけれど、同村内に流れる中津川水系には、東京電力が管轄する渋沢ダムが存在していた。そして同水系には穴藤ダム(津南町)や野反ダム(群馬県中之条町)といったダム群が存在し、それぞれの地域でけっこう大きめな震度を観測している。
それ以外にも、東京電力が管理する施設として、栄村に隣接する飯山市と野沢温泉村にまたがる西大滝ダム、津南町にある鹿渡発電所などが存在し、地域内で立て続けに発生した震度5~6の地震に関して、何か一言でも発してもかまわない、むしろやらないとまずいだろソレというレベルなのだけれど、東京電力は3月13日に西大滝ダムに関して被害が無かったことをプレスリリースした以外、栄村大震災についての声明はまったく発表していない。
まぁ、福島の件がひどすぎるという話でもある。
さらに言えば、東京電力自体、千曲川周辺の地域内における悪名の高さが既に知れ渡っているため、多くの住民は「まぁ、そんなもんか」という感じでもある。
素晴らしき隠蔽能力[編集]
で、どんな悪さをしでかしたかと言うと、第一に渋沢ダムにおいてダムのデータを改鋳し、1998年にダムが凍って開かなくなったせいで、多量の雪解け水が水門を通らずにダムの上から溢れ出したなどという実に楽しい話をしっかりと隠蔽。8年後の2006年に何事も無かったかのように報告。第二に、2007年に発生した中越沖地震の際にモロバレした、原子力発電所が立地されてはいけない条件である断層の真上であったにも関わらずに柏崎刈羽原子力発電所を建設し、稼動、運営。そしてものの見事な大騒ぎした件。第三に、2009年には原発が震度6強の揺れの直撃を受けたにも関わらずに、数多くの故障についてを新潟県に対して未報告。それ以前にも様々な問題が発生していたことも、やっぱり未報告。それがものの見事に露呈した件は、ぶちきれた泉田裕彦新潟県知事が、即座に東電が申請していた原発の運転再開申請を延期するまでに事態が悪化。その結果、1997年に発電量世界一を記録した柏崎刈羽原子力発電所は、中越沖地震に被災して3年を経ても7つある原子炉の全てを稼動できず、ようやく2011年2月に4つ目の原子炉の稼動にこぎつけるという自業自得としか言えない状況に陥った。そして、運命の3月11日を迎え、東京電力の命運は尽きる。なおかつ、東京を中心にした関東地方一帯で計画停電を行わざるを得なくなるという、まさに電力会社にあるまじき体たらくを国民、および全世界に見せ付けることになる。まさに体たらく。
信じられるかい? これ、たった一つの民間企業のたった3年間の話なんだぜ?
その後、震災からおよそ3ヶ月がたった6月9日に、西大滝ダムから地下を通って津南町の鹿渡発電所へ水を送るための2本の送水管のうち1本が損傷していることが分かり、最大で約17万kwを誇る発電量がいつの間にか半分以下にまで落ち込んでいたことが明らかにされる。一応、地元に対して東電は4月17日に点検を行った際に発見、4月28日に津南町役場において工事の説明を行ったと説明。
もちろん、プレスリリースなんてものは行っていませんが、小さなことです。気にしないことにしましょう。
結局、町に大規模工事を行うことを報告するような話であったにも関わらず、東京電力はこの事実を華麗に秘匿。ただ、3月13日に西大滝ダムが地震で被害を受けなかったことが公式に発表されたにも関わらず、その後、まったくそれ以外の施設に関する情報が上がってこなかったため、かなり早めに送水管の損傷については把握していた可能性が高い。むしろ、なぜ管が壊れている可能性があったのに、震災直後から東京の電力不足を解消するために発電所をフル稼働させ続けたか、という話でもある。そして1ヶ月後にようやく点検して、壊れた箇所を発見するという話についても、どういう基準で調査が行われたか、まったく分からない。まぁ、分かってはいけないということは重々承知だけれど。
とりあえず総合的に鑑みれば、施設の被害よりも電力を重視する、その一言に尽きる。で、ありていに言えば施設の被害よりも金を重視していることが、これだけでも丸わかりなわけだが。
てゆうか、発電所に送られてくる水が、1本普通でもう1本泥水だったら、誰でも分かる話だと思うんだが。
で、そんな被害について町に報告した後も、2ヶ月ほどまったく話が表に出ないのが、実にまったく東京電力。しかし、壊れた以上直さなければならず、しかもそれが地下にある直径数メートルの巨大な送水管である以上、取り替えるためには大規模工事にならざるをえず、その結果、思いっきり報道各社にどんな施設のどんな被害かがばれるのもまた東京電力。嗚呼東京電力。
コンプライアンス?何ソレ?おいしいの?
素晴らしきスルー能力[編集]
このように、まさに素晴らしすぎる東京電力のあれやこれやについて、住民、関係者ともども怒りを通しこしてもはや苦笑するほかない。こういった企業体質の積み重ねが福島原発の大事故につながるわけだけれども、そこらへんについての東京電力のやらかし具合は、上述した内容を吟味して、各自で精査してください。
手に負えませんので。
あわせて、今回の大震災において、栄村を中心とした各種水力発電の施設の存在、および柏崎刈羽原子力発電所の送電線が、ものの見事に栄村の隣にある新潟県の津南町と十日町市を通過していることを鑑みると、どうも、東京電力に対する天罰に周辺市町村が巻き込まれた気がしてならない。
そんな東京電力に待ったをかけたのが、栄村の隣の隣にある飯山市。震災から4ヶ月を経過し、福島第一原発の事故をなんら省みることなく、柏崎刈羽原発周辺の自治体にしか情報を提供しない東電に対して、有事の際に各自治体が早急に対応できるようきめ細かい情報を提供するよう、長野県の自治体としていの一番に申し出る。実は柏崎の原発から半径50キロ以内に、多くの長野県の自治体も存在しており、すでに安全協定を結んだ新潟県の自治体は東電と一緒に勉強会まで開いているのに、県境の向こう側になんら一言も話しをつけていないってのが、実になんというか、らしいというか。で、そんな話を伝え聞いた多くの被災者が、自分達の声が届かない不安を感じ、これではまずいとばかりに県境を越えて申し出を行ったわけだけれど、そして早速、東電もその要求を本社に持ち帰るわけだけれど、いかんせん、東電である。東京電力である。
……なお、東北の自治体からの要望についても、大量に本社へ持ち帰っている。そう、持ち帰るだけなら東電でもできるわけで、そこから先、何が起こるかについてはもはや常人の感知出来る世界ではない。やるのが当然、対処して当たり前、そんなバカなことをするわけないじゃないかははは、などという展望は、常人のものである。
ちなみに、栄村近辺の自治体と東電の関係の話については、群馬県中之条町にある野反ダムにもやっぱりというかなんというか東京電力の不祥事が存在したけれど、いいかげん、書く方が嫌気が差したため、とりあえずあったことだけ報告するのみとしたい。
素晴らしき新潟県の災害対応能力[編集]
4月13日、そんな素晴らしき情報隠蔽能力とスルー能力を持つ東京電力の清水正孝社長が会見を行い、柏崎刈羽原子力発電所の停止している2号機、3号機、4号機のうち3号機の再開を目指すことを公表。耐震補強工事を行っており、2011年内の稼動を目指したいというメッセージを新潟県に送る。これは、夏本番までになんとしてでも電力不足を解消しなければならない電力会社としては当然の話である。
ただし、東京電力でなければ。
このような、ある意味面の皮の厚さを賞賛したくなるような話について、新潟県は事前に察知。すでに先手をうっている。なお、今回、3号機を再開するにあたりさし当たって必要なものは、柏崎市と新潟県の許可である。
この東電からの発表の1週間前、4月6日の段階で柏崎市はすでに「福島原発が終息して、国から原発の安全対策に関する抜本的な見直しの指針がなければムリ」というごく当たり前の話を表明している。そして新潟県の泉田知事も4月11日に原子力災害に関する新潟県としての防災計画の見直しに着手。福島原発の状況を判断しつつ、策定に当たることを表明。その翌日に、福島原発は国際評価基準で言うところのチェルノブイリ並を示すレベル7であることが国から発表され、その翌日に東京電力から原発の再開の申し出が出た。
何このタイミング。どうやら、異常なる新潟県の災害対応能力は人災についても事前に察知。即座に対応することが可能のようである。
ついでに言えば、すでに稼動している1号機と7号機については、今年度に定期点検が行われることになっており、8月末になれば両方とも止まる。というわけで、今回の3号機の運転再開に関するお願いについては、8月を見越しての東京電力からの観測気球の可能性が高いけれど、別に新潟県も鬼ではないし、柏崎市にしても東京電力から大きな利益を受けているため、もしかしたら、再開が許可され、定期点検も延期されるかもしれない。
もっとも、2009年5月11日に行われた柏崎刈羽原発7号機の再運転に際し反対派の市民をガン無視して「多くの市民は1日も早い運転再開を望んでいる」などと発言し、なおかつ「取り組みについての信頼は評価が向上している」などとも発言。その直後に、再開当日にも関わらず、冷却系のシステムに障害が発生したり、なおかつ漏電警報が鳴っていたことについては、その3日後に明らかになっていたりもする。そんな諸問題が続発する中で東京電力は堂々と新聞紙上において安全を最優先にしていると今の社長自らが宣言していたことを、多くの柏崎市民は覚えている。新潟県知事も覚えている。
「天網恢恢疎にして漏らさず」なんていう言葉が思い浮かんだけれど、どうしてだろう?
「自縄自縛」という言葉も思いついたけど、きっと偶然さ。ははは。
ある意味恐るべき被害[編集]
今回の震災は、幸いにもというかなんというかかんというか、中越地震&中越沖地震の際に繰り返された、人間があんまり住んでいない地域での大災害in雪国だった。そのため、震度6強という数字の割りに、まったくテレビ映えしない被害しかなく、さらに住民達もまたそれまでの震災に鍛えられていたせいか、普通だったら、全国どこでも目頭を押さえたくなる情報「住宅が崩れてきた土砂に押し流され、住民3人が行方不明」などという話でさえ、NHKで一報を流したわずか1時間あまりで地元住民により「全員救出」(十日町市松之山)。
さらに、国道が雪崩に埋まったという話があった!まずい、車が巻き込まれているかもしれない!と、思ったら崩れた場所がすでに雪崩の多発地帯だったので、国道のほとんどがトンネル状の構造物(スノーシェッド)で覆い済みで、結局1台も巻き込まれてなかった(津南町…動画)。
そして、数トンもの岩が道をふさいで集落が孤立…ただし、平成18年豪雪のとき、すでに孤立自体に慣れていることが全国にばれている秋山郷だったけど(栄村と津南町)&土砂崩れが発生して上にあった建物が川に崩れ落ちた…人が住んでない神社だったけど、一応住民は避難(松之山)と、まさに打たれ強いにもほどがあるとしか思えない話が満載である。結局、一番大きな人的被害としては新潟県上越市で95歳のお婆ちゃんが転んで足の骨を折る大怪我をした案件が、今回の大震災直後におけるもっとも悲しい出来事である。
これらは全て、考えうる全ての最悪を想定、予測し、準備し続けて、即座に対応した住民たちのおかげである。実際、住宅が土砂に押し流された十日町市松之山の集落では、中越地震の後に土砂災害を想定して、集落で投光機とロープを用意しており、それが見事に役立っている。
……東京電力?聞くな。悲しくなる。
んなこと[編集]
今回の地震直後の段階で、全国に放送された栄村の光景は、唯一の鉄道網であるJR飯山線の路肩が3箇所にわたって崩落。線路が宙吊りになっている程度の映像しかなかった。後は被災者のインタビュー、しかも壁が壊れた、風呂が壊れたレベルの話だけでお茶を濁されてしまった。そして何よりもこの大災害の影を薄くしたのが、震度6を食らった地域において死者どころか、重傷者なし。本震で栄村で震度6強1回、津南町と十日町市震度6弱を観測し、その後2回の余震で、栄村で震度6弱×2を観測したにも関わらず、重傷者なし。
これはすなわち、視聴率上げたいから、助けをよこしてもらいたかったら生け贄を差し出せという、ドグサレマスコミどもの無言の要求を拒絶したことになり、拒絶した以上、東京を中心とするメディアからガン無視されても仕方がないのかもしれない。
……んなことはない。んなことが許されてたまるか。
第一、震度6×3があった地域で死者、重傷者ともに0という素晴らしいことをなぜマスコミは書かなかったんですか?
もちろん、儲けがないから。 (訂正 間接的ではあるが死者は3名います。重傷者は聞いてませんが……。)
もっとも、禍福はあざなえる縄の如しという格言のとおり、一応地震で被災したということなので、その後、新潟側にある津南町と十日町市は東日本の電力不足を解消するために各地で行われることになった計画停電対象地域からは除外されることになる。そのため、多くの住民がこのクソ寒い中で暖房が使えない悪夢を回避することができたと喜んだのもつかの間、一度も停電が行われなかったのことについては、気にしてはいけない。
そして、ちょうどその頃、村内の主要道路も軒並みやられた栄村は、ガソリン不足に苦しんでいた。でも、まぁ、なんちゅうか、うん、まだなんとかなる。というのも、こんな仕打ちは平成18年豪雪の際、全国からテレビ局が殺到しニュースでもワイドショーでも冒頭に取り上げられて、あぁ、これで全国から多くの支援を受けられると思って住民一同ほっとしていたら、その直後に起こったライブドアショックに全部持っていかれ、その後、何事もなかったかのようにガン無視されたときに比べたらなんともない。
豪雪地帯というものは[編集]
ついでに言えば、2011年1月の豪雪の際にマスコミが大騒ぎした新潟県と福島県の県境、新潟県魚沼市の入広瀬地区の話についても、雪国では1月末から2月にかけて4mの積雪は当たり前であり、今年はちょっと多いかな、はははぐらいの話でしかない。実際、なんでマスコミが悲惨な風景ヅラして住民にインタビューしているのか、少なくとも、豪雪地帯と呼ばれる地域に住む多くの国民にはよく分からないレベルだった。あわせて、平成18年豪雪の際のマスコミ被害者たちからは彼らがこっちに来なくてよかったと言われていたりもする。来たら、スキーや温泉を中心とした観光業に影響が出るためである。幹線道路が止まらなければ、スキーも温泉も普通に楽しめる以上、単に雪が多いだけで騒ぐのは正直、ワケガワカラナイ。ついでに言えば、積雪量で言うなら、スキー場でにぎわう湯沢町だって同じようなものである。
しかしながら、マスコミの特性「他に何かがあると、すぐに忘れてどっかに行く」ことをすでに熟知していた地域に、震度6強が襲い掛かってくるのが、実に皮肉というか、悲愴な話である。
結局、栄村ではマスコミが大好きな人命に関わる被害はなくとも、国道、送電網、水道といったインフラ設備、住宅へのダメージは計り知れないものがあり、地域にあるおよそ2割の住宅で、大きな余震が発生すれば崩壊の恐れがあるとの報告も出ていた。そして、何よりも栄村の基幹産業である農業、特に田畑へのダメージは大きく、6月半ばの段階で、全体の60%の田んぼでしか稲の作付けを行えないという、かなり厳しい話が出ている。もちろん、梅雨前線の活動による土砂崩れの危険や、多くの箇所で通行不能となっている林道の整備、何よりも今回の震災がもたらす風評被害など、今後も村民の生活を脅かす話に事欠くようなことはない。確実にない。
たまらない。
ただし、よく考えてみると1時間のうちに震度6を3回食らってなお、このレベルで済んでいるという話でもある。それは認める。けれど、多くの住民が自宅の倒壊や今後の生活再建、集落の存続を不安視していることも確かであり、それらの多くの問題において、住民や自治体が難しい判断を迫られていることも確かである。
もちろん、こういった話は東北の被災地でも、今後、確実に発生するであろう各地の災害においても、確実に散見される話である。残念ながら、答えなんざない。あるわけない。ただ、県境を越えた先、だいぶ先に、中越地震において大きな被害を受けつつも、地域を揚げて復興に取り組んだ山古志村(現、長岡市山古志)が存在したことは、栄村にとって大きな救いとなっている。
死ぬよりも忘れられるほうが悲しい[編集]
中でも特に危険性が高いのが、村内を流れる中条川の上流で発生した大規模な土砂崩れで、震災から3ヶ月を経過しても本格的な工事には入れないまま、一つの沢を土砂と雪が埋めて天然の池ができている状況になっており、梅雨入りとともに大規模な土石流の発生が懸念されている。この案件については、確実に村レベル、県レベルの対応は難しい。
そのため、中条川の土石流対策として長野県は土石流センサーやサイレンの設置をし、巨大な土嚢を配置。24時間の警戒態勢に入る。そして5月27日、気象庁より長野県の梅雨入りが発表され、実際に避難指示が発せられるなど、より一層の警戒が必要になるなど、震災後の二次災害を防ぐために、様々な取り組みが行われる。こういった話は、梅雨明け後も台風や秋雨前線といった大きな降雨量が予測されるたびごとに繰り返される話であり、けっして無視してはいけない話である。
……報道の自由?聞くな、悲しくなる。
そして大規模崩落から4ヶ月、7月11日についに中条川下流域の住民に対する避難勧告が解除される。ただし、二次災害の恐れがなくなったわけではなく、震災から4ヶ月を経てようやく雪が混じった土砂が安定して、川をせき止めた土砂を取り除く工事も順調に進んだ結果、今後も随時監視することを条件にようやく住民に対する勧告の解除が行われたという話であるため、今後も天候によっては十分気をつけていかなければいけない。
それ以外にも、6月半ばになってもいまだに農地や商業施設の被害額は確定されておらず、住民の帰村のために不可欠な公営住宅の建設や生業を失った人々への保障といった様々な難題がこれからも続々と出てくる。そのため、なんとしてでも、この被害を忘れてはいけない。忘れさせてはいけない。あわせて、このような話をするとき、地方新聞やローカルニュース、さらには個人ブログといった情報源及び関係者の方々へは、感謝をしてもしきれない。
なぜなら、忘却というものを防ぐためには、少しずつでも情報を発信し続けることが有効になるから。
……大手マスコミ?聞くな。彼らは人々から悲劇の記憶を忘れさせるために存在している。
その昔、どこぞの女流詩人で芸術家のマリー・ローランサンが言ったように「死んだ女よりも悲しいのは、忘れられた女」ではないけれど、はっきり言ってこのレベルの災害が、些事としてまともに取り扱われないなんて話になってしまうと、色んな意味で目も当てられない。
今回の地震は、人間の恐ろしさが垣間見えた。マスゴミの非情さ、金にならないなら、すぐどっか行く。彼らの存在する意義をもう一度考えてみては如何だろうか
ぜひともがんばって欲しい支援[編集]
この大災害に関して、各地で支援の輪が広がっている。
栄村の姉妹都市である東京都武蔵村山市では、ホームページ内に栄村への支援を呼びかけるページが存在し、東日本太平洋沖地震の被災者への義捐金の受付と同時に、栄村にも支援を呼びかけている。また、長野県庁のホームページ、長野県の木曽町役場、須坂市の商工会などで栄村大震災への義捐金を呼びかけ、県内に10ヶ所ある合同庁舎内(県の地方事務所)にも募金箱を設置している。さらに、長野県松本市を本拠地とするサッカーチーム「松本山雅FC」(当時JFL所属・2015年現在J1所属)からも、被災直後に長野県を通じて義捐金を送付するとのメッセージを発表。早速、4月3日に松本市においてFC東京とのチャリティマッチを開催している。
そして4月9日には、負けじとばかりに、松本山雅FCの不倶戴天の敵、永遠のライバルであり、同じJFLに所属(2015年現在、J3所属)、さらに同じ県内である長野市を本拠地とするAC長野パルセイロが栄村の小学生30人を同じくJFLに所属するアルテ高崎とのチャリティマッチに招待。この件について、心の底からなっかっよっく、けんかしなという言葉を思いついた人間がいたとしても、それを攻めることは誰もできない。あわせて、両チームによる被災者への暖かい支援に対して心から拍手を送りたい。
他にも、以前から栄村で活動していたNPO法人「栄村ネットワーク」でも、3月17日からホームページ上で義捐金のお願いとボランティア支援のお願いを呼びかけており、実際に多くのボランティアが栄村で活動を行っている(詳細はホームページ上で確認ください。あわせて、長野市の位置に栄村の印をつけたフジテレビの映像もこちらで確認できます。14分過ぎの映像にご注目ください)。
また、インターネットにおいても、栄村のスキー場や温泉、秋山郷のファンの方々の多くがその窮状をネットで紹介。栄村にあるJA宛の口座の名義とその番号を記載。義捐金の振込みをお願いしている。
……ただし、3月15日の初版投稿直後から検索を開始し、その後も栄村の地震について情報を求め続けても、震災から5日を経過した3月17日の時点で、もはや笑うしかないレベルでGoogleの検索結果に引っかからなかったことは秘密だ。長野県の他市町村が栄村の件についての公式発表をしていなかったことも秘密だ。安曇野市にいたっては、検索ワード「栄村 義援金」に引っかかっても、作成されたページが削除されていたことについては、絶対に秘密だ。
……その後、確認したところ3月22日に安曇野市のホームページ内にちゃんと栄村に対する義捐金の受付ページが出来ていました。関係者の皆さん、ネタにしてスイマセンでした。あわせて、同じ長野県内の麻績村役場、阿智村役場、横浜市栄区役所、信州プロレスリング会場などで、栄村大震災の募金を執り行っています(ちなみに、麻績村は「おみむら」と読みます)。
その後、関係者間の努力により、ようやく大口振込み先である日本郵政4社(郵便局・日本郵便・ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険)のホームページにて「東北地方太平洋沖地震、長野県北部を震源とする地震により被災された皆さま、ご家族、関係の皆さまに心からお見舞い申し上げます。(後略)」と記述されることになる。ようやく、多くの人々に周知されたと思いたいところではあるが、その後、4月1日より徐々に大手マスコミが栄村を取り上げ初めていく中、絶対必ず確実に「忘れられた被災地」扱いしていた件については、もはやいかんともしがたい。忘れさせたのはどこの誰だ。なお、上記の後略の部分には、日本郵政における今後の対応が綴られており、それだけでも十分にありがたい話である。なぜなら、3月26日以降、栄村は忘れられた存在にならないことを如実に示してくれているためである。
そして、うん、その、静岡県富士宮市もね、大きな被害がなかったとはいえ、地震の被害で半壊したいくつもの建物が取り壊された以上、絶対に忘れちゃいけないと思うんだな、うん。
結局のところ、3月26日の段階でGoogleで「栄村 義援金」で検索して出てくるページの中で、北信州みゆき農協の口座(実際の栄村大震災の義捐金口座)に引っかかったページを除外し、それ以外の募金箱を設置した市町村、団体の数を見るにつけ、いかにこの大震災が国民の目から遠ざかっていたか、隠されていたかがよく分かる。しょうがない話だけれど、全て、東北の地震とかぶったことが悪い。いや、東北と比べればめちゃくちゃ運がいい。けれど、やっぱりよく考えてみると運が悪い気がしなくもない。
義捐金は怖い[編集]
そんな話をしていたのが3月末。しかし、いつの間にか、栄村大震災がGoogleで検索すると50万件を越える化け物コンテンツに成長。忘れられていた村が、いつの間にか忘れてはいけない村になっていた。
その件については、このページを確認ください。
これは、奇跡とも言う。そして、今回集まった多額の義捐金は、4月初めにまず3000万円を被災者に配布。その後、5月31日に2回目の配布の計画が策定され、その残りについても、いずれ被災状況に応じて配布する旨を村長自ら発信している。これは、東北地方全体で1千6百億円の義捐金が集まったけれど、各県ごとにどう割り振ればいいかが議論になり配分が先に進まないなんて話がある中、栄村ではピンポイントかつスピーディーに義捐金を割り振ったと言える。これは、人口が少なくて変な利権が絡まないからこそできるという話でもある。
……まぁ、そんなに上手くはいかないけれどもさ。
というのも、今後確実に確実に確実に出てくる住民、もしくは集落の要望である田畑の修理や農道の復旧、水路の修繕といったものに対して、村がどう動くか。そもそも、農地の補修に義捐金を使えるのか。そして、集落ごとの配分はどうなるのか。こういった要望に関する話は、中越地震でも中越沖地震でもそのほかの災害でもよーーく見られた光景である。
もめるものはどうしたってもめる。
どうしようもない話である。とりあえず、惑わされてはいけない。と、言うしかない。事前に言っておかないといけないこととして、過去の大災害において、「義捐金が農地の復旧に使われたような話はない」。集落への配布として配分された事例があるぐらいである。というのも、基本的に義捐金は被災者に対するお金であり、村が自由に使っていいお金ではない。まぁ、当たり前である。しかし、4月末までに積雪がまず溶けない栄村で、山の上の上まで存在する農地の雪解け後に被害を確認して被害金額を産出、それに対する支援を国や県に要望して、最終的に復旧のための支援をもらうなんて作業を待っていたら、とてもじゃないけれども、田植えに間に合わない。そのため、さっさと直せる部分を村民の手で直したいという話が出てくる。そして、そういった話に関しては、ものすっごく、義捐金という存在がありがたいように見える。
見える。もちろん、使い道については、栄村役場がしっかりと判断する。担当者にとって相当胃が痛くなる話である。
けれども、実際問題として、国がすでに災害の復興のための財源たりませーん&だから国からの支援はどうなるか分かりませーん、とかいう実話よりも、義捐金の話のほうがよっぽど希望が持てるというのが、素晴らしくも、悲しい話である。なお、冗談抜きで、農地に関する話については、農民は命を賭ける。長野県の職員の方々と、村役場の方々の柔軟な対応を祈るものである。
いや、マジで。
なお、今回の義捐金に関しまして、なんら縁もゆかりもないアンサイクロペディアからですが、寄付された皆様に深く感謝の言葉を申し上げたいと思います。
↑大手マスコミとウィキペディアが絶対に使わない言葉
寄付金[編集]
そして、7月20日を迎えた段階で、なんと栄村には9245件、約7億6千万円もの義捐金が集まり、その結果、村の1年間の予算の3分の1近くもの大金がうんぬんかんぬんごにょごにょごにょごにょ。ぜひとも、長野県、もしくは国のほうから明確な義捐金の配分についての指針を示してもらいたいものである。
実際、あくまでも自分の家の損壊が判断基準であるため、住民登録をしていなかったり、公営住宅に住んでいた方への支援が明確になっていない部分があったりと、一村ではとても手が回らない事例が数多く出ている。そのため、なんとしてでも、数多くの事例を取りまとめているはずの国からの指針が必要である。
で、どうしてこんなことを書くかというと、まったく取りまとめている気がしないからである。
各地の自治体職員の皆さん。どうか気持ちを切らさずに怖い怖い義捐金の配分を取りまとめください。すっげえ嫌なお願いだってことは、書いてるほうもよーく理解しています。けれども、こちらも国に期待するほどバカではないのです。
なお、栄村では、住民に対する義捐金のほか、ふるさと納税制度を利用した寄付金が募集されていて、村による各種復興事業への財源として寄付することもできる。こちらは、7月4日の段階で175件、およそ2720万円が収められており、以下のページで受付が行われている。
心底アホだと思わざるをえない選挙戦[編集]
そんなこんなで、ようやく栄村にも復興の目処が見え始め、3月21日には避難指示が解除され、ようやく一つの山を越えたと思った直後の24日、なんと、民主党連立政府が、4月に行われる統一地方選の第二次延期自治体を発表する。3月11日の地震と津波で大きなダメージを受けた自治体は早くから選挙の延期を申し出ており、実際、茨城県鹿嶋市や千葉県浦安市といった知名度の高い自治体は被災直後から総務省に選挙の延期を働きかけていた。このような非常事態においては、多くの国民も選挙なんてできるわけがないと理解しており、地震や津波で大きなダメージを負った太平洋沿岸の自治体は選挙の延期は確実だと誰もが思っていた。
そんなことはなかった。
まったく、なかった。
アホ[編集]
なんと、民主党政府は何をどう判断したのか、統一地方選挙において選挙の延期を行う自治体を福島、宮城、岩手の三県に限定。もちろん、栄村の名前なんてかけら一つにおいても存在しなかった。その結果、栄村が存在する下水内郡と飯山市において第17回統一地方選挙の長野県議選(2011年4月1日告示、4月10日投票)が実施されることが決定。確定。あわせて、第二次延期発表において、津波で被災した北海道、青森、茨城、千葉県の太平洋に面した自治体、及び栄村と同じく震度6強を観測する地震に見舞われた静岡県富士宮市でも、選挙が行われることが確定。
よっしゃ、それはすなわち、栄村において、自らも大震災の被災者であるにも関わらず、必死になって復興に取り組む村役場の職員に住民に対する選挙の周知と選挙の準備を行わせ、震度6の地震を3回も食らって未だに自分の家に戻ることもできずにいる村民に自分たちが所属する組織への応援を行わせ、そして、今回の震災で選挙の際に投票所となる公民館が全壊や半壊して使用不能になっているにも関わらず、1ヶ月も経たないうちになんとかしろ、全て放り出して参加しろ、ついでに投票所が避難場所に認定されてる場合は、選挙を優先させて避難住民はいつ壊れるか分からない自宅に追い返せてえことですか。そうですか。
アホ。
バカだろ。なぁ、バカだろ。おい。
ちなみに、そんな民主党のスローガン曰く「国民の生活が第一」
ドアホ。
なお、統一地方選が行われる直前の4月7日、そんな楽しい実に楽しい本当に楽しい総務省に栄村村長が訪れて、国に対してじきじきに支援を要請している。それに対し、総務省も東北の地震と同じ対応を取ると語っている。もちろん、東北の地震に関して、総務省が何の権限を持っているかは、誰も知らないけれど、とりあえず、関係省庁と連携を取ると語っている。
関係者が直接赴いてようやく言質をとる段階で、確実に忘れていた気がしてならないけれど、そんなことはない。きっとない。
ついでに言えば、激甚災害法が適用された段階で、一言、総理大臣が付け加えれば済む話でもある。
栄村の復興に関して、本当に力強い支援を得られた気がしてならない。
楽しい選挙戦[編集]
そんなこんなで、どうも、政府や大手マスコミにとっては、栄村や東北地方内陸部を含めた数多くの被災地域は日本国には存在していない場所なのかもしれない可能性が高くなったことが判明したことで、津波や液状化現象で大きな被害を受けた北海道、青森県、茨城県、千葉県などの多くの自治体関係者は悪夢のような選挙戦を行わなければならなくなった。そのため、彼らが一体どこの政党の候補者に入れるのかは、正直判断が難しい。本当に難しい。ほんとーにむずかしーなァあああああああ。
このように、無常にも復興に対する足かせとしか思えない猶予期間もない選挙戦を押し付けられることに各県がそうであるように、今回の選挙戦において、各地の民主党候補を一撃で飛散消滅させる「津波に液状化の被害を食らったのに国政から無視されて、おまけに無理やりに選挙までやらされる自治体」というでかい爆弾がすでに出来上がっている。
……もはや、全国レベルどころか、今後数年間の選挙戦において民主党候補を攻撃できる題材な気もするけれど、アンサイクロペディアでは、民主党は無能ではなくドMであるわずかな可能性を信じて、黙ってみていることにする。
そして3月27日、粛々と政令都市に対する告示が決行。粛々と、4月1日に行われる長野県議会議員選挙の告示についても、立候補者の事前審査が始まる。もはや誰もこの選挙戦を押しとどめることなど出来ない。そのくせ、延期した自治体に関しては、再延期の可能性もあるという話が翌28日の段階で出ているのが民主党クオリティ。29日になって、県政とは関係ない、水戸市長選と市議選を災害によって投票施設が使えないという理由で延期するのも民主党クオリティ。そのくせ、茨城県のほかの2市については実施は可能であると判断するのも民主党クオリティ。結局、被災直後から選挙の延期を訴えていた茨城県の鹿嶋市、行方市では、市民も自治体職員も、選挙戦に立候補を予定している候補者すら選挙戦について反対している中で実施されることになる。
地域の復興にかける皆さんのご尽力を思うと、本当に心が痛んで止まない。
爆弾が落っこちる時[編集]
このように、自らの立候補によって地域が疲弊する状況の中では、被災地域において立候補がためらわれるのもいたし方の無い話である。4月1日、最終的に栄村を有する飯山市・下水内郡における長野県議会議員選挙は、立候補者が1名に留まった結果、無投票での当選が確定する。「震度6の地震を3回も食らったのに国政から無視されて、おまけに無理やりに選挙までやらされる栄村」という爆弾が出来上がることはなかった。
今回、大規模災害に被災し復興に全力を傾けざるをえない状況の中、立候補を見送った皆さんへ感謝の言葉を申し上げたい。
ちなみに、栄村以上に有名どころである千葉県浦安市では、大規模な液状化現象のため、多くの市民が投票所となる体育館に避難。そのため、市長が早くから選挙延期を申し出ていたが、総務大臣はこの要請をガン無視。その結果、関東地方全体に、「避難所の住民を無理やりに追い出して選挙戦を行えという民主党とそれに抵抗する浦安市」という、どう見ても致命傷、むしろ致命傷で済めば御の字レベルの爆弾が出来上がっている。何が御の字かは分からないけれど、どう考えてもそれ以上のダメージは確実である。
前半戦終了[編集]
選挙戦の結果は特に気にしない。こうならないと思わないほうがおかしい。そして、浦安市の県議会議員は存在しなくなることが決定。誰も何も文句も言えない。
国民の生活が第一。民主党です。
しかし、第0があることが確定の民主党について、各界から様々な意見が出される。何よりも、選挙当日の東京都知事選当選者インタビューがケッサクで、NHKにおいて東京都知事に4選を果たした石原慎太郎が、民主党政府を生中継でボッコボコに非難するという、選挙放送ならではの楽しい映像が日本中にぶちまけられる。
国民の生活が第一。民主党です。
その際に、いかに政府が動かないかという話になり、役人を現場にやらないのが悪い、官僚を現場にやって政務次官会議をやればいい、そうしないから今、各省庁が政府からソッポを向いてるなどといいたい放題。結局のところ、震災復興の停滞感の大本はそこにある。そもそも、菅内閣を影で支えると自負する副大臣が、総理が参加する会議に参加したにも関わらず、メインメンバーになれなかったと公言する段階で、いかに内閣がソッポを向いているか、という話である。
国民?被災者?いいえ、国民の生活が第一の民主党を、内閣関係者がガン無視しているという話です。
もちろん、この件を反省し、4月末の統一地方選挙の後半戦に向けて、政府が一気に仕組みを変えることもありえなくは無い。仕組みを変えずに選挙戦に突入し、惨敗、それでもなお仕組みを変えることなく震災復興を停滞させる可能性のほうが、単勝元返し、1.0倍レベルで高いわけだけれども。
停滞感とため息は比例する。これはどうしようもない事実である。
自分達が第0。民主党です。
なお、粛々と選挙戦をボイコットした浦安市は、開票から5日後の4月15日に避難所を閉鎖する。この重大な選挙違反に対して、国は特に何も言わなかった。その後、市は再度日程を調整、5月13日に県議会議員選挙を選挙を告示、同22日に開票を行う旨を発表する。なお、同選挙区には民主党所属の県議会議員が立候補を予定しているため、さぞかし選挙戦は激烈なものとなると思われる。
国民の生活が第一。総務省「そんなことはない」。
未来[編集]
そして、またしても。またしても運命の4月20日。
震災から1ヶ月を経過し、原発以外の話で、そろそろいいかげんこれから先を見据えて行動をし始めなければいけないにもかかわらず、菅内閣、復興基本法をゴールデンウィーク明け、5月第2週成立に向けて調整するなどというクソたわけた話を発表。この瞬間、4月24日に行われる統一地方選挙後半戦に立候補した、全国各地の民主党候補の皆さんの支持率が10%以上下がったことは明白。国を変えよう、地域をより良くしようと政権与党側で立ち上がった皆さん、ご愁傷様です。あなた方のことを、トップはすでに見捨てています。あわせて、被災地で、仮設住宅建設を待つ皆さん。覚悟ください。ヤツラに期待するだけ無駄です。県と地域、何より、自分の力を信じましょう。そして、震災で大きな損害を受けた企業の皆さん。特に、企業における労働組合の皆さん。未来、見えますか?
なお、民主党員の皆さんにお早めにお伝えしなければならない話として、2013年に自民党が再び政権を奪取することはすでに確定事項として、いかに死屍累々たる民主党議員の墓場から、ゾンビを切り捨てて次の連中を探し出すかが重要になります。まずムリでしょうが、今のうちからお考えください。また、ごくごくわずかに残った少数議員たちが、いかにしてその後を生きていくかが、これからの大きな課題になります。ぜひとも、先延ばしせず、逃げず、責任をもって、ちゃんとしっかり考えましょう。こういったことは、民主党みたいな考え方をしちゃいけません。
ちなみに、これらの話は未来を見たわけではありません。未来なんざ誰にだって見えやしません。ただ、冷静に予測すれば、こう考えるのはごく普通の話であり、むしろ、このまま2年経過できると考えるほうが、よっぽどの楽観主義とも言えます。とりあえず、それまでの間、民主党を支える方々は、なるべく早めに見限らないことには、会社ごと、むしろ業界ごと地に落ちる可能性が高いので、荷物の準備はお早めにお願いします。
……にしても、ひどい。とてつもなくひどい。ゴールデンウィーク明けってことはつまりなにか、震災から2ヶ月近く経過しても、震災からの復興基本法が成立しないってことか。一本も成立しないってことか。数十万人もの被災者に向けて、復興への道筋、未来への希望を、国はまったく指し示してくれないってことか。つまり、国がわざわざ被災者に向けて、これから先の絶望を指し示したってことか。
しかも、翌4月21日に首相自ら福島へ視察した際も、なんら明確な指針を指し示さず。被災者に直接、面と向かって罵倒される始末。
Nuts!
2年後、そこには最低最悪の政治を経験し、どれぐらいの政治判断があれば及第点なのかを十分に判断する力を備えた国民が1億人以上存在することになる。これは、てきとーな判断に基づく、いたってどうでもいい話である。
最終的に、復興関連法案の成立は、復興の基本となる第一次補正予算に関しては5月2日に成立したものの、その他の関連法案はまるで手付かずのまま放置され、ついには震災から2ヶ月を迎える5月10日に、ようやく週内の提出を決定するという体たらく。さらに、総理大臣自ら、震災復興のために最も重要となる第二次補正予算に関して、白紙を明言。この一連の動きは、将来、政治の教科書において、悪い例、もしくは最悪の事例として掲載される可能性が高いです。ぜひ、皆さん、子供たちのためにいつまでも覚えておきましょう。いつまでもいつまでも。
後半戦終了[編集]
結果は書く必要すらない。
なお、今年度の選挙はまだ終わりではなく、東北三県の地方選挙が、2ヶ月~6ヶ月延長された後で執行される予定になっている。民主党議員が立候補できるかどうかは定かではない。あわせて、東北沿岸部の自治体および福島県の避難地域では、たった半年程度で選挙ができるわけがない。こういった話は、いつかきっと総務省が取りまとめて各県に通達を行うに決まってるさ。
などと書いておけば、後で大爆笑を掻っ攫えるひでえ対応が拝めるに決まってるさ。
栄村も浦安市も、選挙戦についてGoogleで調べると、大体、今年の1月から各候補が選挙戦に向けて準備を始めている。つまり、選挙の3ヶ月前から各党は選挙戦の準備を始めることになる。つまり、10月に選挙が行われると仮定して、7月に選挙についての準備をはじめ、9月から本格的な選挙戦突入。10月の開票を待つというスケジュールは、東北三県の内陸部では十分な時間である。
けれども、沿岸の各自治体にそんな計画を伝えたら、「復興の目処すら立たない場所で無理やりに選挙戦を戦わせる総務省」という爆弾が出来る。なお、上記の爆弾と違う部分としては、果たして民主党がそこまでもつかどうかは大変に微妙であるため、総務省に置き換えている。
ちなみに、わざわざ復興関連法案を震災から2ヶ月間、成立させないことにした民主党でなかったら、東北沿岸の自治体でも半年あれば復興の目処は立っている気はしなくはない。しかし、現状では、半年先に、復興関連法案が成立しているかどうかすらあやしい。……そんなことはない。そんなことはないに決まってるさ。
などと。
戦い済んで日が暮れて[編集]
5月22日、千葉県浦安市において千葉県議会選挙の再選挙が実施され、自民党と民主党の現職がみんなの党の新人を破り議席を維持する。なお、この選挙の投票率は過去最低の31.27%にとどまっている。
その結果、東北三県を除く各都道府県で行われた第17回統一地方選挙において、民主党は歴史的な敗北を記録する。各県で行われた県議会議員選挙の総投票数が33,497,432票だったのに対し、民主党は5,842,573票(全体の17.3%)しか獲得できず、議席数2,330のうち347議席しか獲得できなかった。しかも、そのうちの8分の1に当たる44議席が無投票でのものである。そのため、全国の議席数2,330から無投票で当選した議席180を除いて計算すると、実際に行われた選挙戦で獲得した議席数の割合は303÷2150=およそ14%となる。もちろん、無所属の議員の中に民主党と関連する議員も含まれているため、単純な計算では全体像は把握できない。
ただし、安く見積もっても20%以上と見られていた民主党の支持率が、軽ーく15%をきるまでに激減した理由は、どう考えても上記のクソたわけた第二次選挙延期自治体発表と、復興基本計画のGW明け持ち越しであることは間違いない。
そして、東北各県の民主党候補を奈落に突き落とすかのごとく、復興の根幹となる2011年度第二次補正予算の設立を8月まで延期するという話が持ち上がり、それに反発した野党によって6月2日に内閣不信任案が提出され、反対多数で否決されるものの、民主党を二分する大きな政争となった結果、政権の存続、ただそれだけのために6月20日に自民党、および公明党が提出した復興基本法をほぼ丸飲みして成立、22日に国会の70日間の延長が決まり、第二次補正予算も8月までに衆参両院を通過する可能性が高まる。
こういった政争は、被災者にとっては地獄のような話であることは確かである。
ちなみに、第二次補正予算は被災者の生活に関する支援のために小規模な編成にして、いつ決まるか分からない第三次補正予算で震災復興に関する予算編成に取り組むなどという超ド級のクソド外道な話については、地獄そのものであることも確かである。
その後[編集]
2013年3月11日、東日本大震災から2年を経過し、改めて復興というものが問われる中、栄村は例年と同じく3m以上に積もった雪の壁の間でひっそりと春を待っている。被災直後、生存のための活動から復旧、そして復興へと至る道のりの間には、多くのことがあり、言葉に出せない話もいくつか出てきている。思いっきり、栄村の記事で言葉にしたけれど、言葉に出せない話がいくつもある。
もっとも、むしろ言葉に残すべき、残さないといけない話もいくつか存在する。無論、そこには誰でも知っている話も含まれているけれど、それを書き残さないとあっという間に忘れ去られるのが世の中というものである。というわけで、後世に残すべき栄村大震災の後日談以降に起こったいくつかの逸話をピックアップする。
中条川の大土砂崩れ[編集]
震災直後、もっとも危険視されていた中条川流域の大土砂崩れについて、震災からおよそ1年半を経過した2012年8月の段階で、ようやく大規模二次災害の恐れはなくなり、中条川上流域の復旧工事はほぼ完了する。ただし、下流域への被害の懸念はひとまず収まることになったけれども、流域にはまだ地盤の不安定な箇所が存在しているため、今後更なる対応が必要とのこと。もちろん、これは、すべての地震被害地域で言える話であるけれど。
なっかっよっく、ケンカしな[編集]
栄村大震災発生直後、真っ先に栄村への支援を表明した2つのサッカーチーム、AC長野パルセイロと松本山雅FCは、2011年シーズンでともに好成績を残す。松本山雅は4位でJ2に昇格を果たし、永遠のライバルであるパルセイロも2位になったけれども、残念ながらスタジアムの規格の関係で昇格は見送られてしまう。その後、山雅は2012年シーズンに、北京五輪代表監督であった反町康治氏を招聘、降格が叫ばれていたJ2で、早くも動員および成績両面で確固たる地位を築く。
それを見て動かぬパルセイロのわけがない。2013年2月、それまで2016年完成と言われていたパルセイロの新スタジアムの計画が、急遽2015年2月に15,000人収容のスタジアムが完成するという大幅な計画の前倒しが起こる。そのため、2014年シーズンより始まるJ3で昇格圏内で乗り切ればJ2への道が開けることになる。これは、Jリーグでは珍しい話である。しかし、パルセイロと山雅のライバル関係を知る人間には、ほぼ予定通りだったりする。
ちなみに、北信地域に存在する栄村は、思いっきりパルセイロの関連自治体である。
祝、篠原孝氏当選[編集]
栄村大震災の発生直後から栄村のために募金をつのり(党に怒られ)、さらに東日本大震災における被災者の支援についても格別な働きを見せ、国を揺るがす大事態における代議士の対応の中で屈指の活躍を見せた長野一区の衆議院議員、篠原孝氏。そんな氏の活躍を長野の有権者はしっかりと汲み取り、2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙で、民主党に対する逆風の中、からくも氏をトップ当選へと押し上げることになる。
あの情勢でひっくり返すんだから、とんでもない。もっとも、篠原氏は民主党議員の中でも有数の人材であり、震災対応や農業関連の政策でしっかりとした実績を残したことが評価されたことは間違いない。
他の民主党議員が軒並み落選していく中であっても、マトモな仕事さえすれば、有権者はちゃんと判断してくれるという素晴らしい見本である。あわせて、栄村を訪問する際に、わざわざひなびた温泉を指名して秋山郷でドンちゃん騒ぎをしくさった、ロクデナシの仙谷由人は見事に落選。
なぜか、この文章を読んでいる多く人々の共感を得た気がするので、もう一回。クソ野郎で下衆の極みである仙谷由人は見事に落選。
仙谷、
落選。
Yeaaah!!
あー、すっとした。
栄村の復興計画[編集]
そして、栄村大震災からの復興において、もっとも重要な栄村の復興計画についても、2012年9月に制定。一つ先の村の形が見えてくる。これは、村民の意見や外部の有識者の知恵を導入し、農業を主体とする山村という、むちゃくちゃ震災からの復興が難しい場所における震災復興の一つの形として、国から認められたものである。もっとも、これが正式な形になるのはまだまだ先の話であり、さらには二の矢三の矢といった新たな復興計画も考え続けていかなければならない。
ようやく復旧も終わった栄村が復興に向けて歩み始めるのは、2013年の雪解けからになる。
あわせて、栄村に対する義捐金は、2013年3月5日の段階で10億円に達しており、寄付金とあわせると、およそ12億4千万円もの寄付が全国の皆様から寄せられたことになる。
改めて、なんも関係ないアンサイクロペディアからですが、心から御礼申し上げます。
絆[編集]
2013年2月28日、今回の栄村の震災に関する記録集が発刊され、村内の全世帯に配布される。「絆」と名づけられたその冊子には、震災発生時における村の動きや全国からの暖かい支援、そしてボランティアの皆さんの活躍や天皇皇后両陛下のお見舞いなど、地震に関する様々な記録や今後の復興への道筋、そして援助に対する感謝の言葉などが記載されている。
幸いなことに、アンサイクロペディアについてはまったく記載されていない。そして、それ以上に幸いなことに、国の動きについてもまったく、ぜんぜん記載されていない。されるわけがない。
あれから3年……の前に[編集]
2014年の栄村を語る前に、ぎりぎり間に合ったというか間に合わなかったというか微妙な話。
栄村大震災におけるもっとも危険度が高くかつ緊急性を要した工事、それは、村内を流れる中条川の上流で発生した山崩れによる二次災害を防ぐ工事と、それに伴う砂防ダムの建設、そして、なによりも下流に住む住民達の安全を担う土石流センサーの設置である。実際、震災直後に何度かセンサーが働くような騒ぎが起こるものの、その後は土石流を伴うような豪雨災害に見舞われることもなく、震災後すぐに始まった工期3年をめどにした復旧工事は順調に進んでいく。
そして、震災から1年を経て、ようやく山崩れで谷間を土砂が埋めた状態、いわゆる天然ダムの崩壊からくる土石流の心配が解消され、砂防ダムの建設も順調に進み、2013年の春に下流に住む住民も納得の状態でセンサーが外される。それから半年、工事がもうすぐ終わるめどがつき、流域の3つの砂防ダムも完工され、さらには住民たちの命の綱である農業用水などの整備も終わりかけた、2013年9月16日。
台風18号による大雨により、崩壊しないよう保護していた山崩れが再度崩壊。
同時に、土石流が発生。流域の3つの砂防ダムをたちまちのうちに土砂で埋めつくしてもなおその勢いはとどまることなく、数十メートルの深さの谷を石と泥で溢れさせ、ついには道路にまで氾濫。収穫間際の田んぼを土砂で埋め、川の側にあった森林組合の事務所を破壊するとともに、車や除雪機などを軒並み流し去ってしまう。
不幸中の幸いとして、今回の豪雨災害は日中に発生したため、栄村では事前に災害への準備が可能であり、下流の住民は事前に公民館などに自主的に避難、村でも避難勧告などを随時発信し続け、それと同時に住民の安否確認などの情報の収集が行われていく。そんな中、今回の震災による二次災害の状況を克明に記録していく。実際、地震による山崩れで埋まった谷が豪雨によって崩壊していく様子や砂防ダムで押し留められる石また石の映像、さらには下流に流れる土砂混じりの濁流といった映像が、Youtubeに保存され、地震による山崩れと、それに伴う二次災害という点で、大変に貴重な情報を後世に残すことになる。
なお、それ以上に、もし震災直後や砂防ダムの建設が完了する前にこういった災害が発生していたら、とてつもなくシャレにならなかったという実感を与えてくれる。
けれども、そういった少しの幸運の裏で、2年半かけた工事がだいぶ後戻りしたという不運が重くのしかかることも確かであり、なおかつ、次の災害に備えなければならないことも確かである。そのため、建設会社は豪雨の直後から土砂で埋まった砂防ダムを重機で掘り返し、山崩れの跡を再び形成しなおす作業に入り、なんとしてでも次の豪雨と、それ以上に2014年の春、雪解けが始まる前に、三次災害を防がなければならなくなる。
で、その直後に10月15日の台風26号による豪雨で再び住民が避難することになるんだから。もう大騒ぎ。
幸い、この台風による土石流は発生しなかったものの、やはり土砂が再び砂防ダムに流れ込むことに代わりはなく、ダムを重機で掘り返す作業がまた先へ先へと伸びていくことになる。もっとも、どこぞの菅内閣とは違い、今回の土石流災害では即座に国が動き、10月29日に災害復旧のための査定が行われる。ということはつまり、当初の資金よりさらに追加で工事を続けられるという話であり、1m2mの雪の中でも無理やりに工事を進捗させても文句の出ない財源ができたことを意味する。
いや、世知辛いけど、ここが一番大事な話になる。無論、2014年の雪解けに間に合わないとシャレにならないため、まったく間違いではない。
中条橋の再建[編集]
2011年の震災で壊れ、通行不能のまま放置していたら2012年の1月29日に積もった雪の重みに橋が耐えられず、橋が真っ二つになって崩落したことで知られる青倉中条橋が、震災から2年9ヶ月ぶりに架け替えられた結果、栄村の主要なインフラ設備の復旧はほぼ完了する。もちろん、砂防ダムとそれに伴う農業用水の話が残っているため、全て完了するまで先は長いことに代わりはないけれども、それでも、2年9ヶ月かかった復旧工事もようやくひと段落と言える。
もっとも、工事はひと段落でも、村の体制のほうは簡単な話ではなく、2013年9月15日の台風を受けて25日に栄村は災害対策本部を発足して以降、度重なる台風および平成26年豪雪などの影響により、栄村は本部を設置した状態が半年ほど続くことになる。そして、それは融雪災害の危険がなくなるまで続けられることもほぼ確定しているため、例年であれば5月の雪解けまで、中条川の警戒が続くものと思われる。
あれから3年[編集]
1年に1回、栄村を思い出す日が今年もやってくるため、特に理由もなく栄村の特産品のページへリンクを整備する。なお、商品の詳細については画面上部のリンクから飛べるようになっており、中には当然、猫つぐらも存在。ただし、値段はウン万円になりますが、伝統の技を駆使して手作りでアレを作るんだからしょうがない。あわせて、魚沼産コシヒカリとまったく同じ水系及び気候条件で育てられた栄村産のコシヒカリや、県の名産である信州そば、さらには各種山菜やきのこといった山の幸などが並んでいます。
といった前菜はここまでにして、メインディッシュとして栄村と東北の被災地の比較について語るとするなら、復興した先に何が見えるかが分かっている栄村と、そうでない東北の自治体の差が、ここまで大きな復興スピードの差となって現れた、という話になる。そらあ、山古志村という先達についていける栄村や、阪神大震災の際の神戸市や芦屋市、西宮市といった事例を参考にできる仙台市と違い、津波によって壊滅した東北地方沿岸部の復興の話の参考事例になるような話は、日本では明治時代ぐらいにしかない。
けれど、世界にはある。特に、2004年にインドネシアのスマトラ島沖地震や2010年のチリ地震など、ここ最近の大規模津波災害における復興事例などが、本来であれば役立てられるはずであったのだけれども、そうはならなかった。そして、どんな事例があったのかも知られることはなかった。なぜだか。まぁ、そういう復興を選んだから、ということにする。深い理由もなく。ついでに言うと、これから先に必ず起こる津波災害に対しても、国を挙げて自治体がバックアップして取り組むべき後世に残すべき事例のピックアップが少なすぎであるけれども、それもまたしょうがない。なんせ、あの竹を割ったような性格で人気の高かった政治家、小泉進次郎が復興政務官になったとたんに、空気になったのが東北の復興の闇の深さなわけだから。無論、真摯に活動を続けているのだけれども、先が見えない手探りの中で前例のない復興をやろうとするのは、ある意味、無体な話である。
最後に、放射能というものへの恐怖が復興の足かせとなっている件について、太平洋にぶちまけろという話をアンサイクロペディアのジョークとして差し込むものである。
あれから3年半[編集]
2014年11月22日に発生した地震については、こちらのページでご確認ください。後、ウィキペディアはアホです。
あれから4年・震災復興記念館[編集]
というわけで2015年。当初の予想通り、東北の被災地をぶっちぎる形で震災からの復興はほぼ終了し、残すは台風のおかげで一からやり直しになった中条川の工事のみとなった栄村に、今年もまた3月12日がやってくる。なお、中条川の工事については雪解けを待つ形で2015年5月ごろに工事を再開することになっており、復興が終わるまではもう少し時間が必要である。
けれど、そんな栄村に震災に関する新たな動きがあり、2月24日、今回の震災とその復興を記録するための施設「震災復興記念館(仮称)」を、飯山線森宮野原駅前に建設する方針であることが明らかになる。これは、2004年の中越地震で被災した山古志村が、その後、なぜだか震災復興に関する聖地と化し、でかい地震が起こるたびに多くの自治体から大規模な視察と復興のためのアドバイスを求めに自治体職員やトップがやってくるという話を模倣、そっくりそのまま栄村にも持ってくるという話である。そのため、とりあえずは長野県や静岡県、さらには西日本でなにかしら地震が発生した際は、山古志に行く道中にどうぞ立ち寄ってください、いくらでも話すことがあります。ぜひ、お願いします、という態勢を整えるものである。
なお、施設の建設費は2億2千万円を予定、視察がない日には、学童保育用の施設としても利用できるような複合施設とするとしている。あわせて、語りたい話も伝えたい話も残したい話もいくらでもあるのが、ある意味、復興というものの1つの形であるため、そういう施設を整えることで、次の被災地、もしくは被災者にアドバイスを送るという話は大変重要になる。実際、そこから先、これから先において人の輪を広げることで、動かない国、お金のなくて動けない県といった悲劇を乗り越える形で、自治体同士のつながりを利用することで、マンパワーの支援を受けやすくなる。いや、さすがにあんな状況は2度とないとは思うけど。
あわせて、怖い話も付け加える。
実は、山古志村は栄村と違い、多くの被災地から、あくまでも復興という話がメインである視察が行われているのだけれど、いかんせんその山古志村への視察という話には、それに付随する形で日本の震災復興政策の中心人物である元山古志村長、長島忠美衆院議員事務所への陳情という側面もあったりする。もちろん、全ての視察においてではないけれど。そのため、被災地の復興に関する知識やアドバイスというだけではない、もうちょっとむつかしい話になってしまうのが世の中である。実際、2014年になってもなお、進まぬ復興と国の政策との乖離に苦しむ自治体は多く、地元の動きと県の動き、さらには国の動きの連携を少しでも図りたいという関係者の涙ぐましい動きが山古志村への視察の裏にあったりもする。その上で、さらに面倒な話として、そんな話を地元の政治家の頭を飛び越える形で行うと、またさらにむつかしい話になり、多くの関係者がヘソを曲げる話でもあるため、本当に、本当に調整がめんどくさい話であったりもする。けれども、そういった横紙破りができる、せざるをえぬ、しなければいけないのもまた、被災地という場所の現実である。
などという生臭い話を抜きにする形で、視察を行える施設は本当に重要である。
なお、新施設は2016年4月27日に開設されることとなる。
2016年[編集]
震災から5年。いろいろといろいろと。
まず、栄村にも関わる大きな話としては、第一に長野県の経済に大きな影響を与えた北陸新幹線の開業が挙げられる。2016年3月16日に開業から1年を迎えるにあたり、長野市近隣に位置する市町村にもようやくというか何というか、新幹線開通という観光及び産業振興の起爆剤に見合った動きが生まれることとなる。それは、2011年に被災して以降、震災からの復旧・復興がメインだった栄村の動きがついにようやくやっとのことで、将来を見据えた次の一歩に切り替わったことを意味している。
この動きについて詳しく説明すると、2015年に開業した北陸新幹線は日本屈指の第三セクターほくほく線を地味に地獄に落としつつ、長野市を中心とした県北部の自治体に多大な影響をあたえることとなる。中でも、新しく新幹線の駅が出来た飯山市とその周辺の自治体では、2014年から新幹線開業に備えて県の担当者らと共に様々な経済及び観光振興策を模索していたのだけれど、そんのくっそ忙しい時期によりにもよって長野県神城断層地震が勃発。長野市はもとより飯山市やその周辺自治体、さらには県境を越えて提携していた新潟県妙高市を含め、それほど地震の被害は無かったにも関わらず、風評被害の影響をもろに受けることとなり、周辺の9つの市町村は泣く泣く新幹線開業に伴う一大観光客誘致合戦から一歩引かざるをえなくなる。
普通、開業100日前に震度6の地震が起こるかあ?
後、記事名を長野県北部地震表記にし続けたアホペディアは、もうちょっと世の中というものを考えろ。
しかし、地震による風評被害が消えた後のことを考えて、北信地域一体となっての産業振興策及び情報発信を継続して行うことは重要である。中でも、新たな特産品を開発、販売することは、国内外に観光地としてアピールすることはもとより、地震による被害を受けたからこそ、復興の象徴、もしくは地震や災害に負けないという強烈なブランドやイメージを作り上げることが可能になる。と、書くだけなら簡単なその特産品開発について、大抵の自治体はそのネタがなくて関係者が四苦八苦するのだけれども。ところがどっこい、幸いなことに栄村に奥の手が存在していた。しかも、ブランド商品としてお墨付きのものが。それも、安価で誰でも購入が可能で、設備投資もほとんど必要なく年中無休で採集でき、質については全国有数というとんでもない代物が。
それこそが栄村の未来を占う第二の鍵、苗場山系の豊富な湧き水を利用したミネラルウォーターである。まぁ、ぶっちゃければ隣町である津南町がファミリーマートと提携して全国展開している商品とほぼ同じ商品を、栄村でも用意できるのであるって同じ山なんだから当ったり前である。なお、平成の御世にも関わらず水争いが勃発しかねない話であることは認める。もっとも、ブランドについてはちと差があり、ファミマのほうは日本の名水百選に選ばれた実績を持つ竜ヶ窪の水と同じ泉源、てゆうか泉のすぐ近くに工場を建ててそこに掘った井戸から汲み上げた水をファミマの天然水として全国に販売、すでに全国チェーン、名水百選とガッチガチでブランドを固めている状況であるため、栄村が新たにミネラルウォーターを売り出してもイメージ的にはさほどかぶらないはずである。さほど。水質については聞くな。
あわせて、こういった話で重要となる採取地及び採取施設、さらには販路等について、栄村では2003年より村内の業者が北関東を中心とした契約家庭、企業を中心に12リットル入りの飲料水として販売を行っているため、ノウハウについてはすでに存在。後は、全国的にも無名だけどこんな美味い水があるということを、北陸新幹線を通じて宣伝するだけである。無論、長き道のりであることは認める。
そのほかにも、栄村では新幹線を通じて北信地域を訪れる観光客に向け、豊富な森林資源を利用した上質なペレットの販売や問答無用のおやき、野沢菜、山菜、雪雪雪スキースキースキーなどなどをアピール。震災からの復興という強烈な武器を備えている。そのため、3月16日の北陸新幹線開業1周年に向けて取りあげる話題はたくさんある。
が、もう1つ絶対伝えなくてはいけない情報があり、震災以前、2300人を数えていた栄村の人口は、2015年末の時点で2000人を割り込むことになる。まぁ、新幹線が通じたしなあ。という話は山向こうの新潟県中越地方の光景とほぼ同じであったりもする。
生き恥を晒す国会議員[編集]
この項目はあまりにも長くなりすぎたため、新たな記事として「栄村大震災に関する政府の動き」を作成することになりました。これから何か国政で動きがあった場合、そちらの記事をご確認ください。
復興[編集]
文章が長すぎて、読みきれない人も増えたため、復興に関する項目は全て「栄村大震災からの復興」ページへ移項しました・・・まだ長い気はしなくもないけれど。
新潟[編集]
復興に関するページから、恐るべき新潟県の災害対応能力に関わる部分を抜き出しました。何このチートっぷり。
余談[編集]
震災から3ヶ月。色々な話が出てきた栄村大震災に関する小話について、取りまとめるページを作成してみました。それに伴い、余談の項目をそちらに全部移動しましたので、ご了承ください。
2018年[編集]
2018年5月25日午後9時13分、栄村を震源とする深さ6キロ、マグニチュード5.2、震度5強の地震が発生する。これは、2014年11月に発生した長野県神城断層地震以来、ほぼ3年半ぶりとなる大きな揺れである、のだけれども、2004年の中越地震から数えると片手の指が全部折れる時点で別段、動揺する必要はない。どこぞのゲゲゲの鬼太郎ならぬ西田幾多郎も言う通り、災害は忘れようと忘れなくてもやってくるので、やってきた。ただそれだけの話である。
なお、震度5強なのでこの程度であるけれど、震度6弱だとこの2倍、震度6強だとこの4~8倍程度文章を費やして動揺を抑え込まないといけない。なお、震度7の時点でいろいろとあきらめる。そこからスタートするという意味で。
…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……以上の記述は全て事実なのである。
東北以外にも目を向けなけなければいけません。どうか忘れないで・・・・
脚注[編集]
関連項目[編集]
- 栄村
- 東北地方太平洋沖地震
- 東日本大震災
- 関東大震災
- 阪神・淡路大震災
- 静岡県東部地震
- 新潟県中越地震
- 新潟県中越沖地震
- 長野県
- 津南町
- 十日町市
- 栄村大震災からの復興
- 栄村大震災の悲劇
- 栄村大震災に関する政府の動き
- 栄村大震災こぼれ話
- 栄村大震災における新潟県の動き
- 栄村大震災の後日談
- 長野県神城断層地震
~1899年 : | 貞観地震 - 慶長地震 - 宝永地震 - 安政東海・南海地震 - 明治三陸地震 |
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1900~1969年 : | 喜界島地震 - 関東大震災 - 昭和東南海地震 - 昭和南海地震 - 福井地震 - チリ地震津波 - 新潟地震 - 十勝沖地震 |
1970~1999年 : | 根室半島沖地震 - 伊豆半島沖地震 - 宮城県沖地震 - 日本海中部地震 - 北海道南西沖地震 - 阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震) - 台湾地震 |
2000~2009年 : | 鳥取県西部地震 - 新潟県中越地震 - 能登半島地震 - 新潟県中越沖地震 - 岩手・宮城内陸地震 - 四川大地震 |
2010年~ : | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震) - 栄村大震災(長野県北部地震) - 静岡県東部地震 - 伊豆大島近海地震 - 長野県神城断層地震 - 熊本地震 - 北海道胆振東部地震 - 山形県沖地震 |
今後の地震 : | 東海地震 - 南海トラフ巨大地震 - 首都直下地震 |
地震情報 : | 震度3の地震がありました - 緊急地震速報 |
津波情報 : | 津波 - 津波警報 |
メカニズム : | 活断層 - ナマズ - 地震兵器 - 群発地震 - 初期微動継続時間 |
流行記事大賞 金賞受賞記事
この記事は2011年流行記事大賞にて金賞を受賞しました。 |