阪神

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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阪神(はんしん)という言葉は単純であるが、実はいろいろな意味が内包されている。それを今回は順を追って解説する。

目次

[編集] 大阪と神戸

阪神という言葉はもともと、大阪市大阪民国)と神戸市という近畿における二大都市のことを指していた。

明治期以降、五港のひとつとして神戸が繁栄するようになり、それと日本の商業中心地であった大阪は自然的に結びついたため、両都市を合わせて呼ぶ習慣が出来、阪神の語が生まれたとされている。

[編集] 両都市を結ぶもの

その後、阪神の言葉は両都市をつなぐものという意味を内包するようになった。明治38年に開業した阪神電気鉄道がそれを代表する存在となり、他に阪神国道(国道2号国道43号)、阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)なども生まれている。

特に阪神電鉄は大阪・神戸両市民のみならず、沿線住民からも親しまれた。同社の関わった事業の多くには、必然的に「阪神」の言葉がつくようになって、「阪神」が阪神電鉄グループの総称ともなった。

[編集] 大阪と神戸のいずれにも属さない都市

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阪神電鉄や阪急電鉄の躍進により、大正から昭和期にかけてその間にある都市―すなわち豊中市川西市池田市尼崎市伊丹市宝塚市西宮市芦屋市などは、もともと「大阪」か「神戸」のいずれかに属していたのだが、次第に独自の文化を作り上げ、独立地域とみなされるようになった。よってこれらを総称して、「阪神地域」などと呼ぶようにもなっている。

宝塚歌劇団をつくり上げた阪急のお膝元宝塚、それに後述する野球で名を上げることになる、阪神が開発した西宮の甲子園などは、それを象徴する存在となった。

なお、この地域の地位向上には小林一三の功績が大きい。阪急総帥の小林は当時、東京を凌ぐ人口を有していて「大大阪」と呼ばれることもあった大阪を、水道さえも整備されておらず伝染病がしばしば流行るなどしていたことから「醜悪な街」と忌み嫌っており、それに変わる地域として自社線の沿線を整備しようと志したという。そして彼は実際に、住宅開発や文化事業を沿線で実施し、今日に至る阪急王国を築き上げ、阪神地域を大阪と切り離された場所に変貌させた。

[編集] 野球

阪神電鉄は日本で3番目の球団として、「大阪タイガース」を昭和11年に設立している。このときは「大阪」と名乗っていることからも分かるとおり、当時甲子園のある西宮は大阪の植民地とみなされていた。

しかし後には「神戸」、それに前述したように阪神地域とされる「尼崎」・「西宮」・「芦屋」の躍進が目覚しく、球団は「大阪」の枠を越えてしまった。そのため昭和36年、それら地域民の「われわれは大阪ではない」と主張する圧力を受け、「阪神タイガース」に改称している。

全国的に「阪神」といった場合、この意味で通用する事が多い。阪神オタクの存在が大きいためであると推測されている。

[編集] 関連項目