BSE
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
BSE(Boo Spongiform Exciting!)とは、人工的に作られた蛋白質因子。本来はスポンジを得るためだけのものだが、ウイルスとしても秀逸なため全世界で確定しているだけで371人の死者、53人の患者をだしている。
現在、工業的に量産されているスポンジの97.3%はプラスチック製(残りの内訳・2%はヘチマ、0.7%は高野豆腐)である。このペースでプラスチックの原材料・石油を消費してゆけば30年か40年ぐらいで枯渇すると予測されているのは読者諸賢もご存知であろう。これは10年後でも20年後でも「あと3、40年で石油が枯渇する」と発表するためだけに製作された、大変迷惑なウイルスである。
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[編集] 概要
おもに、豚やイノシシなどのもしかしたら人間の親戚かもしれない動物に接種させることで台所や浴槽用のスポンジを栽培する。最初にBSEの培養に成功したのはイギリスである。だが、イギリスは原油自給率が100%を超え、石炭産業のパイオニアでもあり天然ガスの世界シェアも4位である。そのイギリスがBSEを作った理由は、
「日本の省エネ技術が高いのに、同じ島国である我がイギリスが低いとママにおしりペンペンされてしまう。」
というマザコン的な発想からである。その後、肉とともにスポンジも採れるということで、一石二鳥であるため多くの豚に接種された。しかし、研究者や養豚業者が全頭検査していないため、肉の安全性については謎のままであった。そして、遂に第一の被害者が出てしまった。それは、当時農林水産省の大臣を務めていた武部勤衆議院議員が、イギリスに外遊(旅行)に行った際、沖縄料理ラフテーを食し感染してしまったのである。その後の武部勤は、脳がスポンジに入れ替わってしまったため、かつての雄姿は見る影もない。
[編集] 世界へ羽ばたく
こうしてBSEは日本へ伝播した。が、BSEはヒトからヒトへと感染する能力を有していない。結果、武部勤は原因不明の病死として軽く扱われた。しかし既にこの時、別の経路からBSEはイギリス脱出を果たしていた。
アメリカの検閲により削除研究所がBSEに感染していたホルスタイン種を研究用に25頭、イギリスの会社から買い取っていたのである。この25頭のうち7頭が研究の実験台として適性でないと判断され、市場に売りに出された。アメリカ国内で7頭は全て売却され、5頭が乳牛として買収され、2頭が繁殖用のメスとして買収された。この2頭が元凶であった。5年かけてBSE一族は63頭にまで膨らみ、そのうちまた5頭が繁殖用として市場に売りに出された。3頭が国外逃亡を果たし、1頭がオーストラリア、2頭がバルト三国に逃亡した。7年の後、オーストラリアで234頭にまで増殖したBSE牛は、70%が肉牛として日本へ輸出された。
[編集] 被害
上記の結果、165頭の輸出された肉牛はほぼ100%が消費され、334人の日本人死者、45人の患者をだした。
初期の段階で研究所が売りに出した7頭のうち5頭は乳牛として売却されていたが、この5頭は全て早死にし、死体は荒野に放棄されていた。この死体の肉を食した狼7頭がアメリカ国内で発狂したことが確認されている。またこの5年後BSE牛は繁殖用の2頭により63頭にまで増加していた訳だが、売りにだされなかった63頭中58頭は繁殖用5頭が市場に出回っていたその最中、牧場の経営破綻により全て焼却処分されていた。
さて問題はここからである。繁殖用5頭は結果として2頭、アメリカに留まった訳だがこの2頭は同じ牧場で15頭にまで繁殖し、出荷先のコロラド州の田舎町で37人の死者、8人の患者を出していたことが判明した。バルト三国の田舎農家に買われた2頭は1頭が事故によりまもなく死んだこと以外何も判明していないが、ラトビアで12人が謎の病死を遂げたことと関連している可能性が高い。
全てが終了したころ、やっとイギリス、アメリカ、オーストラリア、日本各国政府は異変に気付き、それぞれの国が事故調査委員会を設置し調査を開始した。やがて2ヶ月半の調査期間の後、上記の事実関係が明らかになり、イギリスの事故調査委員会は最終報告書の締めくくりにこう書いた。
- 日本の様な自給率の低く、また輸出輸入に頼りきりの国は、今回のように惨劇の舞台となる。そう、孤立した国は危ないのだ。石油は必ず枯渇する。我々は遠からずその問題を考えなければならない。
「あと3、40年で石油が枯渇する」が言いたかったイギリスの思惑は、意味不明な文脈を無視した、結論になっていない報告書の締めくくりにてたぶん成功した。たぶん。
[編集] 関連事項
| この項目「BSE」は、記事というより味無し酢豚です。この味無し酢豚に味付けしてください。貴方なりに美味しくしてください。お願いします。 (Portal:スタブ) |
この記事は第7回エクストリーム・NRV剥がしコンテストに出展されました。
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