UnBooks:恋と安らぎの日々
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平凡な、されど幸福な一日[編集]
朝の自宅[編集]
カンッ!
カンカンッ!
うるさい金属の音が朝の、まだ冷え切った部屋に木霊する。布団の中のぬくぬくとした空間の中にいるこの少年の朝は毎日こうなのだ。毎日、この煩くて心地よい金属の音が少年に朝を告げるのだ。時計をふと見る。まだ6時20分だ。外はちょっと明るくなったぐらいか。
カンカンカンッ!
「朝だよ! 起きて!」
「もうすこしなんとかならないか、あと5分だけでも……」
春眠暁を覚えず。まだ春にはかなり遠いが、朝の布団の心地よさは何物にもかえがたい。値千金とはよく言ったものだ。目の前にいる少女がその布団の誘惑の魅力を少しでも理解してくれればいいのだが……
「駄目だよ! 早起きは三文の得だよ! 早く起きて! ほら!」
どうやら少年と長い付き合いのこの少女は是が非でも許す気がないらしい。まったく、この娘はこれさえなければ世間の男どもが放っておかないだろうに……少年はそういいながらものそのそと布団から這い出る。
「ほら、早く歯を磨いてちょうだい! 朝ご飯出来てるから」
「わかったよ、わかったから勘弁してくれ、澪!」
「二度寝したら承知しないからね! あなたお兄ちゃん!」
「ああ、わかったわかった。着替えるから出ててくれ」
バタンと戸が閉まる。妹の澪は朝早くからご苦労なことである。調理して油をふき取ったフライパンをここまでもってきているのだから、彼女がエプロンをつけたのは5時30分ごろであろう。いったい何時頃に起きたのやら、年頃の娘のバイオリズムではない。あれは既に年配女性のそれに近いものがある。そう思いながらふとんにこしかける。
妹は机の上に温かい飲み物を置いてくれている。あなたが夜更かしした日にはコーヒーや紅茶を、元気のない翌日にはホットミルクやココアをこしらえてくれる。もちろんあなたが注文したわけではない。澪がいつのまにかこちらを観察して作ってくれているのだ。まったくよくできた妹である。
しかし布団に残る温もりもまだ捨てがたい。ああ、このままもう一度寝てやろうか……
だが妹に怒鳴られるのはごめんだ。あなたは温かい飲み物を口に含むと、そそくさと未練の残る寝室を後にした。まだ湯気の残るカップをそのままにして。
浴室前の洗面所に入り、シャワーを浴びる。床が濡れているが、浴室内は寒くない。どうやら澪が先に入ったらしいが、浴室暖房を入れてくれているようで、快適に風呂を使える。シャンプーをすませ風呂場から出る。きれいな新品のバスタオルが置いてある。気を使ってくれたのか、それとも年頃の少女の潔癖症というのはこういうものなのか、あなたは理解に苦しんだが、あまり深く考えずそろえて置かれた下着をはく。
「お兄ちゃん! 早くしないとご飯冷めちゃうよ!」
妹の声が聞こえる。これはうかうかとはしていられない。口をゆすぎ、ワイシャツを羽織り、制服のズボンを履く。毎日当たり前のようにこれが繰り返されると思うとあなたは少し可笑しかった。
「これはまたごちそうだな」
ウインナー、ハムとベーコン入りの目玉焼き(さしずめハムベーコンエッグとでも言うべきか)、サラダにはあなたの好きなドレッシングがかかっており、みそ汁は熱々の湯気が立っている。
「もう、遅ーい!」
「悪い悪い」
そそくさと食事に手をつける。うまい。決して派手さはないが、基本的な味は押さえてある。澪と向かい合わせに座って食事をとる、これがあなたにとってのいつもの朝の風景である。このスタイルがかれこれ一か月ほど続く。
「親父とお袋はまだ帰らないのか?」
「うん、パパの仕事場にもう少し付き合うって。昨日国際電話がかかってきたよ」
「そうか」
詳しい話は省くが、父親は海外に出張中だ。母親は親父に手料理を食べさせると言ってしばらく家を開けている。思えば澪の面倒見の良さは母親譲りなのかもしれない。綺麗にタコさんの形にしたウインナーをかじりながらしみじみと思う。
「あー、今日のかに座の運勢最高だって! 恋愛運☆16個だよ! すごーい!」
こうして朝の情報番組を見ている姿はごく普通の少女だというのに、澪は母親の居ないここしばらくで随分と家庭的になった気がする。なんだか妹に成長で抜かされる気がして微妙な気分だ。ああ、この妹が嫁に行ったら自分はどうなってしまうのだろう。おそらく家事もできず一人で野垂れ死ぬに違いない……さすがにその頃には母親も帰ってくるか。
「ちょっとお兄ちゃん! 聞いてる!? ハッピーアイテムはハーブティーだって!」
「あ、すまん……」
「もー、お兄ちゃん!!」
妹は食事が終わるとさっさと洗い物を済ます。
「じゃあお兄ちゃん、私日直だから先に出るね」
「ああ、いってら」
俺は
「とじまり頼むね。それから今日遅くなる?」
「今日は部活とバイトがあるからなあ……」
「そっか」
「何かあるのか?」
「ううん、なんでもない。じゃあね」
妹はたったと玄関を出てしまった。妹の中学校はうちから遠いが、あなたの通う高校は非常に近い。これはひと眠りできるかもしれない。時計を見るとまだ7時45分、うるさい小姑もどこかに行った。どれ、今日は学校をサボってやろうか……俺は鞄を取りに行くふりをして二階の寝室に駆け上がる。ふかふかの布団はもう目の前だ。
背後でインターホンがなる。煩いな。無視して寝てやろうか……いや、そういうわけにもいかないか。あなたは妹が起床時に持ってきてくれたマグカップと鞄を持って一階に駆け降りる。マグカップはすっかり冷めてしまっていた。
登校[編集]
「もー、あなたちゃんは二度寝しちゃったかと思ったわ」
「はは、んなわけないだろ」
木枯らしの吹く通学路を歩く。まだ少し早いらしく通学生の数は少ない。あえて言えば妹の澪と同じ学校の中学生が歩いている姿が多少目に映るぐらいだろうか。それにしても晩秋の早朝というのは気分がいいものだ。肌に刺す寒気すらここちよいものがある。
「それにしても茜は毎朝毎朝よくうちに来るなー」
茜と呼ばれた少女は意地悪そうにはにかむ。
「あなたちゃんは寝坊だからね、へへ」
俺と茜とは幼稚園のころからの幼馴染の一人だ。小学校も一緒、中学校も一緒、昔は茜のほうが背が高かったが今では俺のほうが少し高い。とはいえ茜の背丈はそれほど高いものではない。小さなころは近所の子供たちと一緒に遊びまわっていたが、中学あたりでは一度疎遠になっている。高校に入って、どちらの仲間も私学にかよったりで登校相手がいないので仕方がなく一緒に登校しているのだ。
「抜かせ」
「へへへ」
「俺だって早起きぐらいはできるんだぜ」
「澪ちゃんに起こしてもらって?」
そうだ、こいつの前ではたいていの隠し事は通用しない。こいつは小さなころからうちにも入り浸っていたのだ。しかしながらこのなんとも言えない憎まれ口の応酬、これがあなたにとって妙に気分がいい。馬があう、とでも言うべきだろうか。まあ普通ならば男の友達とこういうやりとりをするのであろうが……
「あなたちゃんはあいかわらず夜、忙しいみたいだね」
「ん、まあな」
あなたは特に小遣いに不満があるわけでもなく、家庭の事情があるわけでもないのに夜にバイトをしている。別段、お金がほしかったわけではないが、なんだか無為に過ごすのが耐えられなかったのだ。おかげで夜は遅くなりがちでついつい寝坊をし、澪にからかわれている。
「そっかー。今日もバイト?」
「ああ、部活の後にバイト」
「ふーん」
茜は意味深な表情で顔をふせる。
「なんか用事があったのか?」
「いやー、私お菓子作りが趣味だから……」
そういえばこいつは昔はデニムのオーバーオールを着て野原をかけずり回っていたというのに、今ではすっかりお菓子作りなどという女の子らしい趣味にハマっている。いや、女らしくなったのは趣味だけではない。ボサボサといってもいい髪は綺麗にまとめあげ、少し長めに伸ばしはじめている。ぺったんこの胸も……っと、何を考えているのだ。
「で、それでどうしたんだ?」
あなたは邪念を振りほどくように話しかける。
「なんだったら力になるぞ?」
「いやー、そこまで仰々しくされると困っちゃうなー」
「なんだ? 水臭いぞ」
「いやー、あなたちゃん甘いのが嫌いじゃなかったら味見してほしいかなー……なんて」
ほう、これはこれは。あなたに味見してほしいとは……そういえば、料理を始めたころの澪にもよく味見を頼まれたものだ。しかしこやつ、味見という事は、ほかに誰か菓子をあげたい男でもできたのだろうか?
「うーん、どうしようかなー。茜の菓子だしなー」
「ちょっと! どういう意味?」
茜に睨まれる。
「悪い。まあ食べてみてもいいぜ」
「ホント!?」
「ああ」
「じゃあ今晩バイト帰りによって! 作っとくから!」
随分な喜びようだ。これだけ喜ばれると試食係りも悪い気はしない。
「あ、でも今日バイトで遅くなるからさすがに帰りに寄るって訳にはいかないんだよなー」
「そっかー」
「ま、近いうちにな」
「頼むよ! あ、そうだ……これ……」
小さな包みを渡される。きれいにかわいらしくラッピングされているが……。
「試作品だよ! ま、食べてみて!」
「食べてみて……ってオイ!」
「あ、私今日日直だった! 悪いけどここで!」
「オイ、待てよ! オイ!」
あっという間に茜は見えない場所まで走っていく。昔からあいつは足が速い。ついでに何かを伝える時はぶっきらぼうだ。
「まったく……あれじゃ渡したい男がいたって……まあ少し食べてみるか。朝飯食べたばかりだけどな」
あなたはガサガサと可愛らしい包みをあける。包み紙やラッピングは実に几帳面に、それでいて女の子らしさを失わない可愛らしさを表現している。感心しながら中には小さなクッキーが2、3枚入っていた。さっそく手にとってかじってみる。
「うん、悪くない」
クッキーをかじりながら学校への道を一人急ぐ。校門が近づいてきた。あなたは他の生徒に見られないよう空になった包み紙をポケットに突っ込むと、白い息をはきながら学校に入って行った。あー、少し眠い。さすがに朝食後にはクッキーといえどもキツい。ホームルームまで少し時間があるから教室で居眠りしてやろうか。そんなことを考えていたのである。
朝の学校[編集]
うとうとしていた。まだクラスで登校しているやつは少ない。あなたは腹が無駄に膨れていて少し眠ろうとしていた。が、ちょうど眠れるかと思った瞬間、金切り声があなたの眠気を遮った。
「オッス、あなた!」
「田中か? 眠いからほおって置いてくれ!」
「何いいやがる。朝から日本男児がうとうとするな」
田中理緒菜、あなたの中学からの腐れ縁だ。中学一年から何故か同じクラス、高校に入っても何故か同じクラスが続いている。奇跡的な腐れ縁だと思う。
よく見るとなかなか綺麗な子だが、何せ潰滅的にデリカシーがない。ガサツにしか思えない性格は男っ気ゼロでも仕方がないだろう。
「ところであなた、シクダイ、やってきた?」
「ああ、現国のヤツだろ?」
「見せて」
「は?」
「いいから見せてよ、友人だろ?」
友人というよりもいつの間にかいる隣人なのだ。当然、宿題のノートなど見せる必要は無い。が、まあ下手に逆らって後で文句を言われるのも面倒だ。あなたは潔くノートを手渡した。
「サンキュー!」
理緒菜はせこせことノートを開いて何かを書き込んでいる。やれやれ、やっと開放されたか。静寂を取り戻し、眠気に再度襲われたあなたはふたたび机に向かい、船を漕ぎはじめた。が……
「そういえば昨日のテレビ見た?」
理緒菜は器用にノートを写しながら雑談を始める。結局、あなたが開放されたのはホームルームの5分前、写し終わった理緒菜が「トイレ行って来る!」とドタバタと出て行った後だった。後には理緒菜が書き写したノートと自分のノートだけが残る。
ノートを取り返そうと手に取ったあなたは奇妙な事に気がつく。
「なんだ? こいつ宿題出来てるじゃないか?」
自分のノートには理緒菜らしくない可愛い付箋紙がついている。
『バーカ、ここ間違ってるぞ。感謝しろ』
嫌な奴だ。
ロングホームルーム[編集]
幸運にも一時間目はロングホームルームである。自習か何か知らないが、担任教師は椅子に座って書類の整理をしている。唯一の心配だった隣の席の理緒菜は早速寝ている。しめしめ、これはなんとか眠れるぞ。あなたはニヤつきながら黒板を眺めていた。
『文化祭の出し物』
学級委員が二人、黒板になにやら書きたてている。そういえばそういう季節だったか。どうやら今日はそれを決めるのが議題らしい。
これはとんだ貧乏くじだ。こんな話ではザワついて寝るどころの騒ぎではない(横に居る理緒菜のようなガサツな奴を除けば)。案の上、クラスはあーでもないこーでもないと騒ぎ始めた。
「静かにしてください!」
学級委員の女子生徒が声を張り上げる。大人しい少女でトントン拍子で学級委員に決められた、ええとたしか吉崎紀子だったか。文化祭の出し物は今日決めておかないと本番に間に合わないためか、なにやら焦っている。
「静かにしてくださいってば!」
ああ、もう、眠いのに。あなたはだんだんイラついてきたのである。委員長はすでに半泣き、統率の効かないクラスはざわめき続けてあなたの鼓膜を振るわせ続ける。あなたは決して普段から正義感が強いわけではない。しかし気がついたら立ち上がって叫んでいた。
「そうだ、静かにしろ。委員長こまってるじゃねえか」
クラスが静まりかえる。あちゃー、やっちまった。赤面するあなたとは裏腹にツルの一声で、文化祭の出し物決定はその後トントン拍子に決まった。時計をみたら既に9時30分、もう寝る時間もあまりないらしい。あなたは絶望した。ついでにトイレにも行きたくなって眠るどころではない。隣の理緒菜はまだ寝ていた。
休憩時間が終り、トイレにあなたは駆け込んだ。クラスの奴に何か言われてはたまったものではない。すっきりしたところで廊下で先ほどの学級委員長、吉崎紀子に出くわす。
「あ……さっきはありがとう」
「いいって。気にすんな」
眠いは恥ずかしいはで散々な気分のあなたは背後からの柔かな視線に気がつきもせず、そっけなく教室に戻った。
昼休み[編集]
授業中に寝るつもりが一睡も出来なかったあなたはもう眠くてフラフラだ。そんなこんなで時間は経過し、ついに昼休みに突入した。妹が弁当を作ってくれなかったために仕方無くパン売り場へと向かう。学食に行ってもいいが、思いっきり飯を食ってさっさと寝たいのでパンを買って食べて、静かな場所で仮眠を取ることに決めた。
さすがに昼の学食は混んでいる。さっさと目当てのパンを確保しなければ……目の前にあった焼きそばパンとドライカレーピタサンドを手に取ろうとしたその時、背後へ強い力で引き戻された。手から離れた焼きそばパンとピタサンドは別の男子学生がさっさと購入してしまった。
「いってえな、なにしやがる!」
「アンタこそ邪魔なのよ!」
振り向くと長い金髪の少女があなたを睨んでいる。立花八重花……だったかな? ああ、そういえば去年同じクラスだったような気がする。厳しい目つきに似合わず、可愛らしいお弁当箱を抱えている。
「俺は飯を買わなきゃならんのだ! 弁当持ってるんなら邪魔すんな!」
「うるさいわね! アタシは紅茶買いに来たの! アンタこそ邪魔よ!」
ああ、もうこのバカ娘と言い争いなどしても無意味だ、俺はさっさと飯を食って寝たいんだ! そう思ったあなたは無駄な言い争いをせずにさっさとパン売り場を後にすることにした。どうせもうゴーヤクリームパンとかアタリメフルーツサンドとか美味しくないパンしか残っていないに違いない。背後で八重花の罵声が聞える。
「あはは、ご飯抜きー!」
ああ、イライラする。無視して歩くあなたの前に八重花はわざわざ回りこんできた。まだ何かいい足りないのかコイツは!
「ま、可愛そうだからあたしのお弁当あげてもいいわよ」
「は? お前はいったい何を言っているんだ?」
八重花はお弁当をあなたに手渡すと駆け出していった。
「べ、別にアンタのために作ったんじゃないからね! 勘違いしないでよ!」
見る見る駆け出していった八重花はもう見えなくなっていった。何が何だかわからない……だが、とりあえず昼食を確保することには成功したのである。後で弁当箱を返すのが面倒だと思いながらあなたは校舎の階段を昇っていった。
「うん、意外と美味いな」
屋上は少し寒いが風が心地よい。ここならこの腹立たしくて恥ずかしいお弁当も落ち着いて食べられるというものだ。食後の仮眠もさぞかし気持ちがよいことだろう。
「ソレハ、ナンデスカー?」
「わわわ、何だお前は!」
屋上だから油断していたあなたの背後から片言の日本語を操る女子生徒が現れた。
「アイアムアフラワー!」
「は?」
「ジャパニーズジョークデス! ワタシ、テレーズデース!」
「何だ? 交換留学生か?」
交換留学生という話など聞いていないぞ……
「テレーズハ、ハーフデスヨー。ダカラニホンゴモダイジョウブデス!」
「大丈夫には聞えないぞ……言っちゃ悪いがR2-D2の方が日本語が上手そうだが……」
「R2-D2? ナンデスカソレハ? ソンナコトヨリ、ソレハナンデスカ?」
「これはお弁当。出所は聞くな」
「おー、ベントウ! ジャパニーズランチボックスネー! サイショードノノカラベントー!」
「何だそれは?」
「サイショードノトハ、キッカワヒロイエノコトデス。キッカワハセキガハラノタタカイデ……」
「もう少しゆっくりしゃべってくれ。プリーズスピークジャパニーズスロウリー!」
「ノンノン、スロゥリィ!」
こうしてテレーズとの日本語と英語、日本と海外の故実をまどろっこしく話していたためにすっかり5時間目開始の時間になってしまった。
「あなたノハナシハタノシイデス! マタオハナシシマショウネー!」
あなたはまたしても昼寝のタイミングを失ってしまった。
放課後[編集]
やっと放課後だ。あなたはここまで一睡もしなかった自分をほめてやりたいと思う。さあ、早い所、家に帰ろう。今日はバイトがあるし、疲れているので部活は休もうと思う。
「センパーイ、部活いっしょにいきませんかー!」
「ちょ、長野! お前なんでここに?」
「先輩と一緒に行きたかったんでー! キャー」
マネージャーの長野佐織がわざわざ教室まで俺を迎えに来たので部活サボり計画は無に帰したあなたは仕方が無く部室に向かってとぼとぼと歩き出した。部活のサボリがすぎてチェックに来たのだろうか?
「今日はレモンのはちみつ漬けと粉末ポカリスエットとクエン酸持ってきましたー! キャー」
「えっ!? 何、その強豪運動部の全国試合並みの装備は? そもそもうちの部の練習にそんなもん要るの?」
「先輩に頑張って欲しくて朝早くから作りました! キャー」
これではとてもではないが、居眠りなどできそうに無い。
部活帰り[編集]
「よーし、今日はこの辺で撤収!」
ようやく部活が終わった。長野に見つかったら「先輩と一緒に帰りたくて待ってました! キャー」などといわれるに違いない。少し時間に余裕があるとはいえ、バイト前に無駄な時間を過ごしたくないあなたは部室をそっと抜け出した。日が落ちるのが早くなったためか、めっきり夕暮れ時の寒さが強くなっている。
「先輩ー! どこいったんですかー! キャー」
うわ、アイツまだ探してる! このままでは見つかってしまうと思ったあなたは身を隠す場所を探したが、残念ながら茶道部の茶室しかない。
「万事休すか……茶道部(急須)だけに」
「茶道では急須は使いませんよ」
ガラッと茶室のにじり口が開いて綺麗な手が手招きする。
「え?」
「何をなさっていらっしゃったのか存じ上げませんが、追われているのでしたらこちらへどうぞ。
お稽古はもう終わってますから……よければお茶を入れて差し上げますよ」
「あ、どうも」
にじり口から座敷に入れてもらい、ようやく一息つける。表で長野の声が響くが、可愛そうだが無視しておこう。
「いや、助かりました」
目の前にそっとお茶を出される。
「よかったらどうぞ……練習に使ったお湯が残ってましたから」
そういえば部室で水も飲まずに出てきたから喉がカラカラだ。
「すいませんね、何から何まで」
「いえいえ、ところで何をなさっていらっしゃたんですか?」
命の恩人の彼女、綾小路月乃は茶道部の部長でひとつ上の学年らしい。少し間延びしていて世間ずれしているところはあると感じたが、物腰といいしゃべり方といい本当のお嬢様のように感じられる。なんでこの学校に来たんだろうか?
「あ、そろそろバイトなんでこれで失礼します。結構なお手前でした」
「いえいえ、この時間なら部員も居ませんし、いつでも隠れにいらしてくださいね」
今後ここなら畳もあるし、場合によっては居眠りもできるな……などと思いながらもあなたはひとしきり礼を言うとバイト先に向かってかけだした。
帰宅[編集]
あなたはやっと家までたどり着けた。途中で魔法の世界から来たプリンセスや護衛に来たくのいちなんかにも会ったが無視した。自分のことを生き別れの妹だなどという変な少女にも出会ったが、全力を揚げて無視した。
家の中にはいると電気はまだついているようだが、妹はもう寝ているようだ。家事をして疲れているのだろう。机の上には書置きがある。
『お兄ちゃん お疲れ様。食事は暖めて食べてね』
机の上には一通り用意されたおかずとお茶がおいてある。とりあえずお茶で喉を潤すことにしたあなたはコップのお茶を飲み干す。レモンバームとジャーマンカモミールの香りがすっと鼻に抜ける。緑茶かと思ったが、ハーブティーのようだ。澪もなかなか洒落た飲み物を用意するものだ。テーブルの上に用意された食事を平らげたあなたはさっさと風呂に入って眠ることにした。さすがに働いた後の風呂は気持ちがいい。一日の疲れがすっかり取れるようだ。
布団に入ると本当にゆったりする。今日も一日いろいろ有ったが、なんやかんやで楽しかった気がする。明日はもっと面白いといいなあと思いながらあなたは眠りにつくことにした。
![]() 本項は第10回執筆コンテストに出品されました。
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