不徳の君
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不徳の君(ふとくのきみ)とは、中国や日本において徳がなく君主の器にはなかったとされる帝王のことである。また徳は得とも書き、君主に就いたがゆえに不幸になった者を言うこともある。東アジアの国々においては君主の徳が国の命運に直結するため、不徳の君が国を治めることは刑法上の犯罪行為である[1]。
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[編集] 日本
日本天皇家は万世一系ということになっているが、それでも不徳の君として譲位させられた天皇はいた。例えば、三条天皇である。しかし墓場まで逃げ切り、後世になってようやくその罪を断罪された者も多い。
[編集] 不徳の君四天皇
- 桓武天皇 - 長岡京、平安京と二度に渡る新都造営事業および蝦夷征伐作戦で民衆に多大な負担をかけ、死後も平将門を輩出するなどして日本を揺るがした。
- 後白河天皇 - 保元・平治の乱で平清盛を増長させ、治承・寿永の乱で今度は源頼朝の台頭を招き朝廷の威信を失墜させた。
- 後鳥羽天皇 - 承久の乱でずさんな反抗作戦を指揮し朝廷権を地に落とした。
- 後醍醐天皇 - 正統たる大覚寺統(いわゆる南朝)の皇統を簒奪し、あげくはいい加減な政治を行って大覚寺統滅亡の足場を作った。
特に本朝への打撃が大きいとされる上記四名をまとめて不徳の君四天皇、あるいは単に死天皇という。
[編集] 皇朝十二賎
- 雄略天皇 - 皇位継承者を多数抹殺して即位した上、日本古来の三輪の神を冒涜した。
- 武烈天皇 - 本朝のエド・ゲインとも言うべき変態で書くことすらおぞましい。
- 淳仁天皇 - 逆臣・仲末呂と同心で国家動乱を起こし、孝謙上皇に廃位される。
- 孝謙天皇(称徳天皇) - 女帝ながら自らに徳がないことを悟っていたもの、なんと非皇族の道鏡に禅譲しようとした。
- 陽成天皇 - 元服後に禁中で殺人事件を起こし、清和天皇に譲位。
- 冷泉天皇 - 父親への手紙に陰部を描くなど奇行が多く、円融天皇に譲位。
- 三条天皇 - 藤原道長を止めきれず後一条天皇に譲位させられその台頭を招いた。
- 後深草天皇 - 持明院統なる偽の皇統を築くために奔走し、鎌倉幕府の更なる介入を招いた。
不徳の君四天王に上記八名を加えて「皇朝十二賎帝」、あるいは語呂よく「皇朝十二賎」という。
なお、昭和天皇が挙がらないのは戦後になると信心が薄れて君主の徳と国政との関係が非合理的とされるようになったため。
[編集] 不得の君四天皇
- 光仁天皇 - 政争を避けのらりくらりと暮らしていたのに藤原永手らに擁立され家庭が滅茶苦茶になった。
- 六条天皇 - まだ元服もしないうちに政治利用を恐れた祖父・後白河法皇に暗殺された。
- 後高倉天皇 - 承久の乱の後に無理やり鎌倉幕府に擁立され過労死。
- 大正天皇 - 漢文を嗜み天才的な性格であったために、戦争に向かないとされ毒殺された。
天皇になったがゆえに不幸になったと考えられる上記四名を不得の君四天皇、あるいは単に屍天皇という。
[編集] テンコロ
テンコロ(天転)とは、天を転ばせる者という意味で不徳の君を指す。 石原慎太郎都知事による造語で、2000年4月9日、陸上自衛隊東京練馬駐屯地の創隊記念式典での石原氏による答弁で広まった。同年3月31年の有珠山噴火のことが話題に上り、石原氏は「今上には""徳""が少なく、阪神淡路大震災など天の怒りによる災厄も後を絶たない。一旦テンコロが即位すると、皇室典範では譲位できず国が滅ぶ可能性もある。神官の力に限りがあるので、自衛隊法に従い、東京都知事は首相に対し、平安の維持のために自衛隊の派遣を要請することができる」と発言した。この発言は石原氏が浅はかなネット右翼などとは異なり、単なる天皇崇拝者に留まらず日本古来の道に基づいた発言をしているとされ、国粋主義者から支持を受けた。しかし唯物的な一部の進歩的文化人からは天皇の徳によって災厄が起きるなど科学的ではないという批判もある。

