一式陸上攻撃機
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
一式陸上攻撃機(いっしきりくじょうこうげきき)は、第二次世界大戦直前に完成した日本軍の本格的な戦略爆撃機のこと。アメリカからB-25のパクリだと言われるが、B-25に似ているのは九六式陸上攻撃機の方である。
だが、B-25の開発開始年度が1938年なのに対し、九六式陸攻はその二年前に正式採用されているため、パクッたのはB-25である可能性が高いであろう。一式陸攻と外見が酷似しているのは、ソビエト連邦の双発爆撃機・イリューシンIl-4である。しかし、Il-4も一式陸攻も共に初飛行年は1939年であり、どちらがパクったのかの判断は困難である。両機の外見が類似しているのは偶然であろう。その辺はお察し下さい。
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[編集] 概要
日中戦争直前、大日本帝国陸軍は常識以上の計画をぶち上げていた。それは、中国中を火の海に変えてしまう大型爆撃機の実用化である。当時、ゼロ戦で大成功を収めた日本軍であったが、戦略爆撃用の大型爆撃機は保有していなかった。そのため、戦略爆撃の面でも成功せねば、将来の仮想敵国であるドイツやイタリアに負けてしまうと考えたのである。事実ではないが、昭和天皇は、「戦闘機で評価を得た大日本ならば爆撃機でも評価を得なさい」と発言したことも1つの理由である[1]。
[編集] 登場までの経緯
主な開発条件は
- 高性能であること。
- 搭乗員が死なないこと。
- 長距離で飛ぶこと。[2]
- 爆弾5,000t搭載可能なサイズにすること[3]。
- 航空戦艦から飛べるようにすること(ドーリットル空襲では、戦略爆撃機を空母から飛ばす方法が出ていたため。)。[4]
こうして、三菱が蓄積してきた、あらゆる設計技術を元に制作されたのが一式陸上攻撃機であった。デザイン自体はB-25ミッチェルが丸々流用された。というのは一式陸攻を貶めるべく、米軍関係者および反日分子が流したデマである。もしB-25の設計を流用したのならば、少なくとも一式陸攻は垂直尾翼が二枚になっているはずである。
ちなみに後に開発に当たった三菱重工はB-17のパクリであるキ-94も制作している。しかし、キ-94は串型双機なのに対し、B-17は四発機であり、外見は全く似ていない。用途も前者は防空戦闘機、対して後者は戦略爆撃機であり、使用用途も一致しない。このことから、三菱はB-17を模倣する必然性がないし、第一真似しようがない。
主に陸軍などの落下傘部隊や車両輸送に活用されたり、専ら中国などの都心の空爆作戦にも利用された。
[編集] 実用化
日本海軍が真珠湾攻撃をしている間にマレー半島に4,000機派遣され一夜で全滅させた[5]。また、独特の形状から米国軍機に間違えられることが多く結果として戦果を引き延ばす原因になった。また、山本五十六も愛用しキ-94の登場まで長らく現役であった。なお、キ-94は試作段階のまま終戦を迎えており、正式採用はおろか量産にも入っていない。つまり、一式陸攻は終戦まで使われ続けたという事である。
[編集] ニューヨーク空襲
戦線がのびきった陸軍は海軍に負けじとニューヨーク空襲を発案する。作戦は赤城以下6隻の空母に搭載した一式陸上攻撃機30,000機でニューヨークの都市機能を麻痺させるというもの。結果として昭和17年1月25日に、ドイツ経由でニューファンドランド沖に集結した日独の空母15隻から総計40,000機が離陸し1日でニューヨークは瓦礫の山と化した。アメリカ市民の一人は「一瞬見たときはB-25だと思いました。」とコメントする。
というのは全て、1942年4月に行なわれたアメリカ本土空襲の戦果を誇張した大本営発表である。実際の戦果は、潜水艦から発進した水上偵察機1機が爆弾2発を落としただけに過ぎない。この件に関しアメリカ海軍は「日本軍の航空機が進入した事実は無かった」と説明し、なかったことだとしている。
[編集] ライターとしての評価
本機に遭遇したアメリカ人操縦士たちは、その葉巻そっくりの胴体ゆえに激しく喫煙欲を催した。
一式陸攻は彼らのくわえたタバコに片端から火をつけて回り、そのうち156人(要出典)ほどを肺ガンに罹患させる戦果を上げる。
この結果、操縦士たちは一式陸攻に「ワンショット・ライター」= 一発で火の点くライター、との愛称を捧げ敬意を表した。
[編集] 歴代操縦士
- 第1号:夢原のぞみ
- 第2号:武田一族の総領事
- 第3号:水無月かれん
[編集] その他活用
この一式陸上攻撃機は枢軸国の間で活用されドイツはこれを5,000機用いてモスクワ空襲を行ったことで有名。イタリアも独自でロンドン空襲を敢行しイギリスの都市機能を麻痺させた。然し、後にドイツはドレスデンを空襲された。
[編集] 重慶空爆作戦
太平洋戦線以外でも中国側でなんどか空爆作戦に採用されたことは有名である。重慶空爆作戦においては、30,000機(一部はゼロ戦などでまかないました。)で突撃し反日で重慶はがれきの山になった。
[編集] 脚注
- ↑ 民明書房刊:「一式陸上攻撃機開発秘話」参照
- ↑ 具体的には積載量1tで航続距離4,000km以上
- ↑ 総積載量5,000kgの間違い。後になって、要求書の記入ミスが発覚し訂正された。5,000tも積める訳ないだろ常識的に考えて…
- ↑ それじゃ艦上攻撃機だろ。何デタラメ書いとんねん
- ↑ これは国民士気向上を狙った大本営発表であり、荒唐無稽な捏造戦果である。一式陸攻の生産数は合計2,400機であるので、この時期に4,000機も投入できるはずがない


