東北新幹線

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東北新幹線(とうほくしんかんせん)とは、東北地方を通る高速鉄道路線(新幹線)のことである。

概要[編集]

東北新幹線は、従来の東北本線に代わる新しい大動脈として建設された路線である。東京から東北地方を通り、最終的には青函トンネルを通って北海道へと至る。

1971年から着工し、1982年に最初の開業区間として大宮~盛岡間が開通。続いて1985年には上野~大宮間、1991年に東京~上野間が開通したことで、東北地方と東京が直結し、東北地方の人々は従来の東北本線の特急よりも早い新幹線にこぞって乗り込み、東京一極集中と東北本線特急の廃止に大きく貢献した。

このときはまだ東北地方を走る新幹線ということで、東北新幹線と呼ばれていたのである。

しかし、実際には東北新幹線は「全国新幹線鉄道整備法」という法律によって、北海道までの延伸を前提として建設されたものである。当初は東北地方の各駅に律儀に停車していた列車も、年を経るごとに段々と東北地方への待遇が冷ややかになっていくことになるのであった。

2016年現在では、北海道新幹線の開業により、東北新幹線の存在感は急速に衰えることとなった。一体どうなってしまうのだろうか!?

歴史[編集]

始まり[編集]

時は1967年。東海道新幹線の大成功に気を良くした国鉄は、「日本全国に新幹線を網の目のように走らせよう」という、途方もない計画をぶち上げた。政府はこの途方もない計画に乗り気になり、1970年「全国新幹線鉄道整備法」を公布して、実際に新幹線を日本各地に建設しようということになる。その中の一つとして挙げられていたのがこの東北新幹線であった。

早くも翌年の1971年には着工し、当時東京に出るためには東北本線の特急や急行に長時間乗車しなければならなかった、東北地方の住民や北海道から青函連絡船に乗って青森にやってくる北海道の住民は大いに沸いた。

当時の特急列車では、上野~青森間が10時間以上もかかっており、当時の感覚からすれば東京はとても遠い夢の中の土地だったのである。

最初の開業[編集]

その後、1982年に一先ず大宮~盛岡間が開通する。大宮から東京まではというと、沿線のプロ市民の建設反対運動により、ぐにゃぐにゃなルートを選択せざるを得なくなってしまい、この区間の最高速度が120km/hという在来線並みの速度にさせられてしまうなど影響が出ることになった。条件として、新幹線に沿った通勤路線を建設しろと主張したプロ市民に対し、国鉄は埼京線を建設して爆音轟かせる車両を走らせ、新幹線よりも在来線のほうがうるさいという本末転倒な事態を作り出すなどの嫌がらせを行ったが、沿線住民は便利になったので満足したのか特にその後文句を言われることはなく、工事は順調に進んでいった。

そして1991年、国鉄JR東日本になってからようやく東京まで繋がり、ひとまず東北地方を走る新幹線としての役目を果たせるようになった。

青函トンネルと4時間の壁[編集]

そんな中、1961年からすでに着工していた青函トンネルは、東北新幹線計画を遂行するにあたってトンネルの規格を新幹線サイズとし、東京から北海道までを一直線につなぐ新しい高速鉄道の一部として組み込まれることになっていた。

しかし、東北新幹線が開業して以来、徐々に北へ北へと延伸され、また最高速度が向上する一方、盛岡~青函トンネル間と、青函トンネル~新函館北斗間は時速260km/h、青函トンネル内だけは時速140km/hでの運転を余儀なくされることになることになった。 これは、青函トンネル内は在来の貨物列車とのすれ違い時に、新幹線が高速ですれ違うとふとんが貨物が吹っ飛んでしまうのではないかという懸念からの措置、そのほかの区間は法律で定められた最高速度を「金を払ってまで超えたくない」というJR東日本の怠慢であるが、このせいで東京~新函館北斗間は最速4時間2分と、飛行機と争える所要時間の基準である4時間をわずかに超えてしまうことになった。

これでは京と海道を結ぶ新幹線として飛行機に対抗することはできないとして、JR東日本やJR北海道は青函トンネル内ですれ違う貨物列車の時刻を調整してトンネル内ですれ違わないようにしようと、JR貨物に打診したが、JR貨物は難色を示し受け入れることはなかった。盛岡青森間の線路使用料何とかならんのかね。

JR東日本とJR北海道は、今後も協議を続けていく方針だというが、本州と北海道を結ぶ大動脈である青函トンネルはひっきりなしに貨物列車が通っていることから、新幹線並みの速度で走れる列車が設定されるかどうかは神のみぞ知るところである。

北海道延伸[編集]

そして2016年、いよいよ青函トンネルを通り新幹線が北海道へと渡ることになるが、肝心の駅が函館中心部よりもかなり離れたところに設置されることになり、地元では困惑の声が上がっている。

JR北海道では連絡列車の運行によって対応するということだが、10両ある新幹線の乗客を、果たして4両編成ぽっちの電車で運びきれるのか、大変疑問が残るところである。通常6両だった青森~函館の在来線特急白鳥が、年末年始や連休期間を除いて常時空席だらけだったのはナイショ。

また、駅名もシンプルに「新函館」となるはずが、地元民の強い要望により「新函館北斗」という長ったらしい名前に変えさせられてしまい、東京から来たビジネスマンや観光客が「北斗って何?」と困惑する事態になってしまうのではないかと心配されている。

運行形態[編集]

はやぶさ
2011年に運行開始したはやぶさは、東京を出発後大宮に止まった後、北関東・福島県と、宮城県岩手県青森県に数多ある新幹線駅を華麗にスルーして、仙台・盛岡・新青森・新函館北斗のみに止まる最速達列車である。
ただし、全部の列車が華麗にスルーするわけではなく、時々何もない途中駅に止まる列車もあり、このあたりJR東日本の東北地方民への慈悲が垣間見える。
はやて
八戸駅延伸時に登場したはやては、はやぶさが登場する前にはやぶさのような役目をこなしていた列車であったが、今では見る影もなく、盛岡~新青森間の各駅に停車する列車が1往復と、東京から北関東・福島県をスルーしたのち、仙台~盛岡間を各駅停車する列車が3.5往復だけになってしまった。
なお、新函館北斗延伸の際も盛岡以北の区間列車として存続するようである。JR東日本の優しさである。
やまびこ
東北新幹線開業時からある歴史ある名前の列車である。北関東も福島県も宮城県も岩手県も漏れなく停車する、北関東と東北地方の田んぼ以外何もないところの駅を使う住民が喜ぶ列車である。
しかし、盛岡以北では運転されていないため、盛岡以北へ行こうと思ったら乗り換えを強いられることになる。
なすの
北関東と郡山に行きたかったらこれに乗ればよい。

関連項目[編集]