横浜DeNAベイスターズの選手一覧
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横浜DeNAベイスターズの選手一覧は、横浜DeNAベイスターズに所属している選手・監督・コーチ・スタッフの一覧である。
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目次
首脳陣[編集]
- アレックス・ラミレス(80)
- 巨人からやってきた
まゆゆラミちゃん。 - 衰えを心配されていたが終わってみれば四番として文句なしの成績を残した。ハマノラミチャン、ゼッコーチョー!
- しかし、2013年外野で遊びすぎて2軍降格、戦力外。DHがないセに別れを告げる。
- 2016年に監督として古巣復帰。意外と的確な采配と、独特の野球理論でクライマックスシリーズ進出や日本シリーズ進出などの実績を上げるが、「投手8番」「マシンガン継投」など監督としても遊びすぎと批判する声もある。
主な選手[編集]
投手[編集]
- 東克樹(11)
- 2017年
恒例のDeNA大卒ドラフトガチャでドラ1指名された人。バナナ。2018年オープン戦で、左腕先発投手がどんどん怪我していくのに対し(例:雨男、獲ったどー!)、この選手は怪我もせず、オープン戦のどの試合も無失点という横浜投手らしくない活躍を見せ、開幕1軍が決定する。なお、プロ初先発は7回1失点という好投をしたのにもかかわらず検閲により削除。また、2018年の新人としてただ一人、オールスターに出場。結局、雨男、獲ったどー!などが不調の中、DeNA投手陣の光であり続け、11勝5敗、防御率2.45という新人としては破格の活躍をし(防御率は左腕トップ、全体でも2位という成績。ちなみに勝利数はチームトップである。おい、DeNA投手陣、新人に楽々追い抜かれてどうするんだ。)、新人王に輝いた。2019年はDeNAのお家芸により怪我するが、5月ごろ復帰の模様。2019年もDeNA投手陣の光であり続けてほしいものである。 - なお、あまり信じたくはないがネカマの動画(ry(一応言っておくと真偽は不明)
- 井納翔一(15)
- 2012年ドラフト3位指名、奇怪な言動と風体に似つかない妙に甲高い声から付いたあだ名が宇宙人。立ち上がりが悪く初回7失点をしそのままノーノーされた経験を持つ。嫁の悪口をネットに書くと検閲により削除。
- 三嶋一輝(17)
- 2012年ドラフト2位指名。キレの良いストレートが持ち味だが悲しいほどにノーコンでセパ合わせての四球王に輝く。ルーキーイヤーからオールスターに選ばれるなど期待はされているのでどんぐり揃いの横浜投手から抜けだせるか。絵がうまい。
- 2014年オープン戦でボコボコにされるも、何故か開幕投手を任される。迎えた開幕戦で大方の予想通り爆発炎上し、2回9失点で敗戦投手となり、その後先発で炎上を繰り返し、中継ぎに配置転換もヤハリ炎上。二軍落ち。
- 広島の野村祐輔とは女子アナから二股をかけられていたことからお互いに一触即発の関係にあり、どんなに調子が悪い年でも野村祐輔が相手だと好投する。投手相手なのに三振取ったらガッツポーズするしヒット打たれたら本気で悔しがる。
- ちなみにその女は公の杉浦稔大の妻になったので来年からは活躍の機会が増えることが予想される。
- 山﨑康晃(19)
- 大卒のルーキーから
他のリリーフがゴミすぎて消去法で抑えを任される我らが「小さな大魔神」。ルーキーイヤーから58登板させられるなどルーキーイヤーからマシンガン継投の犠牲となる。だが37セーブ防御率1.92という横浜の投手陣では有り得ない数字で新人王を獲得。2018年にはセーブ王を獲得するなど着々と本家大魔神への道を進んでいる。2019/7/14現在150セーブまであと1という感じでガチで今のクローザーで250セーブ達成して名球会に入れそうな唯一のクローザーである。ストレートとツーシームだけでよくここまで来れたと思う。本拠地で彼が登板すると、ファンからジャンプの歓迎を受ける。その際のBGMはZombienationの「Kernkraft 400」である。ちなみに「山崎」でも「やまざき」でもないので要注意。
- 今永昇太(21)
- 2015年ドラフト1位。又の名をハマの雨男。どれだけ雨に打たれても援護に見放されても淡々と投げるサウスポー。
- 開幕から5試合先発中4試合QSにもかかわらず自身4連敗、6回2/3・14奪三振で黒星を喫するなどルーキーイヤーから早くも伝統・ムエンゴを披露。半ば不本意な形で注目されてしまうが、それでも夏場から巻き返して防御率2.93という好成績。「コバヤシィ!」と投げ合った試合では白星こそ付かなかったものの、「雨だから負けていい、というのはレベルが低い」というコメントを残すなど早くも大物の風格を漂わせる。どこぞの損五億あたりにでも見せてやりたいものだ。
- 2018年は不振にあえいだものの、翌2019年は
珍名枠のルーキーに負け運を押し付け、見事エースとして定着した。
- 濱口遥大(26)
- 2016年ドラフト1位を二回も外してしまい、ヤケになって指名。
- 球威と奪三振能力はかなりのもので当時も「大学No.1左腕」という触れ込みだったが、ぶっちぎりのノーコンのせいで地雷扱いに。プロ入り後も度々劇場を展開して横浜ファンを翻弄している。
- 2018年には“1人の投手による1イニング6与四球”・“1イニング5者連続与四球”・“1イニング4者連続押し出し四球”をなんと全て同時に達成するという、某ARAKAKIもびっくりの離れ業もやってのけた。ハマグチェ……。
- 上茶谷大河(27)
- 2018年ドラフト1位。もちろん球団恒例の珍名枠…とか思ってたらルーキーイヤーから早くも先発ローテに定着。流石はドラ1といったところだが、7試合目の先発でようやくプロ初勝利を掴むあたり、この球団の伝統はなお健在だという事も同時に証明したのだった。
- 三上朋也(35)
- 2013年ドラフト四位で指名される。法政大学シリーズの一人。愛称は浜照大三上。
- 2014年の開幕は一軍で迎え法政大学の後輩にしてプロの先輩の後にプロ初登板。その後好投が続き、相撲取りとソーサラーの不調により、抑えになる。
- 田中健二朗(46)
- ドラフト1位を二回も外して(ry)。と言ってもセンバツ優勝投手である。スぺ体質だが、2010年終盤についに初先発・初勝利。その後は阿斗里・コバフトに続く星達化して、虎視眈々と西武移籍を狙っているらしい。
- 平良拳太郎(59)
- 巨人から移籍してきた期待の成長株。一応どすこいの人的補償という名目ではあるが、どすこいの方が移籍早々色々やらかしちゃった事もあり、「人的補償はどすこいの方」という声も挙がっていた。
- 沖縄生まれのサイドスロー右腕という事から、“安仁屋宗八二世”として期待を寄せるファンも多い。今の年代じゃ「誰それ?」って人の方が多いかもしれないが。
- 国吉佑樹(65)
- 高崎の陰に隠れながらも、頭角を現し始めた、ハマの佑ちゃん。だが、あだ名はハマのダルビッシュであり、ムエンゴ属性を引き継ぐ元凶となったため、2011年は再三好投にもかかわらず1勝止まり。2012年は開幕ローテに食い込み好投を続けるも、やはりムエンゴは相変わらず…。三浦、加賀、高崎と来て2012年は国吉の番ではないかという不安も過ぎっていた。結局4勝を挙げ、去年の4倍勝てた。…が、負け星も3倍の12に膨らんだ。まあ、初完投できたし、来年はもう少し勝ってくれるだろう。あと、頼むからロールケーキ太りはやめろ。
野手[編集]
どんぐり捕手陣[編集]
横浜正捕手大戦を参照。
内野手[編集]
- 石川雄洋(7)
- 通称石川内野手・石内。石井琢朗の後継者……のはずなのだが、2008年の石井退団に伴い未熟ながら無理やり引き継がせた感が多少否めない。それでも控えのショートがそれ以下なのでスタメン固定。もうやだこのチーム。2010から鈴木尚典の背番号7を受け継ぎ前任者よろしく打撃が向上したが、守備難も(以前よりマシになったが)受け継いでる気がしてならない。何だかんだで盗塁・走塁が上達したし、出塁率と守備がさらに向上すればリードオフマンになれるはずなのだが。
- 石川より明らかに守備の上手い渡辺直人が入団したにも拘らず、相変わらずのショート固定。どうなってんだこの球団は。
- 2012年にはやっとまともな監督が来たおかげかセカンドコンバート。意外にもまともな守備を見せるも打撃がボロボロ。やっと調子が良くなってきてひょっとしたら首位打者も獲っちゃう?と期待させたと思ったら、自ら打ったファールボールで右手小指を骨折。なお、その打席はヒットを打って完了させている。一月ほどかかってやっと復帰したと思ったら外野手になっていた。しかもそこそこ上手い。
だったらあのショートの守備はなんだったんだよ。俺らの3年間を返せ。で、復帰二戦目にバントを空振って今度は左手人差し指を骨折。さすが横高出身、スペ体質はお墨付き。それでも、規定打席到達を目論見、ライトで先発出場するも、結局降格して療養。かと思えば半月もしないうちに練習合流。もう一喜一憂するファンで遊ぶのはやめてくれ。 - イケメンその1。なお、テレ東アナとフライデー。
外野手[編集]
- 筒香嘉智(25)
- 久々の超大型高卒新人。
- シーズン中にも関わらず、深夜の1時過ぎに寮の屋上に行って素振りをするというイチローぶりの精神の持ち主でもある。それを知った鈴木尚典前コーチも寮長に室内練習場を24時間開放して欲しいと頼み込んだそうだ。
- 熱心な鈴木尚は試合の後、他の選手の指導などで助言できない時は携帯メールを使って、褒めたり、修正点を指摘。高卒新人はみるみる変わっていった。他の選手も筒香の野球に対する姿勢は習った方が良い。本当に。
- 教育係はアホなフロントのせいでクビを切られてしまったが、2011年からもさらに覚醒できるかが課題。
- 横浜が横浜じゃなくなると騒がれた途端、どこからともなく湧いてきた観客で埋め尽くされた2010年最終戦でしっかりプロ初ホームランを打つあたり、やっぱりただものじゃない。
- 2011年は5月に右肘靭帯を痛めた所為で、8月の終わりにやっと昇格。それでも8本塁打を記録するなど、大器の片鱗を再度見せる。しかし2011年10月18日の中日戦で5打数5三振という記録を出し、中日の優勝に貢献した。まあ、来年があるさ。
- 2012年はキャンプで自軍の投手にデッドボールを受けて長期離脱。
結局、こいつもスペかよ。復帰後は何故かライトにコンバートされたりもしながら、2打席連続ホームラン、サヨナラタイムリー、2試合連続ホームランなど印象的な場面での活躍はあるものの、相変わらず三振祭り。まぁ古木よりはマシか。 - 2013年ノリさんに勝てずほぼ2軍ぐらし。監督も大激怒。お前はいつになったら覚醒するんだ。
- と思ったら2014年に突如覚醒。横浜どころか日本代表のクリーンアップを張ることにもなった。
- 乙坂智(33)
- この名前で珍名枠?と思わせておいて本名は乙坂・ルーセロ・ 智・ニコラス。
- 父親はアメリカ人。
- ちなみに明治大学のセレクションを受けたが、落選している。
主な花火職人[編集]
- 野村弘樹
- 現役時代は打撃も得意な左腕エースであり1998年の日本一に貢献、彼の薫陶を受け完成したのが吉見である。
- 斎藤隆
- 横浜だけでは飽きたらずにメジャーに進出。あっちのマウンドの方があってるのかMAX159km/hマークして大活躍、その後楽天で引退。
- 川村丈夫
- 90年代後半は先発、故障から復帰後は中継ぎに。クルーンの負傷時は守護神を務めたが、3人のランナーを出しながらその後3者連続三振で試合終了、無失点でセーブをつけるという大劇場を成し遂げ、UZGS(アルティメット残塁グランドスラム)として語り継がれている。
- 神奈川県の厚木高校から一般入試で立教大学に進学した秀才だが、慶應義塾大学に検閲により削除ことに触れるのはかわいそうだからやめよう。
- 現役引退後は投手コーチなどを歴任。
- 吉見祐治
- 通称飛ぶピッチャー。若手の野手より遥かにバントが上手く、打席に立つと相手の投手コーチが出てくる程。内角154km/hの直球を流し打ってタイムリーヒットにする技術をどうか野手に伝えてやって下さい。
- 年に1~2日程度、投げれば神がかり的なピッチング、打席に立てば自分でタイムリーを打つ「吉見デー」があるのだが、いつ来るか分からないので2010年5月に駄菓子屋さんへ金銭トレードで移籍。DH制なのにどうするの?と思っていたら見事に交流戦で抑えられてしまい、8月には完封も記録。けっこう活躍しているが防御率を見る限りやはり吉見である。かつては新人王候補だった。うんこ。その後、阪神を経て戦力外後に、ベイスターズの打撃投手となった。
伝説の大洋OB[編集]
- 平松政次
- 宝刀、カミソリシュートの持ち主。
- 怪我が多かったため、ガラスのエースと呼ばれていたが、プロ通算200勝を挙げる正統派エース。
- ちなみにアマ時代から優勝を経験し続けたエリートでありながら“200勝到達者で唯一、リーグ優勝経験の無い”人物。要するに暗黒時代を1人で背負ったお方である。言い換えれば、優勝常連チームなら300勝も狙えただろう、という秀逸な方。
- 遠藤一彦
- 80年代の大洋を代表するエース。落差のある高速フォークを武器にし、女房役の若菜と共にクロマティをおちょくりつつ弱小大洋を支えた。花火職人の師匠でもある。アキレス腱と大学の後輩が弱点。
- 1984年に17勝し、2年連続の最多勝と奪三振王を獲得する……が、なんと勝ち星と同じ数負けてしまい最多敗を記録。最多勝投手にも関わらず勝率5割という珍記録を作る。おまけに被本塁打王も獲得した。
- 優勝常連チームなら300(ry
- 田代富雄
- 大洋が誇った国産長距離ヒッター。元田代ラーメン所属。得意技は現役時代の豪快なスイングを活かした高速湯切り。
- 2009年シーズン途中で、大矢明彦に代わり、横浜大洋の指揮を執る。
- 横浜星覇会は彼を称え、当時の応援歌を随所に流すも、平成生まれの現代っ子は歌えず。そこで得意の手製の歌詞カードを掲げ、ファンの士気を高めていた。エラ。現役時代はパーマをあてており林家ペーっぽかった。
- 銚子利夫
- 高校時代は「市立銚子高校の4番ピッチャーの銚子くん」というマンガみたいなシチュエーションで甲子園に出場。
- 1988年、この年定着した三塁の好守備(わずか3失策)も光ってゴールデングラブ賞受賞は間違いないと言われていた。しかし同賞のセ・リーグ三塁手部門は守備力においては銚子よりも劣ると思われた巨人の原辰徳(126試合出場、10失策。但し、打撃成績は銚子より遥かに優秀であった)に奪われてしまった可哀想な人。
- 2008年にどうしようもない選手ばかりを集めてしまったために、フロントをクビにされてしまう。
- 斎藤明夫
- 現役時代は右腕投手として初の100勝100セーブを達成。その実績を買われ投手コーチに就任し、幅広い分野の投手の育成を期待されたが…。むしろ本人が投げたほうがよかったのでは?
- デニー友利曰く、「もう、何でこんなに殴られないといけないのっていわれるくらい殴られた。本当に怖かった」とのこと。
- 僕はね、見た目は893のように見えるんですがね、本性はかなり優しいんですよ。ただ怒ったらちょっとだけ怖いだけなんです。
- 山下大輔
- 上の人とは対照的な人。大洋に入団した猪狩守。当時は頭髪もあり、そのハンサムな顔立ちで人気を博した。野球界を影から照らす太陽である。
- デニー友利曰く、「もう、何でこんなに投げなければいけないのっていわれるくらい投げさせられた。本当に怖かった」とのこと。
- 盛田幸妃
- 彼無しにカムバック賞は語れない。トレードで放出した直後に病に倒れ、代わりに入団した中根仁が活躍したため横浜ファンを複雑な心境にさせたが、病を克服、復活して近鉄の12年振りのリーグ優勝に貢献。
- 現役時代はチームを救援するストッパーだったが、入団前に漁師の父の船が海で遭難し、後のチームの親会社に救援されたことがある。事実は小説より奇なり。2015年10月16日に45歳で永眠。
- 三浦大輔
- 無援護や味方のエラーにも文句を言わず黙々と投げる我らがばんてふ。最後の大洋戦士。もっと守備がまともで援護のある球団(巨人とか)なら200勝も可能だったであろうに、このチームに居続けたがために2016年でプロ25年目にして引退した時点で172勝である。特に“2005年8月23日を最後に対巨人戦で勝ち星なし”なんて、トコトン呪われている。それでもベイスターズファンにとって未来永劫、記憶に残るピッチャーには違いない。
- ちなみにトレードマークのリーゼントを先発日の朝に5分でセットするとか。
- 2010年、新監督を戴いて東京ドームへ乗り込んだオープン戦。相手チームが“新監督就任パーティ”を催してくれた為、真っ先に“花火職人”として盛り上げ役を務めた。その結果、毎回の4イニングで8つの花火を打ち上げる大盤振る舞い(14失点)。さすがに「やりすぎ」との御叱りを頂いて、開幕を2軍で迎えた。←ただしコレは自身の開幕登板8連敗を未然に防ぐ、頭脳的投球の賜物である。くれぐれも御間違えの無いように。
- ところが復活後の5月21日、8回1失点5被安打4奪三振でダルビッシュ有に投げ勝つという横浜らしからぬ行為を行った。
そこ!ハムの貧打のせいだろとか言わない!しかしその後は不調にあえぎ続ける。 - 2011年シーズン後半で遂に復活、ムエンゴの中力投を続けるハマのばんてふここにありを見事に示した。なお勝ち星は(ry
- 2012年はシーズン前半こそは帳尻といえる援護で、勝ち星を量産。しかし、チーム全体の勝ち星がレイオフされ、9勝目を手にした途端、ムエンゴの貧乏神が彼に取り憑き、とうとう二桁を逃してしまった。おお、ばんてふ…。引退1年目の2017年には、解説者を務めたが、DeNA戦の解説をした試合でのDeNAはシーズン通算で2勝8敗2分であり、現役時代さながらの凄まじい負け運を発揮した。
スーパーカートリオ[編集]
- 日本プロ野球界におけるベース盗難事件を参照。彼らは有名な窃盗団一味である。
- 高木豊
- 「スーパーカートリオ」1号車。目先のわずかな上積みを求めて契約更改でゴネにゴネたためフロントに煙たがれ、翌年レギュラーだったのにクビになったエピソードは「出る杭は打たれる」や「急がば回れ」や「安物買いの銭失い」などの諺の良い例である。
- そのことがトラウマになったのか、3人の息子には野球ではなくサッカーをやらせている。父譲りなのかみな俊足でその世界では期待の星であり、自身も現在はすっかりサッカー贔屓に。
- そもそも、解雇された理由として他に駒田獲得の資金捻出などの事情があるが、特筆すべきは石井琢朗との世代交代を促すためという理由であろう。こうして進藤と一緒にサード・ショートのレギュラーに定着した石井であったが、後に石川が一軍に定着した際に同じような理由で石井が戦力外になるなど、どうやら歴史は繰り返すようである。石川も気をつけろ!というかまずこの二人のレベルの選手になることをファンは期待している。
- ハゲかけてきた際、CMで堂々と公言して隠すという大胆な対策を取った。
- なお、その後育毛剤にドーピングの成分が入っていたばっかりに試合出場20日間の出場停止処分、制裁金750万円を科された選手が出てきたため、やはりプロ野球選手でハゲを隠したいならカツラである。
- そんな高木の息子の三兄弟たちはサッカーの道へ。長男は清水エスパルス、二男は東京ヴェルディ、三男はヴェルディジュニアユースでプレーしており、「高木三兄弟」として注目されている。
- そのこともあって、「サッカー通の野球解説者」として、野球解説だけでなくサッカー解説を担当することもある。スーパーカートリオは健在である。
- 見事に自慢の脚力は息子たちへ受け継がれた。
- 加藤博一
- 「スーパーカートリオ」2号車。福岡(現埼玉)の鉄道会社や兵庫の鉄道会社に在籍していたが、よく考えたら鉄道会社にスーパーカーは場違いなので移籍してきた。スーパーカーなのになぜか応援歌は行進曲だった。
- 芸人のようなキャラクターを活かしてオフや引退後にバラエティーでお茶の間の人気者になろうとするあたり、実はスーパーカーというよりファミリーワゴンあたりに近かったのでは?という仮説が立てられている。
- そんなスーパーカー?も2008年に生産終了。合掌。
- 屋鋪要
- 「スーパーカートリオ」3号車。大洋時代は3年連続盗塁王などの記録に残る活躍を見せるもチームは上位争いとは無縁だったが、駒田ショックで金持ちウサギに移籍したあとは出場機会こそ大幅に減ったがチームは優勝、日本シリーズでは守備固めでファインプレーを見せるなど記憶に残る活躍をした。どっちが幸せだったんだろう?引退後は「巨人OB」の肩書きを名乗ることが多いあたりから横浜時代はなかったことになっているようだ。
- 身なりに厳しい球団に移籍してからも特例で許可されたヒゲがトレードマーク。
ベイスターズOB[編集]
- 相川亮二
- FA権を行使して外国へ行こうとしたが、打率.255ではどこからも誘われず、仕方なく神宮の球団に移籍。
- 成績は満足いくレベルで安定しているが、「相川がいたおかげで」という目立つべき活躍より「相川のせいで」というたまのやらかしのほうが目立っちゃうところは移籍後も変わらないようだ。
- 移籍以降、横浜戦では相手ピッチャー(の打ちやすさ)を知り尽くしているためよく打つが、横浜ベンチも相川のリード(の傾向の分かりやすさ)を知り尽くしているので実質イーブンであるという説もある。
- 荒波翔
- 2010年度ドラフト3巡目で導入したトヨタ製最速自動車。
- 不調かつ、松本や下園という俊足左打の外野手がいるにもかかわらず、3巡目と言う高評価でのの指名には全スカウトが首をかしげた。下園は俊足じゃないが。
- 地元枠ということらしいが…どういう意図で指名したのかはわかりません。
- 全最速をモットーとしているため、調子の上がり下がりが激しく、故障もしやすい。ぶっちゃけ、インローに落ちる球を投げておけば、バットに当たらない。
- 他社が導入した同企業の優良自動車よりも1秒くらい差をつけられるほど速い。
- 阪神金本の引退試合で9回2アウトの場面でレフトフライを打ち、金本が捕球して試合終了。矢野の引退試合を台無しにした男とは対照的な空気読みスキルを発揮した。
- 内川聖一
- 打つアゴ。佐伯にコールドスプレーを顎にかけられ打撃開眼したとか。2008年首位打者となったが、その時の打率.378は右打者史上最高である。入団時はショートだったが、セカンドを経てファーストで打撃開眼。WBCでは好プレーを見せたが、お陰でレフトに固定されてしまった。その後2010年はライトを守ったりと、スタメン定着後も全くポジションが固定される気配がない。実は故障が多い。愛子様のお気に入り、5年15億とのことだったが村田と大喧嘩ぶちかましてついにFA宣言。球団の恥ずかしい話を披露し、自ら代理人となって突き進み、そしてハゲ鷹となっちゃいました。…こうしてまた横浜は主力選手を逃がしてしまった。これでほぼ最下位が約束された形となった。
まぁ、いたところで結果はかわらないけどさ。2011年交流戦、目下首位独走中のソフトバンクのこれまた12球団首位打者として古巣に立ちふさがる。6月18日からの横浜スタジアムでのソフトバンク2連戦では、オーナー自ら「内川を痛めつけてやる」と発言。さらにスタンドのファンからも猛然としたブーイングを浴びせかけるが18日は4-2、19日は本塁打1本を含む5-3の大活躍。一方のベイスターズは… - ホークス入団後の各種インタビューで、おそらく聞かれてもいないのに「前の球団では…」と枕詞のように古巣にも触れてくれる優しさでなんJでは大人気である。
- 江尻慎太郎
- 北の国から脱北。宮城県トップクラスの進学校を卒業後、2浪ながら一般入試で早稲田大学に合格するなどなかなか頭がいい。獲得に際しては、直前のオフで横浜が東京大学を含む国立大卒の3選手を放出していたため、「勉強が得意」要員の補強では?と囁かれた。勝ってる試合では抑えるが、ビハインドだと炎上する癖がある。2011年594男。
- 2012年オフ、鷹球団に放出。
- 大家友和
- メジャーリーグから帰ってきた。だが、メジャーに行く前はあまり目立った活躍は無かった。
- 2010年は東京ヤクルトスワローズとの3連戦で、そのうち2試合に先発登板するなどメジャー時代で培ったスタミナは存分に発揮しているが試合内容はお察し下さい。しかし、なんだかんだ7勝を挙げたため、投壊状態のチームでよくやっている。
- しかし翌年に大爆発。0勝6敗のフルボッコに遭遇し戦力外。
- その後はまさかのナックルボーラーに転身してひっそりと活躍している様子。
- 大沼幸二
- 弥太郎とのトレードで2010年オフ加入。西武の炎上系1軍半中継ぎ投手(通称『俺達』)の初代総帥にして名誉総帥。
- 結構速い球とそこそこのコントロールで二軍では神の如く(というか神)好投するが、一軍にあがると痛打され大炎上し試合を壊す。なかなかのチキンハートの持ち主である。
- 前の投手の残したランナーはひとり残らず掃除してしまうほどのキレイ好き。
- 2010年、大石の背番号を用意するため、10年背負った背番号15を譲り、自身は61に変更。
- 2011年に向けて背水の陣を敷いたと思ったところを横浜へトレード。
- 開幕こそ
運よくスーパーアーム投法で抑えてきたが、評判通りの炎上で横須賀行き。 - 2011年5月8日古巣の対埼玉西武戦に先発し、ブラウンに強襲安打を浴び、救急車で運ばれる。
- しかし、ノリさんの守備練習で送球している相手が背番号13だったため、無事が確認される。その後見事復帰し予想通り二軍無双の後一軍でビハインド神ピッチ。炎上機会を狙っていたが、2012年途中に突如引退。この年の開幕前には不倫報道で私生活も炎上させるという離れ業をやってのけている。
- 大田阿斗里
- スズメ科アトリ目の鳥人。珍名収集で契約した一人。
- ファンやフロントの期待は大きいが、勝敗や結果にこだわらない「あとり教育」で育った世代のせいか未だ勝ち星がない。ただし、二軍では毎年のように無双している。
- 長田秀一郎
- 名誉俺達( ̄⊥ ̄)慶応卒。松脂アレルギーでロージンが使えない。
- 小関竜也
- ベース踏み忘れ名人。戦力外にされて引退。寿司屋が多すぎてメジャーに行けなかった経験がある。スカパーで解説やってたりする。
- 加賀繁
- 2009年に行われたドラフトによって加入した選手の中で唯一の開幕1軍を獲得したハマのゴエモン。最近では珍しいサイドスローの先発だが、あまり目立たない。彼が好投していても、野手たちは全くもって打つ気配が無い。2010年無援護王。規定回数に達し、防御率3点台ながらたった3勝という奇跡を起こす。援護率も歴代最悪の2.47で番長の後継者として期待されている。まっとうな球団だったら勝ち数と負け数がひっくり返って2桁勝利新人王も不可能ではなかったろうに。
- あまりの負け運の発揮気味にみんなが首をかがしげる
- 先発も中継ぎもいけるので、投手不足な横浜としてはある意味救世主といえるのかもしれない。暗黒期もファンであり続けた奇特なファンからは先生の再来だとも言われている。
- 2011シーズンも先発or中継ぎ状態で迎えた開幕戦、中継ぎに登板した加賀が8,9回を抑え、9裏で大逆転。ムエンゴを高崎に押し付けまさかの開幕戦白星を獲得する。しかし開幕白星の代償で酷使無双され、遂に故障。マシンガン継投の犠牲になったのだ……。
- 加賀美希昇
- 一巡目で消えると思われていたがはま☆すた枠で入団。最速153km/hとカーブやチェンジアップ等との緩急がウリ。しかし、体幹と握力の無さと新人恒例山登り競争で最下位など課題は山積みである。
- 焦らずにやりたいとのこと。マイペース男。名前的に若干ムエンゴになりそうな気がする。
- 加藤康介
- 2009年、オリックスから戦力外をうけ、
ダメ元でトライアウトで入団。ところがシーズン途中に昇格、ハマのオジサンもいない“空白地帯”で起用されると、いつしか貴重な左の中継ぎとして重宝される。他の中継ぎが酷すぎるからな……。しかし2010年は案の定防御率がグーンと上がってしまい戦力外通告を受けた。←ところが虎に拾われる。ワカランもんだ。←しかも2012年は大活躍。ホントにわからん。
- 加藤武治
- ルーキーイヤーから中継ぎ・先発その他好き放題使われ続けて、疲弊。2007年は奮戦したものの、故障で2008年を棒に振ってしまった。2009年オフに公の自称人気者などとトレード。
- いわゆる「勉強が得意」要員の一人。批判家・みずしな孝之と同じ国立大学出身で教員免許を持つ。
- ホセ・カスティーヨ
- もともとは強肩を生かした二塁守備に定評があって獲得。フタを開けたら打撃もよい。なにせ“中堅方向の深い打球に対しノーステップ反転スローで1塁ノーバウンド”という怪物守備を披露することもあり、観る者を愉しませた。だが、よくよく観ると巨体を持て余し、フットワークを使わない守備は要所で爆死。上手・下手を論ずる前に“横着な守備”なのである。新潟でのウサギ戦では、初回無死1塁で正面2ゴロ併殺完成の好機なのに、両足に根を生やし、上体をねじっただけで2塁送球、大暴投。おかげでウサギは、初回に坂本からウナギ犬までの打者5人を送り込んだだけで5-0の完勝モード全開。初回から1死も奪えぬところで終戦という戦犯ぶりを見せた。また強打の効く打撃も得点圏で打率低下。ゆえに解雇。しかし、怪我人続出の鴎に拾われる。練習態度の怠慢さはある意味才能、という事もあってか結局あっちでも1年限りで解雇された模様。
- その後メキシコで細々と選手生活を続けていたようだが、2018年窃盗団による置き石が原因で交通事故死との報道が。合掌。
- 門倉健
- 投げるアゴ。ノーコンを逆手に取った荒れ球とアゴの長さくらいの大きな落差を誇るフォークで番長と並んで最多奪三振を獲得したこともある。
- 「10勝10敗のピッチャーはいらない」で放出されたことで知られるが、10勝してFA権持ちとはいえ前年より成績が軒並み落ちてるのに年棒アップ要求してフロントを怒らせた門倉も門倉である。そして気持いいくらいのケンカ別れで巨人にFA移籍し、野球少年に「(入団するなら)横浜はやめとけ」と吹いていたら移籍1年目の成績が軒並み自分の補償選手の工藤に負けるという憂き目に遭うことに。そして翌年解雇され、韓国球界入りするとそこで復活しブレーク。波乱万丈の野球人生を歩んでいる。
- 神内靖
- 修羅の国の二代目ベンチクラッシャー。もはや球団の伝統なのか?球団事務所すらも破壊しかねなかったためにハマへ島流しされてきた。
- 同じ左腕で前例があっただけに一応そこそこ期待されてはいたが、セ・リーグではベンチ破壊すらも満足にできず戦力外。奇しくも同じくベンチのムードクラッシャーとちょうど同じ時期にクビになったので、やはり当時の監督直々の粛清を受けたのだろう。
- 北篤
- 2文字であることを見込まれやや珍名収集で契約。2008年秋期キャンプにて打者に転向。ピッチャー減らしてどうする。それでも2軍ではクリーンナップを務め見事3割達成。
- 2011年は喜田剛が所属していたため、キター!とキダー!のWお立ち台が…実現しなかった。
- 2012年オフ、土屋とのトレードで北へ行こうランララン♪入り。北だけに。
- 木塚敦志
- 2007年は奮戦したものの、故障で2008年を棒に振ってしまった。2009には復活し、火消し役としてフル稼働。ぶっちゃけ、この人なしだとベイスターズの中継ぎは壊滅します。但し
もはや意図的ではないかというレベルでマスコミに気づかれないため、実際に試合を見ないと活躍度合が判らない。 - 一方、試合で見ると極端な前傾姿勢でのサイン交換とマウンド脇をスパイクでガシガシ掘る動作で遠目でも実に分かりやすい投手であった。
- なお、ランドルフ初登板の日に救援登板しながら突然被弾、負け投手ランドルフ。なんて離れ業もやってのける愛嬌も見せた。
- 2010年限りで引退、2軍投手コーチ就任が決定。10年間お疲れ様でした。石井琢朗・仁志・工藤・佐伯コースにならなくてファンは安心です。なお、引退試合は男気あふれる村田の所為で検閲により削除。
- 金城龍彦
- 2000年に新人王と首位打者を獲得。内川が右打者史上最高打率保持者なら金城はスイッチヒッター史上最高打率保持者(.346)である。しかしながらその実態はある年は俊足攻守ながら打率1割台の打者、ある年は3割10本を打てる中距離打者と年ごとに選手としてのタイプが変わりすぎて正直よく分からない野生の男である。現在の役割は代打の切り札といったところだが正直よく分からない。
- 全体的な傾向として、太ると守備や走塁の動きが重くなり(それでも強肩で横浜では数少ない守備の名手ではある)、痩せるとスイングに体重が乗らず打撃不振になるというめんどくさい体質の持ち主である。パワプロ10のサクセスに出てきた半田さんじゃないんだから…。
- 2010年オフ、突如FA宣言。あの成績でどこに行くんだ?
当然のごとく獲得オファーはなく結局残留。一年契約をしてしまったので2011年に頑張らなければいけない人。 - 気が付けば生え抜き野手最年長になってしまい、代打で出てくると大歓声を浴びるようになった。ドラフト同期の上位組はことごとく現役どころか野球界からも退いている中、
6位の小池と共にライトを争い続ける模様。
- 工藤公康
- 1軍に常駐していたかつての左投げのリリーフは、今やこの人と加藤康介だけになってしまった。というか先発じゃなかったのかアンタは。未だに140km/hを超える直球と大きく落ちるカーブは魅力だが、リリーフなのに連投出来ないってどういうことなの……。8月になって15秒ルールに初めて適用された不運な人でもある。2009年オフで退団し、16年ぶりに古巣埼玉西武ライオンズに戻る。監督より年上の選手って初めてじゃない?ちなみに工藤が在籍して優勝できなかった球団は横浜だけである。DeNA初代監督としても名前があがり、現役時代に果たせなかった
っていうか未来永劫無理な優勝を指揮官として果たすか!などと騒がれたが、やっぱ無理だよぅと特徴的な唇をプルプル震わせながら泣いたためいつの間にか立ち消えた。2015年シーズンから古巣の福岡ソフトバンクホークスの監督に就任。「熱男」らを率い就任1年目で1度目、「1(ワン)ダホー!」な3年目には、赤ヘル軍団を相手に下剋上してきた古巣を下し2度目、「もう1頂!」な4年目は、リーグ2位ながらも古巣のレオ軍団をCSで、赤ヘル軍団を日本シリーズで倒し下剋上を果たし、計3回の日本一に輝く名将でもある。
- 久保康友
- KY。先発とリリーフのたらい回しだった関西のお笑い球団の起用に対する不満が爆発して2013年オフに脱出してきた。
- それでなくても元々ムエンゴ持ちなのに、後を投げるリリーフ陣が脆弱な球団で大丈夫だろうか…という周囲の心配をよそに、1年目の2014年から2桁勝利達成。
- 黒羽根利規
- 珍名収集で契約した一人。
どんぐり捕手陣の中で屈指の強肩だが他は…。 - 高校時代の野球部の監督は本業・ラジコン操縦、副業・クワガタ養殖、趣味・野球のおじさんの弟である。2011年なんだかんだで1軍キャンプスタート。
- 2011/05/07現在、盗塁阻止率はリーグトップの.640。2位以下の選手の盗塁阻止率が3割以下ということからひょっとしたら、肩は武山以上に強いのかもしれない。
- 2014年には鶴岡の移籍をきっかけに正捕手の座をつかむ。
- 桑原義行
- 2ちゃんねるの一部でちんこが臭そうな選手として一躍アイドルに。彼が試合に出場するだけでスレが立つ。
- 東スポによるコーチからのいじめ報道の後、戦力外通告を受け引退。球団職員になった。イジメ報道の真偽は不明のまま。
- 小杉陽太
- カーブはなかなかのもの。割と細くすらっとしたイケメン。
- だったが、方針転換したのか2010年オフの自主トレ期間の数カ月で14㎏増量しがっちり体型に。
- 太ももがパンパンになっている。顔までパンパンになった。それでもイケメンなのには変わりはない。
- 後藤武敏
- 本名はタケトシ・ゴメス。埼玉西武ライオンズからやってきた助っ人日本人。
- 西武では三冠王どころか四冠王を獲得したことがある。二軍で。一軍ではパッとしない成績を残していた。
- 2012年は3年ぶりにホームランを打つなど、クリーンナップで活躍。
毎年、夏は爆発するんだけどね。夏は。 - 4年連続の改名という謎記録を持っている。
- 小林公太
- あだ名はコバハム。またはハム太。ハム。
- 2009年9月に横浜の入団テストを受験したところ、合格。
- 巨人の入団テストにも合格している。支配下登録を目指すサイドスロー。
- ちなみに、横浜は山口鉄也に入団テストで不合格を出したのは有名な話。
- 小林寛
- ロッテが2010年ドラフト4巡目指名予定だった強靭な下半身を持つ本格派右腕。読み方は「こばやしひろし」だが、阪神タイガースの小林宏と被るので、あだ名はコバカン。評論家からの評価は非常に高い。
- スロースターターぶりには定評がある。
- ロッテの人がやられたーって顔をしている。
- 小林太志
- あだ名はコバフト。:大学・社会人ドラフト1位で入団したピッチャーが地雷揃いの中、かなりマシな部類に入る。
- が、見た目とは裏腹に気性が荒く一人相撲で試合を壊すことも多い。鉄道会社出身でありながらやたらに遅延行為を繰り返す。また、捕手の出す停車駅を間違えるなど、コントロール出来ない電車。通称「ハマのエキスプレス」。
- ルーキーイヤーこそ先発として結果を残したものの、翌年以降は先発すると試合をぶち壊し、中継ぎに回されるとリードしてれば逆転されるなど手の付けようがないが、ビハインドでのリリーフや2軍戦では無双するという名誉総帥の沼者も認めるほどの俺達らしさをアピールするあたり、西武への移籍を求めているのかもしれない。なんて言ってたら本当にその辺りへの進路を考えなければいけなくなった。
- 斎藤隆
- 98年優勝前後を先発の軸として支えたササキ様の後輩。
- 30代も半ばの挑戦だったというのに、メジャーへ行ってからがキャリアハイという特例中の特例。
- 松坂やイチローばかり注目され、メジャー挑戦した選手が次々と夢破れて日本に帰る中、クローザーとしてしぶとく生き残る。
- 2013年は地元で頑張る模様。
- 斉藤俊雄
- どんぐり捕手陣の中で最も没個性。イケメンという唯一の個性も新沼とカブってる上、そもそもマスクで隠れてそんなに意味が無いので個性発掘のため千葉ロッテマリーンズに移籍。優勝に地味ながら貢献したものの、その後関西行きに。盥回し。何故かどんでんには重宝されている。
- 佐伯貴弘
- 隠し球。かつて4番だったがなんでよ?2009年は150本目のHRやホームスチールなど、何かと話題の選手だった。何のための前進守備だ!はもはや伝説。年に数回男前スイッチが入ってものごっつい活躍する。ホームスチールはその所為。
- 2010年限りで退団し、中日ドラゴンズへの入団が決定。マシンガン打線を知る選手がまた1人消えていった……。
- 弥太郎
- 日本ハムからトレードして1年でまたトレード。
- 契約更改時に球団の恥ずかしい話を暴露したばかりに西武ライオンズへ。2010年29試合しか使われておらず、フロントとの采配の認識の違いからトレード志願したものとも考えられる。
- 「1年しかいなかったですが、横浜ベイスターズではお世話になりました。またチームも変わり、新たな気持ちで頑張りたいと思います。」とのこと。
- 佐々木主浩
- 誰もがご存知大魔神。90年代後半のリリーフエースとしての盤石っぷりは他球団の恐怖の対象であった。現代のプロ野球風なら「コントロールのいい永川」、横浜風なら「コントロールが良くて他も全体的にすごい牛田」とでも言えばその凄さが分かるだろう。その後海を渡ってメジャーでも活躍し、現役最晩年は横浜に復帰した。復帰初年度はベテランらしい老獪なピッチングで打者を手玉に取るも、夏以降は検閲により削除、翌年もアレだったため引退した。年齢を考えれば止むをえないところもあるが、復帰後の年俸はウン億何千万円。彼を獲得するためにみゃあみゃあ煩い年のチームに放出した場外男は移籍後、優勝に貢献していた。
- とある漫画の主人公キャラクターにもなり、神社に祀られるなど、ファンからは単なる人気というより崇拝の対象となっていた。
- だが、やくみつるは彼に対してアンチ意識を持っている。
- 真田裕貴
- 他人の出したランナーをキッチリ返すハマのスウィーパー。しかし自責点にはならないので2009年のリリーフ陣で唯一防御率2点台のピッチャーである。ランナーいなけりゃ一番頼れるんだけどね。
- 頻繁なトレードの副産物で、2001年当時のドラ1『寺原(タカ)・真田(巨人)・秦(横浜)』3人が揃うという
、普通なら他球団がうらやむ珍事が発生している。2010年もフル回転でこの球団の投手の中ではかなりマシな成績を残したのだが、防御率詐欺師としてファンの評価は低い。 - 2011年オフにポスティングシステムを行使して大リーグ挑戦を表明するも、
当然のごとく獲得を希望する球団は無かった。その後、諦めきれずにごねたところ、今後面倒をみるはずの親会社の意向を無視して、売り飛ばすつもりの親会社が承諾したことによって自由契約で大リーグ挑戦を目指したものの、それでも誰も相手にしてくれず浪人生活に突入すると思われた。ところが、2012年のシーズンが始まってすぐに横浜ではなく古巣・巨人への入団を発表。一部と言わずほぼ全てのファンに「横浜から逃げる為に大リーグ挑戦なんて言ってみたんだな」と勘付かれている。しかし巨人では防御率99.9のまま戦力外通告。残っとけばよかったものを…。
- 佐村・トラヴィス・幹久
- もちろん珍名収集で契約。父親はアメリカ人。
- 1年目のシーズンオフの契約更改で球団側がポカをやらかしたというのは知る人ぞ知る逸話。しかし結局2014年オフに戦力外となった。
- 篠原貴行
- スペ体質。尾花に拾われ、一軍でも左のワンポイントで起用されているが、ファンはこの采配に納得していない模様。2010年に加藤は戦力外となったのに何故か戦力外にならなかった人。
- 2011年6月現在、全くもって信頼されていないがワンポイントで出てきて抑えたりするので、そこそこ貢献している…だけかと思ったら、あの藤川球児の持つリーグ記録にあと一つと迫る37登板連続無失点を記録したりしてセットアッパー起用されるなど、日本中のプロ野球ファンを驚かせた。
- 2012年は新監督の信頼を得られずに、再度ワンポイントに降格。左打者に四球を出しただけで降板させられた途端に明らかにムっとするなど、確執が窺える。
- 2013年春先に肘を故障したことで引退、コーチになるそうです。
- 嶋村一輝
- オリックス・バファローズからやってきた。内外野守ることができるパワーヒッター。ただし目下、代走・守備要員。
- オリックス時代、コーチにキレたことがある。練習の虫。
- 2013年1軍出場無く引退、32歳の若さでコーチになった。
- 最初は何をやるのか?とみんな首を捻ったが、名コーチである大村巌の一番弟子として大村の古巣・ロッテへの復帰後の打者育成に活躍している。
- 清水直行
- 地味様、じみっち。千葉ロッテマリーンズから那須野巧(5億円)らとのトレードでやってきた。今まで以上に安定感の無いリリーフと守備陣を背に、一体何勝出来るのだろうか……。なんて思ってたら10勝しちゃったよ。
- 勝ち頭でありながらやや負け越しの負け頭、高めの防御率ながら力のある直球で長いイニングを投げ抜く姿はかつてのドミンゴを彷彿とさせる。
- 大減俸で臨んだ2012年は故障から復帰できずとうとう戦力外。本人は現役続行する気まんまんだがもう厳しいよ…。
- 下園辰也
- 2009年は5月時点でイースタンリーグ暫定首位打者だったために昇格。以後一軍で対右先発時に1番センター、対左先発時は代打で出場。意外にパンチ力のある打撃でベイスターズではかなりハイレベルな成績を残している。長打を捨ててリードオフマンを目指すらしい。しかし守備はファンタジスタ気味。
- 2010年は吉村に代わり中軸打者としてスタメンに定着。リードオフマンじゃないけど結果をそこそこ残している。この年は走塁面でのミスが目立ち、サイクル牽制死を達成している。2011年オープン戦打撃好調であったため、ライトのレギュラーは当確と思われていたが東北地方太平洋沖地震が起こる当日の試合(この試合は特別コールドゲーム)でオープン戦にもかかわらずフェンス激突→右足脛骨(弁慶の泣き所)骨折。被災地同様復旧のメドが立たないという弁慶だけでなくチームにも相当痛い怪我となった。しかし、6月には見事に復帰を果たし、6月29日の復帰第一戦で初球をライトスタンドへホームラン。その後はIsoD.150越え(8/22現在)という選球眼を発動し、四球時々ヒットで出塁を稼いでいる。打撃センスはあるものの長打力も勝負強さもなく、脚力が並で牽制死する、守備が下手、小技もダメで、結局使いどころが代打しかない。
- イケメンその2。
- ダン・ジョンソン
- ダンジョン。外野手として獲得したら何と一塁しか守れない事が発覚し、スカウトの無能ぶりを知らしめた選手。
- 選手としては魔将軍っぽいタイプ。
- 杉原洋
- 元々は千葉ロッテマリーンズの選手。怪我に泣き3年でクビになったところをNOMOベースボールクラブで携帯ショップで働きながら練習に励んで再生し、横浜に入団というゲームの主人公のような経歴の持ち主。
- 2010年、初めての一軍登板を初先発という形で果たすも、緊張しまくりで2回1/3を3失点という内容だった。本人好みの巨乳タレントのような大きな度胸をもって臨んでほしいところ。
- 2011年、戦力外通告を受けた。
- 須田幸太
- 2010年ドラフト1位の社会人ルーキー。
- 即戦力の先発として起用されているが、2011年8月時点でチームダントツの被本塁打王に君臨している。
- また投手でありながらセンスを感じさせるバッティングやバントのうまさなどから、「うんこ」こと吉見の後継者として期待されている。
- 2014年夏に一軍昇格すると中継ぎで結果を残し先発デビュー。当然炎上と思われたが、まさかの完封。その後一度離脱があったものの援護運が強い事などから、6勝を挙げる。
- ターメル・スレッジ
- 北の国から脱北。本塁打か三振かのバッティングをしている。ファンからの愛称はスレッジハンマーやひだまりスレッジ等々。レフトの守備は一見ファンタジスタ系だが、ハラハラするだけでやらかしが意外と少ないので一安心。応援歌は神。しかし2011年退団決定。まさかの古巣復帰。まあこんなチームじゃしょうがない。
- 高城俊人
- 2011年ドラフト2位入団の高卒ルーキー。オールスター前に一軍お試し体験…のはずだったが、何故か後半戦は谷繁以来の高卒ルーキーでスタメンマスクを被り続けることに。18歳にらくらく追い抜かれるどんぐり捕手陣、お前ら一体何をやってきたんだ。
- 高宮和也
- 通称水差し野郎。2006年6月24日が誕生日!っていうか黒歴史。
- その元ネタは、オリックス戦での椎野アナによる毒舌実況。出てきていきなり四球、苦し紛れの直球で被弾し「何しに出てきた」投球。良い球は持っててもそれを活かせないチキンハート。最近サイドスローに転向して1軍でも左のワンポイントとして起用されるが被弾癖は直っておらず、ルイズには場外弾も打たれた始末。2010年は左打者を打ち取った後、必ずフォアボールを出す役割をしていた。そのくせ大矢にひいきされていた。
- 2010年に寺原と共に関西へと行った。何故トラウマへと行く?
- 那須野、相川そして高宮も他球団に行ってしまった。椎野さん泣いてるんじゃないの
www?
- 高森勇気
- キャッチャーだったけど一塁にコンバート。選球眼もあるので将来のクリーンナップ候補か?しかし2010年開幕2軍絶好調だったものの、終盤では北にクリーンナップを奪われてしまった。引退後は野球ライターとしての才能が開花した。
- 武山真吾
- どんぐり捕手陣の中ではパンチ力と肩、鼻から下の面白さを買われている。2010年は主戦捕手だが打率は低かった。
- 2011年、何気に2011年6月28日(火) 現在.500。
- 西武にトレードされた。なお、移籍後は一軍にすらあげてもらえず。武山はいい捕手とはなんだったのか。
- と思ったら、中日にトレードされて正捕手争いに加わる、というセ・リーグ全体の捕手のレベルの低さが問われる事態になっている。
- 高崎健太郎
- 大差ビハインドでのロングリリーフ&消化試合なら神がかり的なピッチングを披露するが、僅差か勝ち越しだと途端に打たれる。即戦力候補じゃなかったのよ……。牽制球だけなら超一流。別名は右の水差し。オフシーズンはいつもファンに期待されてるが……。
- しかし何が起きたのか2010年途中から覚醒を始め、2011年には「ハマのエース(先発ローテ一番)」の座を獲得、防御率はなかなか。だが規定投球回に到達しながらも、ムエンゴとハマの俺達中継ぎ陣にやられ、気付けばなんと5勝15敗と散々な成績に終わってしまった。早速、ハマのファンたちは健太郎ちゃんを救う会を発足することにしたが、もう一人ムエンゴ病に泣く重病患者が出てきてしまった。
- 2012年は7勝とキャリアハイ。髪型もリーゼント風にするなど名実ともにエースに近づいてきたが投げては8回2失点完投、打ってはタイムリー、しかし結果は2−1で負けるなど絶望的なムエンゴは続いている。
- 多村仁志
- 気付けばもう6年も前か…とふと懐かしむ頃合になりつつあった元球団本塁打記録保持者…もとい横浜製スペランカー、鷹の巣よりまさかの帰還。
- 本人としては、最近ようやく家族の引っ越しを終えたというのだからある意味残念な感じではあるけれども。
- その後、そこそこ活躍したのにも関わらず、戦力外通告で中日で育成選手として再起を図るもわずか1年で引退。金城と並んで「功労者に対しても見切りのタイミングを間違えない」高田体制のクールさを示した。
- 鶴岡一成
- サナダムシとのトレードで球界の盟主(笑)に移籍するもFAで帰ってきた。横浜に戻る喜びを感じ、これで正捕手大戦にようやく終止符…と思いきや、今度はKYの人的補償で関西のお笑い球団へ。
それでなくても外様の捕手ばかりかき集めるような球団に果たして二番手捕手の居場所はあるのだろうか…。と、思われたがその後引退、何故かロッテのコーチを経て、古巣の一軍バッテリーコーチとして戻ってきた。
- 寺原隼人
- 次期エース候補だったスペランカー。
- 貧乏暇無しでチームでは鷹⇒☆⇒牛⇒鷹⇒燕。役割分担では先発⇒クローザー⇒ヒ魔人⇒怪我⇒先発⇒怪我(以下略)と転々としていた。
- 永遠の未完の大器もラストチャンスをかけ、関西へ。そして脱西して鷹に帰る。チックの影に隠れてるがこの人も…お察し下さい。
- 内藤雄太
- お、ナイトゥー!
- 2005年ドラ3の左の大卒外野手中距離ヒッター。しばらく二軍で調整を続け、2009年にプチブレークを果たすも2010年は不調に。
- 大卒として勝負の年になろうという2011年は浅尾拓也からサヨナラヒットを放ち、チームの8年振りの開幕戦勝利に導いた。
- 試合出場の為、ファースト、サード、レフト、キャッチャーの練習を積んでいたそうな。
- 中村紀洋
- みんな大好き話題が豊富なノリさん。さすがにリストラだろう!…と思いきや不死鳥の如く横浜に舞い戻ってきた。
- 近鉄(白)⇒アメリカ(黒歴史)⇒オリックス(黒)⇒中日(白)⇒楽天(黒)という流れなので横浜でのノリさんはおそらく白であると推測される。一つ心配な事は本人の性格や親会社がアレなので間違いなくノリさんの存在が浮くであろうということ。
- 白いノリさんが続くと思いきや、小学生をいじめてたのと采配批判で黒いノリさんも潜んでいたことが判明。登場曲が「暴れん坊将軍」だけど、
上様に成敗されるのはお前じゃねぇの?←本当に成敗されてしまった。
- 那須野巧
- 長身左腕と恵まれた条件を持ちながら練習嫌いが祟って損5億、いわば『生きた不良債権』。左投げピッチャーと左手で投げる人が、いかに遠い存在か思い知らされた。変化球は入らない、ストレートならホームラン、と一体どうすればいいのかもう誰にも分からない。椎野じゃなくてもキレるよ練習しろよ。と、思ってたらついにお菓子会社にトレードされた。しかしやってくる選手とこいつが見合うかは成績をみたら一目瞭然である。
- 恵まれた体格やワイルドな顔立ち、一見将来が期待できそうな荒削りなプレースタイルなどから「投げる古木」と形容されたことも。その古木も野球を諦めて格闘家に転身した今、元彼女よりもギリギリでがけっぷちの正念場なのかもしれない。結局、2011年オフに前述のお菓子会社からも解雇された。
- 新沼慎二
- どんぐり捕手陣の中では飛びぬけたイケメンの持ち主だが、他は…と思いきや2010年にあの岩瀬を打ち崩して初サヨナラ&お立ち台。どうなってるの。
- 2011年よりまさかの選手会長就任。意外性が売りでここまで生き残っている。
- 2012年現役引退。引退セレモニーはタクローに食われちゃったし監督には「大したことない選手」って言われちゃった。
- 仁志敏久
- グッチョン。2009シーズンは極度の打撃不振に陥り(4月終了時で打率1割。100打数到達時には、わずか15安打)、2軍で再調整。昇格してからは対左投手時に2番セカンドでスタメン起用され続けるが、8月に入っても打率1割5分で完全にお荷物と化した。守備は今でもそれだけで飯を食っていけるレベルなのだが、守備固めではなくあえてスタメン起用するのが田代流である。2009年限りで退団。「メジャーも視野に入れる(キリッ」とか言ってたのにその後音沙汰なし。結局独立リーグのランカスター・バーンストーマーズに入団するが打撃は不調のままであっさり引退。唯一の偉業はチームメイトだったハーパーを横浜に送り込んだこと。
- 野中信吾
- 俊足なのに盗塁死多数。守備もやや下手で、打撃はもっと下手。関西行きその3。
- ブレット・ハーパー
- 2010年シーズン途中に有明のハーバーと名前が似ていたからテスト入団。ただでさえ投手が足りないのに何で野手なんだよ、と思ったら7月18日の読売ジャイアンツ戦ではマーク・クルーンから逆転サヨナラ満塁ホームランを放つなど大爆発。打線の救世主に。彼がいなかったらただでさえ打率並に低い勝率が2割台に落ちていたのは言うまでもない。2011年現在もホームラン、安打ともに量産中。守備は気にしてはいけない。三振させると、でかいフォロースルーのせいで相手捕手に血の色を見せることが度々ある。通称:「ブラッド・ハーパー」。2011年オフ、上々の成績もフロントともめたため退団。2012年はワシに。
- 橋本将
- 駄菓子屋さんから拉致に成功。しかし盗塁が全く刺すことができず、ずっと故障していて忘却の彼方へ。
- 2010年契約更改時に球団の恥ずかしい話を暴露した
が、そもそも内情をしっかり把握して暴露できるくらい1軍にいたかどうかは甚だ疑問である。この話をした内川・弥太郎ともに横浜を去っており、年齢的にも2011年は巻き返しがいるところだったが、オフに戦力外を受け、正捕手大戦から戦線離脱した。
- 秦裕二
- 年によって好不調が変わる選手。そろそろ化けないとトレードとか戦力外通告されてしまうので頑張らないといけない所。素質はあるもののなかなか伸びない。多分トレードしたら活躍するんだろうきっと。
- 横浜に在籍する同期の高卒ドラ1の中で唯一の生え抜きである(横浜のドラ1や逆指名と言った選手はほとんど全滅である)。
- 2011年、戦力外通告を受けた。
- クレイトン・ハミルトン
- 球団で初めてtwitterを使用し、呟いている。
- 2011年は絶賛ムエンゴ中の負さんに星のめぐりで勝った一勝だけなのに契約更新&一軍残留。広報係として
球団の公式twitterよりも役に立っているからか。haha。
- 早川大輔
- 千葉ロッテマリーンズから尾花監督の熱い要望で獲得した。通称バット投げ職人。捕手殺しのバット投げで有名。パワプロによるとチームプレイ○。危険なので横須賀に幽閉されている。ロッテ早川バット投げ外野手とは別人ということか。2011年自慢のバット投げに限界がきたため引退。
- 藤井秀悟
- 男村田の人的保障で獲得した問題児。
- 2012年は打線の援護率が高く、「連敗ストッパー」として活躍している。燕さん、公さん、初めからやれ。
- なんだかんだでチーム勝ち星二位で乙女と化した村田のバーターとしては充分な働きだった(実質ラミレスとのトレードだと考えたら、おまけとしては十分お得だった)。
- 2014年…そして、戦力外を通告される。
- 藤江均
- NOMOベースボールクラブ直伝の伝家の宝刀であるフォークを武器に、先発、中継ぎで起用されている。顔が亀田三兄弟の一員っぽい。
- 巨人打線を無死満塁から0点に抑えたこともあるなど、その顔に見合ったマウンド度胸に期待されていたが、2014年戦力外に。
- 藤田一也
- 広島戦で解説していた達川に「打撃はアマチュア」と酷評される。しかし最近は打撃・守備共に上達し、”プロ”に昇格した。たまにアマに戻る。なんといってもセカンド・ショートにおける鉄壁の守備への評価は高い。普通ならセンターへ抜けるような打球も悉くプロのグラブへ吸い込まれてゆく。
- 東京ヤクルトスワローズが大好きで、2010年の自身初の5打数5安打(2塁打打てばサイクルヒット)を初め、このカード限定でハマのイチローになる。
- また、ヤクルトよりも大好きなのは山梨県小瀬スポーツ公園野球場で3年越しで8打数8安打を記録。このカード限定でただのイチローになる。
- スーパーサブ的な役割に回ることの多い2010年に打撃好調なのは歯がゆいところ。
- チャンスをことごとく潰す。しかし、チャンスで無い時はよく打つ。
- 2012年に楽天にトレード。代わりにやってきたのは、1hyde+7cmの小学生だった。
- トニ・ブランコ
- もう末期っぽいおじいさんが監督の名古屋の球団から逃亡。
- 2013年。前半戦大活躍も、後半はO氏の圧力3秒前に圧される。が、2冠です。
- 古木克明
- 伝説の珍プレイヤー。パワフルな打撃から毎年のように中軸候補として期待されながらも、あーっと!を連発しレギュラーの座を掴めず。彼の素晴らしい守備の数々に多くのファンが感動を覚えた。結局、めちゃくちゃな成績ととんでもない守備が祟りオリックス・バファローズへ放出されるも2009年限りで解雇。そして引退し、格闘家へと華麗に転身。そのくせ、2010年春季キャンプには参加させてもらえる。ミラクルな古巣への現役復帰…、そりゃ無理か。
- なーんて考えていたら2011年、まさかの球界再挑戦を表明。ユーモアたっぷりである我々の想像をはるかに上回る行動に目を疑った人々も多いことであろう。ちなみに、いつまでも夢を追い続ける少年に愛想が尽きた奥さんは子供を連れて独身に戻っている。
- シーズン成績22本37打点はもはや伝説。
- 細山田武史
- 入団会見時に「大矢監督の分身になれるように頑張りたい」と発言。ハンカチ王子と大学時代バッテリーを組んで4期連続ベストナイン、1度は首位打者に輝いているが、プロでは打率1割5分。ただしバントは上手く、明らかなボール球をバントで2ランスクイズに繋げた。
- 大卒ルーキーだが2009年は捕手陣で最も出場試合数が多く、最もマシな捕球技術とリードでどんぐり捕手陣期待の星。2010年は育成モード。去年やれ、と思ったファンも少なくない。2011年2軍キャプテン就任。でも2013年オフに戦力外を受け、正捕手大戦から離脱。
- 眞下貴之
- そこまで変わってはいないが一応珍名ということで獲得。2軍で育成中。高卒ルーキーながら巨人相手に好投。
- 落差のあるカーブが武器だがそれしか大した変化球が投げられないという致命的な欠点がある。縦のカーブだけでプロの飯を食っていけるとはまさにこいつのことだっ!
- 2011年5月10日、上毛新聞敷島球場にて遂にプロ初勝利を果たすも、以降はフォームを崩してしまい2014年戦力外に。
- 松本啓二朗
- 父は甲子園優勝投手で高校野球の監督、自身(と弟)も高校でいわゆる親子鷹で甲子園に出場し、早稲田大学では通産100安打と六大学野球リーグベストナイン5回の絵に描いたような野球エリート。とらのでんしゃやさんとのクジ引きの末に獲得。2009年は大学の同期の細山田とともに開幕を1軍で迎え、走攻守そろった外野の即戦力として期待されるも、攻が即戦力でなかったので育成中。でも走と守はすでになかなかのものを持っているので期待しているファンは多い。
まぁ言うほど俊足でもない気がするが。 - 2009年は別の「俊足好守の松本外野手」が新人王だったため悔しがる横浜ファンも多かった。
- ブランドン・マン
- ハミルトンと共にテストで入団。登録名が「マン」だと次に「こ」から始まる名前の投手を投げさせると気まずいことになるため、登録名は「ブランドン」に。
- ハミルトンが2012年シーズン途中でクビになると二代目twitter広報に就任。「きょ わ たかさきさん がばらます!!!!!」など癒し系日本語で多くのファンの心を掴むが同年オフにクビ。
- 「みなさん、こんしゅうちゅう、あめりかにかえることとなりました。いままでおうえんしてくれてありがとう!!」と上達ぶりを見せ付けるが、コントロールも同じくらいよくなっていれば…。
- 村田修一
- 若き主砲、男村田。またの名をキングボンビー。誰かしらの引退試合になると妙に4番バッターらしい働きをする。また「自分はお金で動くほどヤワな男ではないです」などと言っておきながら、契約更改ではみかじめ料を要求する893の如く球界屈指の守銭奴ぶりを発揮している。2011年からは全力疾走を公言。内野安打と得点を量産する姿はさながら1番バッターの様である。その全力疾走が評価され、この年のオールスターゲームでは
セリーグ打線からまんべんなくホームランが出る展開で肝心の4番なのに内野安打2本を放ち、翌日まさかの代走・村田が発生。きっちり本塁まで生還するという俊足プレイを魅せた。 - その年のオフにFA行使で優勝できる球団へ直行した。そして内川同様古巣への悪口をきっちりと言い放った。それに怒った横浜ファンの呪いが効いたのか、元々大したことがなかったのか終盤には途中交代連発。
ざまぁみろ。 - ちなみに入団時はセカンドだった。
- 入団以来、勝率5割を一度も経験していなかった。さらに、村田の機嫌を取らなければならなかったので、チームは混迷した。そのため、パワプロのムード×が二つ以上必要な勢いであった。
- ナイジャー・モーガン
- T
- 北海道のハンカチ王子よりも持ってるスポーツカー。特技はデッドボール、自らは野球の基本と称しているだけあり、自らの体を犠牲にして避けるふりをしてあたりにいく技は尊敬に値する。
- 一年であばよ!
- 森本稀哲
- ドラゴンボールの世界から迷い込み北の大地で生活をしていたが、南下。
スベリまくりのパフォーマンスと走攻守のバランスのよさには定評のある。入団会見から早速ラーメンマンになりきっちゃった。 - 2012年は守備固めが多かったものの、2013年帰ってきたスペランカーやT、生え抜きベテラン・若手共に為す術無く、3試合で3打数0安打で自爆。
- まだ漫画の世界に帰らないらしい。
- 山口俊
- 3代目ヒ魔神。通称どすこい。直球の威力は間違いなくベイスターズ中No.1なのだが、連投出来ないという致命的な欠点を持つ。先発させようにも球種が足りず、どこで使えば良いのか判らない。
- サドンデス的に試合を終える強引な終幕(世間で言うサヨナラ負け)が多い。6点差で勝ち越してる時に9回2アウトで後一人というところで山口がマウンドに登ったところ瞬く間に3点を取られるなんてのはざら。この試合の解説をしてたゆで卵は山口がマウンドに上がったとき、「あと一人抑えるだけなのでッ余裕でしょう」と言っていたが山口がバカスカ打たれた次の瞬間には「以前阪神が9回に8点取って逆転勝利するということがありましてねえ」とフラグを全力で立ててたがなんとか敗北は回避。
- 2011年は高崎登板時を除いて抜群の安定感を誇った。比較的安心して見ていられる(?)抑え投手に成長。相変わらずランナーを出してしまう癖があるが、その後をしっかり無失点に抑えるのがこれまでの山口と違う点である。ストレートはコーナーにズバッと決まるわフォークはよく落ちるわその上シュートしながら落ちていくフォークも投げるわで全く手がつけられず(良い意味で)、三者連続三振という全盛期の大魔神が乗り移ったかのような投球を披露することが多かった。ただし、DeNAへの身売りが実質決まった為、横浜ベイスターズ最終戦となることが確定していた10月22日の巨人戦では長野久義に首位打者決定おめでとう代打サヨナラ満塁弾を浴びるあたり、さすがと言わざるを得ない。
- 2014年4月2日の5点リードを5点ビハインドにしてしまったのをきっかけに、すぐさま2軍で転生手術を受けることとなる。転生後、先発で8勝を収めたことで中継ぎ抑えでは全く機能しないことが証明された。
- 2016年は11勝5完投3完封とエース級の活躍も、まさかの規定投球回達成ならず…またこの年の開幕投手、球宴、cS開幕投手すべて怪我で欠席
- 2017年には巨人にFAするが…
- 山崎憲晴
- 熟女と結婚したことが最初で最後のネタになるんじゃないか。守備はいいが打撃がまだまだの藤田系。同期の細山田と松本の陰に隠れたが2009年はルーキーで開幕一軍。そんだけ横浜の層が薄いともとれる。
- …と思ってたら2013年、謎の覚醒。ちょうちょを追いかけない姿勢が評価された。
- 山本省吾
- 2010年オフに移籍。実は結構お年だったりする。出る出る詐欺師。
- 勝ち数は安定してるものの防御率は3点台→4点台→5点台と年々悪化している。加えて2011年からはベイ打線の名物「ムエンゴ」があるため見事に負けを重ねて横須賀送りにされていた。
- 2012年オフ、鷹球団に放出。
- 吉村裕基
- 俊足のHRバッター。村田とは同じ高校の出身で一緒にパワプロをやる仲だが、パワプロ内での村田の守備能力の低さから「動け、デブ!」と叫び、村田の心を大いに傷つけた。また新婚の村田宅に上がりこむなどの図々しい行いもしている。
- 年々打率の低下と引き換えにHRを増やしていたものの、2009年は遂に打率・HR共に低下、2010年も不調続き。
- 2011年は開幕ダッシュに成功するも、以後失速。解説者の口癖として、「素材はピカイチなんだけどねぇ。。。」
- そしてとうとう2012年オフ、鷹球団に放出。残念。
- スティーブン・ランドルフ
- 2009年7月に駆け込みで入団。年齢も35歳とあって、応急処置的補強かと思いきや、初打席でホームラン・デビュー。
ザル守備に頼らず、三振で窮地を乗り切るなど投打で川上憲伸並の実力を発揮。次年度の契約を勝ち取ってしまう。2009年オフは「2010年は25勝します」宣言をしたため、天国野球協会が調子こいているという理由に極度な負け運をつけさせる。 - 2010年、その極度な負け運により「一被安打で負け」などの珍記録も出している。そしてそのまま2010年一度はクビに…。
- しかし、期待されていたリーチが戻ってこなかった等もあり2011/05/24に再契約となった。
- しかし、一か月後の2011/06/28「一軍レベルではないと判断した」ということでさよなランドルフを告げられた。。。
- ブレント・リーチ
- 内川の補償金1億200万円から森本の補償金4800万円・渡辺直の補償金を引いての推定4500万円を元手に加地球団社長がここで一発リーチを賭けて上積み1500万円で獲得したCR横浜物語主人公、外国人左腕。
- いろんな意味で球団がリーチをしているだけに横浜球団の運命が彼にかかっている。ざわ…
- 地震で横浜の外国人選手(台湾選手は除く)は一時避難したが、彼だけ避難生活が長期に及んだ。
- そして震災から4ヵ月後の7月、彼は遂に震災から立ち直り、相変わらずの先発投壊状態の救世主として一軍にアガってきた。しかし一軍では1勝のみに留まり、同期入団のハミルトンやブランドンを差し置いて1年限りで解雇となってしまった。
- 渡辺直人
- クズ様。岩隈久志のメジャー移籍するする詐欺などの影響でレギュラーだったのにここにトレードされた。
どんな罰ゲームだ! - 流石の小物も同情の涙を流していた。現在でも楽天ファンに愛されている選手であり、楽天との交流戦では相手側からも大歓声が沸く。
内川と村田とはエラい違いである。打率2割台後半ながら得点圏打率が3割も超えている。プードルのショート固定によりセカンドにコンバートせざるを得なかったが、ショート守備の送球は火を見るより明らか。たまにポロリもあるよ!左肩脱臼の為にリハビリしていたが、長者とのトレードで狭山丘陵に移籍。 - サンキュークッズ。
- 王溢正
- 2013年のWBCでちゃっかりと代表入りした万年二軍投手。しかしキューバ戦で3連打を浴びて大炎上し1アウトも取れないまま降板。台湾代表の第2ラウンド敗退を決定づけてしまった。2013/05/29にクビ。
その他の球団OB[編集]
関連項目[編集]
球団概要 : | 選手一覧 - 横浜スタジアム - 横浜市 |
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歴代監督 : | 近藤昭仁 - 大矢明彦 - 権藤博 - 森祇晶 - 山下大輔 - 牛島和彦 - 尾花高夫 - 中畑清 - アレックス・ラミレス |
投手(現役) : | 投手一覧 |
捕手(現役) : | 横浜正捕手大戦を参照 |
内野手(現役) : | 前田大和 - その他内野手一覧 |
外野手(現役) : | 外野手一覧 |
OB(在籍経験者) : | 稲田直人 - 内川聖一 - 清水直行 - 早川大輔 - 古木克明 - ウゴ・ケデブ - モンチッチ - ブレント・リーチ - 渡辺直人 - 森本稀哲 - ノリ様 - 危険遊具 - スペランカー |
用語 : | 何のための前進守備だ! - ノーアウトかワンアウトでランナーが三塁にいるときスクイズしないと死んじゃう病 - 横浜大洋銀行 |
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ |
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巨 燕 星 竜 虎 鯉 | 狐 鷲 鴎 獅 牛 鷹 |
セ・パ交流戦 - オールスターゲーム | |
クライマックスシリーズ ( クライマックスシリーズの呪い - 惨劇の巨人 ) | |
日本シリーズ ( 2005年の日本シリーズ ) | |
10.19 - 10.8決戦 - メークドラマ・メークレジェンド | |
先発投手 - 責任投手 - 完全試合 - 統一球 - 小松式ドネーション | |
盗塁 - 守備妨害 - 野球拳 - インジケーター | |
10年に1人の逸材 - 一軍半 - 育て屋 - わしが育てた - 11月21日 | |
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