柏木陽介

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柏木 陽介
名前
本名 かしわぎ ようすけ
愛称 王子→うんこ物語→偽川澄→ウンコマン
ラテン文字 unkomonogatari
基本情報
国籍 日本
生年月日 1987年12月15日
出身地 兵庫県神戸市
身長 1.128hyde(176cm)
体重 73kg
選手情報
在籍チーム FC岐阜
ポジション MF
背番号 42(クラブ)
利き足 左足



柏木 陽介(かしわぎ ようすけ、1987年12月15日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手である。その端正な顔立ちとプレースタイルから「王子」と持て囃されていたが、2009年以降斜め上方向のエピソード連発により「ネタ選手」に変貌した事で知られる。

来歴[編集]

調子乗り世代の太陽王子[編集]

2006年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格し、1年目からレギュラーに定着して同年のサンフレッチェの上位進出の立役者の1人となる。また年代別代表にも選出され、2006年AFCユース選手権と2007年ワールドユースでは10番を背負いボランチの位置からチームを組み立てるコンダクターとして君臨。この年代は槙野智章森島康仁らを中心とした「調子乗り世代」と呼ばれていたが、その中で一際端正な顔立ちをしていた柏木は「広島のダイヤモンド」「太陽王子」と呼ばれ、次世代のA代表ボランチ最有力候補として持て囃され始めていた。

その後はサンフレッチェのJ2転落・2008年のアキレス腱の怪我・北京オリンピック代表落選など苦しい日々が一時的に続いたが、2008年後半から調子を取り戻し、全国のJ2サポから「本気の練習試合」と恐れられたサンフレッチェのJ2独走に貢献。ホームゲームの試合後に柏木と槙野の2人が中心になって行っていたパフォーマンスである「カシマキ劇場」は広島ビッグアーチ名物となっていた。

太陽王子から「うんこ王子」に[編集]

このように「広島の王子」として確固たる地位を築いてきた柏木であったが、2009年3月11日にその地位を根底から破壊する事件を起こしてしまう。

本人とは関係ありません。

あのうんこ物語事件である。

同日に携帯電話のTEL番号とメールアドレスを変更した柏木は、何気なく知人や友人達にアドレスとTEL番号の変更連絡を行っていた。しかしあろうことかその連絡先に柏木のオフィシャルブログ投稿用アドレスを含めていたらしく、柏木ブログのトップページに「アドレスをunkomonogatari検閲により削除に変更しました」というエントリが大々的に表示される事態が起きてしまった。

これを見たサンフレッチェサポを中心とした日本国内サッカーファンは一斉に驚愕し、すぐに「そのセンスに脱糞」「うんこ物語の前はどんなアドレスだったんだ?」「誰かに押さえられてそうなアドレスなのによく空いてたな」「彼氏からこんなメアド連絡来たら別れちゃうかも」などと爆笑の渦が起こった。

数時間後、やらかしたことに気づいた柏木はブログの該当エントリを削除し、すぐにメールアドレスと電話番号も再変更したが時既に遅し。それまでの王子キャラからは想像すらつかなかった「うんこ物語」のギャップに日本国内の好事家の多くが反応。3日後の3月14日には柏木が「うんこのおじさんの夢」を叶えてACLを制覇する物語まで作られた。

その後は事あるごとに柏木はうんこ扱いされ、例えば得点を挙げた時は2008年までは「王子キタ━━(゚∀゚)━━!!」と実況スレッド等に書きこまれていたが、2009年からは一律「ウンコキタ━━(゚∀゚)━━!!」と書き込まれるようになってしまった。傍から見たらスレ住人が実況中にお漏らししたようにしか見えない状況である。

こうして、広島の太陽王子であった柏木は一転して「うんこ王子」にクラスチェンジする事になってしまった。これは「メールの誤送信は怖い」ということを世間に証明した事例でもあった。

ステップアップのはずが…[編集]

2009年の柏木は先述の大チョンボがありながらも、左足の正確なキックと2.5列目からの飛び出しをフルに生かしてJリーグで大活躍し、サンフレッチェのACL出場権獲得に貢献。2010年はACLに挑戦する柏木の姿が見られると思われたが、突然浦和レッズに移籍する事になった。

移籍会見では「ステップアップのために移籍する」と公言した柏木であったが、実際にステップアップは果たせたのだろうか。移籍後5年間の結果を列挙する。

個人成績[編集]

  • 2009年(広島)
33試合8得点7アシスト(Jリーグ優秀選手賞に選出)
  • 2010年(浦和)
34試合4得点2アシスト(Jリーグ優秀選手賞に選出されず
  • 2011年(浦和)
31試合5得点4アシスト(Jリーグ優秀選手賞に選出されず)
  • 2012年(浦和)
30試合6得点9アシスト(またもJリーグ優秀選手賞に選出されず)
  • 2013年(浦和)
34試合8得点12アシスト(年間アシスト王となるも、やっぱりJリーグ優秀選手賞に選出されず)
  • 2014年(浦和)
33試合3得点12アシスト(チームを2位に導く活躍でやっとJリーグ優秀選手賞に選出される)

クラブ成績[編集]

  • 2010年
浦和:リーグ戦10位+ナビスコカップ予選敗退
広島:リーグ戦7位(賞金圏内)+ナビスコカップ準優勝
浦和:リーグ戦15位+ナビスコカップ準優勝
広島:リーグ戦7位(賞金圏内)
  • 2012年
浦和:リーグ戦3位
広島:リーグ戦優勝
  • 2013年
浦和:リーグ戦6位+ナビスコカップ準優勝
広島:リーグ戦優勝(史上4チーム目の連覇)+天皇杯準優勝
  • 2014年
浦和:リーグ戦2位
広島:リーグ戦8位+ナビスコカップ準優勝

5年経ってやっと移籍元・移籍先の順位が逆転したというステップアップとはお世辞にも言えない結果であった。時に事実は残酷である。

今度は「偽物」に[編集]

それでも2010年には日本代表に選出され、2011年1月のアジアカップでは予選リーグ第3戦で先発出場も果たす。紆余曲折ありながらもA代表キャップ持ちまで登り詰めたが、同年4月以降はA代表に呼ばれなくなり、さらにレッズもJ1残留争いに巻き込まれてしまい2年連続でステップダウンにしか見えない日々を過ごしていた。

そんな中、7月に柏木の転機が訪れた。なでしこジャパン川澄奈穂美の大ブレイクである。

2011年7月13日に行われた女子W杯の準決勝終了後、大会初先発のチャンスをモノにした川澄がヒロインインタビューに上目遣いで答える姿が全国放送され「かわえええええええ」と日本中から騒ぎが巻き起こっていた。その中で「あれ、柏木に似てないか?」「綺麗な柏木にしか見えない」「男子だと代表に呼ばれないから紛れ込んだのか」などとこの2人が似ていることを指摘する声が多数発生した。

当初はまだ「川澄は柏木二世」「綺麗な柏木」といった形で、柏木が主で川澄が従となっている呼ばれ方をしていた。しかしその後川澄がA代表レギュラーと所属クラブのキャプテンとして大活躍を立て続けに披露し、対する柏木が所属クラブで燻り続けている間に2人の知名度が逆転。2ヶ月後の9月には「Jリーグの試合に川澄ちゃんが出てる」「男川澄だな」「いや偽川澄だ」と主従関係が逆転した形で柏木が扱われるようになってしまった。

この事態を見て柏木はさすがに奮起。何故かレッズが決勝進出を果たしていたナビスコカップの決勝戦で本物にあやかって「ピンクのヘアゴム」をつけて試合に臨む事を公言。日本中から「やめてくれ」と悲鳴が飛ぶ中、10月29日の決勝戦で公言通り柏木はピンクのヘアゴムをつけてピッチに登場。偽物と呼ばれていることを逆手に取って柏木自身のプレーをアピールすることで、2009年以降先述の「うんこ物語」を含めてネタキャラ扱いされてきた過去の払拭を図ろうとした。

しかし試合は鹿島アントラーズの老獪な試合運びと山田直輝の退場の影響などで柏木はシュート0本に終わるなど何もすることが出来ず、レッズは決勝戦で敗退。「所詮は偽物」「本物がいれば勝てた試合」などと散々な言われ方をしてしまった。

それでも柏木はピンクのヘアゴム着用を続けると、J1第33節アビスパ福岡戦で同点弾を決めてレッズのJ1残留に貢献し、最終節柏レイソル戦、天皇杯4回戦愛媛FC戦まで3試合連続得点するなどシーズン終盤になってようやくエンジンがかかる。さらに12月23日には本物が全日本女子サッカー選手権大会準々決勝で手を踏まれて負傷退場して戦線離脱する。これらの追い風を生かして今度こそ柏木は「偽物」からの脱却を図るべく、24日の天皇杯準々決勝FC東京戦にピンクのヘアゴムをつけて臨んだ。

が、レッズは川澄のチャント(応援歌)模倣元である石川直宏の一撃に屈して敗退。柏木は数々のチャンスに絡んだもののそれを生かすことが出来ず、後半途中に退く有様。「今や陽介(柏木)のほうがパクリ扱いだよねえ」と元所属のサンフレッチェサポから冷笑を浴びながら2011年シーズンを終えた。

その後も自身はそれなりに活躍しつつも、所属チームはいまいちパッとせず。前所属チームが2015年に3度目のリーグ優勝を果たしたのを尻目に、彼のタイトル歴は未だにルヴァンカップ1回だけである。

また2011年を最後に日本代表にも呼ばれなくなった。2013年の東アジアカップには国内Jリーガーが多数召集されたが、同僚の槙野、森脇は呼ばれたのに柏木は選から漏れた。なお広島からはポジションの被る高萩洋次郎と青山敏弘が召集されている。2015年には4年ぶりに代表招集され活躍するも、2016年に入ると鹿島の永木などの活躍に圧され、選出リストから消えてしまった。

そして、元同僚である青山敏弘がJリーグベストイレブンに3度(2012、2013、2015)選出された上にシーズンMVPも獲っているのに対し、柏木は2016年にベストイレブン初選出。もちろんMVPには一度も選出されることはなかった。

一瞬の輝き[編集]

そんな柏木でも2014年頃からやっとキャリア上向き始め、2017年はヴィッセル神戸より破格のオファーが届くが、それを断りレッズに残ることを決める。このシーズンはACLで浦和の優勝に貢献する大活躍を残し、大会MVPに進出。サッカー選手として一瞬だけ全盛期の輝きを見せる事が出来た。

しかし、その後転落していくのが「全盛期」の宿命である。

おっぱいの誘惑に負けて都落ち[編集]

柏木は2019年から怪我がちになり、出場機会を徐々に失う。2020年にはベンチを温めることがほとんどとなり、サッカーに活動エネルギーを費やさなくなった分、ピッチ外の誘惑に駆られるようになる。

そのような状況の中、2020年10月に元グラビアアイドル原幹恵と9時間に亘る不倫デートをしていたことがフライデーされる。柏木はフライデーの突撃に対して「よいお友達です」と嘯くが、「おっぱいの誘惑には勝てないよな」と浦和を含めた各Jクラブサポーターが一斉に反応。新型コロナウイルスの影響でJの各クラブが所属選手たちに外部の人間との会食を自粛するよう求めていた状況でフライデーされたことや、フライデー記者に対して「内部はいろいろあるんスよ(笑)」とコメントしたこともあり、「プロとして自覚がない」と一斉にバッシングを浴び、規律違反行為でもあったため、このフライデー事案以降柏木は公式戦の出場機会はゼロになった。

さらに2021年2月、キャンプ中にまたも規律を犯して杉本健勇と一緒に外部の飲食店に抜け出していたことが内部告発され、「繰り返しの規律違反」で無期限謹慎処分となり、2月16日、浦和フロントは「柏木選手については移籍する方針で調整していく」と記者会見で発表。既に監督の構想から外れており契約解除となってもおかしくなかったが、下手に契約解除すると反社会的勢力の魔の手に引っかかり、「元浦和」というフレーズがネガキャンで使われて浦和にとって悪影響を及ぼすリスクがあるため、浦和が柏木の再就職先を世話するという前代未聞の事態に発展した。

この記者会見を受けて、Jの他クラブのサポーターからは「もう一度他のチームで輝いてほしい」という声が多く聞かれたが、「ウチに来て欲しい」という声は皆無であった。その後何とかJ3のFC岐阜に拾われることになったが、「柏木を介護できる選手が岐阜にはいない」「名古屋に近いから遊べる」「試合では微妙だが金津園でなら無双できる」と散々な言われようであった。この後柏木が少しでも評価を回復して選手生活のラストを飾れるか、そのままネタ選手として消えゆくかは、神のみぞ知る。

総括[編集]

日本サッカーの次世代を担う「王子」であったはずが、ちょっとの間違いで現在進行形のネタ選手に変貌する。これも日本サッカーとJリーグの厳しさである。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「柏木陽介」の項目を執筆しています。