桜吹雪

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桜吹雪(さくらふぶき)は、の季語。

当然ながら「」はの季語、「吹雪」はの季語であり、昭和時代までは桜が吹雪のように舞うということから春の季語とされていた。しかし、平成初頭に、谷村新司加山雄三が突如「桜吹雪は夏の季語」と言い出して以降、その認識で定着したため、現在では夏の季語とされている。とりわけ夏休みの宿題などと同様の季節である晩夏の季節を指すことが多く、先祖があの世へ戻って行った後になると各種マスコミに取り上げられることも多い。

語源[編集]

寒さ激しい冬を乗り越えて迎えた春。花粉症など存在しなかった時代の人間は、日照時間が日に日に伸び、朝晩の寒さも落ち着いてきたころに咲く桜に春の訪れを感じた。そんな美しい桜の花も、日が経つに連れて徐々に散り始め、ついには少しの風でさながら吹雪のごとく一気に散り行くのを目の当たりにすることで、いよいよ春から初夏の折が近づいていることを実感した。桜が散り行くことへの虚しさと、冬が終わり春が来たことへの高揚感を端的にまとめたのが「桜吹雪」の語源である。

数多とある花の中でも、江戸も上方も、東京も大阪も桜だけは特別であり、江戸市中で「金さん」と親しまれた男や、北町奉行などが肩に桜吹雪を入れ墨をしていたことが記録に残っているほど。歴史的にも、「桜吹雪」という言葉が単なる単語としても、また季語としても他の「花吹雪」とは若干異なり、より華やかなイメージを持たれていたことが分かる。

夏の季語として[編集]

こうした経緯もあって、長らく春の季語として疑う者は誰一人といなかった「桜吹雪」という言葉。だが、「山手線一周でアメリカ本土全域が買える」と言われるなど日本人が常識という常識を破壊し続けたバブル景気が終末を迎えたころ、ついにこの季語の常識までも破壊される出来事が起きた。1992年夏、いずれも歌手で作詞家を務める谷村新司と加山雄三が「桜吹雪は夏の季語ではないか」と提起したのである。

この時、二人は「桜吹雪のサライの空へいつか帰るその時まで」と、なぜか俳句でもなんでもない、季語を不要とする単なる都々逸を詠んだことから、学会を中心に大論争が巻き起こった[不要出典]が、これが市民に大ヒット。たちまち「桜吹雪」は夏の季語としての市民権を得ることとなった。

その間も学者の中では、下火になりつつも細々とした論争が行われていたが、発表から15年以上経た2010年代に入ると、

「毎年来る夏、暑さにウンザリしながら働き続け、ちょっとした親戚と会う期間()を挟んでいったんは気持ちがリセットされたものの、結局はまたいつもの単調な流れに戻った8月末。テレビを付ければこれも毎年、なぜか20時50分前後を見計らったかの如く東京・武道館へ到着するマラソンランナーの姿があり、さながら感動的シーンのように映る。そして、それを迎える谷村・加山が詠んだ都々逸に用いられる『桜吹雪』は、単調極まる晩夏の暮らしを見事に言い表している」

と公式見解が出され、晴れて夏の季語として公式に認められた。

夏の季語への反対意見[編集]

こうして夏の季語として認められた「桜吹雪」に対して不服を申し立てた団体がPTA及び日教組だ。申請によれば、「8月末のダラダラした気持ちを言い表したとされているが、実際には夏休みの宿題に追われる児童・生徒や、夏休みの宿題に追われる児童・生徒に追われる親など、学会が見なしたものと一致しない人間も数多くいる」というものだった。しかしPTA内部でも、「まだ8月最後の週末の段階ではうちの子は慌てない」「うちの子は晩夏どころか初秋に入っても手を付けない」など意見が一致していないのが実情で、不服申し立てが認められる可能性は極めて薄い。

関連項目[編集]


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