上沼恵美子

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「上沼恵美子」の項目を執筆しています。

上沼恵美子(かみぬまえみこ、1955年4月13日 - )は、平成時代に淡路島全域を支配した大阪城主。それと並行する形で芸能活動も行っているが、関西でも知名度は今一つ、関東では全くの無名である。それ故に日々知名度を増そうと励んでいるが、在京テレビ局からは全く声がかからず、在名局へのレギュラー出演までしか行えていない。

経歴[編集]

大阪城主の娘として生まれた上沼は、1971年に姉と身分を隠して漫才大会に出場する。そこで披露した「大阪城はウチの家や」「淡路島全域はウチの土地」という事実がウケ、銀賞を受賞した。さらには、1973年にNHKの漫才大会に出場すると、今度は敢闘賞を受賞。とはいえ、所詮はいつまでも頂点を取ることができていないという見方ができる。その後、レコードをリリースするとこれもまたヒットして40万枚近くを売り上げた。とはいえ、これは松田聖子の「赤いスイートピー」より10万枚も少ない。

その後、結婚し、大阪城主に専念。出産後に復帰して、1994年、95年は二年連続でNHK紅白歌合戦の司会を務めている。とはいえ、これは黒柳徹子の最多連続記録・4回よりも2回少ない数字に留まる。同じくNHKで、大阪放送局制作のバラエティー生活笑百科には1985年から出演しているが、土曜昼下がりの時間帯とはいえ所詮はNHKの一地方局・大阪制作の番組に過ぎない。

そうした出演もあり、ついには2003年の女性芸能人の好感度ランキングで3位に入っているが、とはいえ1位が久本雅美であり、言い換えれば久本雅美に勝てなかったということなる。さらには00年代中盤以降、やしきたかじんとならぶ二大巨頭と称されるようになるが、関西で巨頭になったところで大した意味はない。

2013年3月には「-笑百科」を降板した。その後の出演番組は15分番組である上沼恵美子のおしゃべりクッキングABC朝日放送制作)のみが全国ネット、他はすべて在阪局の番組、もしくは在阪局と在名局の共同制作となっている。

世界初のユーチューバー[編集]

上沼は、世界初のユーチューバーとして知られている。上沼が自身のチャンネルを開設したのは1995年のことであり、これはYouTubeが開設される10年も前のことである。

しかし、夫から「仕事は東は京都まで、西は姫路まで」という規制を課されており、収録場所を関西テレビとすることを強いられている。

このため、上沼をチャンネル登録している者は限られており、その数は関西地方や西日本を中心とした一部地域の約5000万人である。これは、国内YouTube大手チャンネルの7倍以上に達しているが、世界ランキングではたかだか2位程度にとどまるのが実情である。

性格[編集]

礼儀を重んじる上沼は、無作法な人間について絶対に容赦することはない。このような者がいた場合は、上沼は自身の番組で公開批判することで視聴者への注意喚起を行っている。

なお、上沼自身もしばしば批判の対象となる。

  • 上沼が公開批判をした例
  1. 歌番組司会のNHKアナウンサーが挨拶に来なかったことについて
  2. 後輩演歌歌手がタメ口で挨拶をしたことについて
  3. 地方ラジオにでている兄弟について

売名[編集]

このように、たかだかレコードを40万枚売り上げたかだか紅白の司会を2回務めたかだか女性好感度ランキング3位、大阪の好感度ランキング(男女問わず)1位になっただけの上沼には、知名度が全くない。そこで、テレビ朝日とABCが制作するM-1グランプリの審査員として出演している。これは島田紳助に頭を下げさせての出演でもあり、毎年関西の主婦目線からの審査を続けていた。しかし、その審査には芸能界からも「感情だけ」「オバハンにはウンザリ」「名前を売るためだけに審査員をするな」という批判もある。それもあってか2018年限りで審査員から退くこととなった。

もっとも、上沼程度の人間に対してであれば、NHKで何本かレギュラーを持ち、一般人からの知名度が高く、芸歴もそれなりにある人間であれば誰でも批判することが可能である。名前こそ明かされていないが、松本人志らでも批判することができない上沼を相手に批判した人間は、相当な芸歴と人気の持ち主であることが推察される。


関連項目[編集]

外部リンク[編集]