ローマ帝国

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

もうこの国は爆破されました。もうこの国は影も形もありません。
この国はもう無いのです。あなたはこの現実をどう受けるかは自由です。ですが戦友であった彼らに建て前だけでも敬意を称してやってください。


ローマ帝国(-ていこく)は、人類史上最も裏切られやすい体質の男ジュリアス・シーザーこと悲劇の裏切られ主人公ガイウス・ユリウス・カエサルによって建国された帝国。パラレルワールドではオダ・ノブナガが1601年に建国し、1779年まで存続した国家。 当初「地中海はローマの湖」をスローガンとしていたが、征服欲が旺盛になるにつれて「世界の陸海空はローマのもの」に急遽変更した。

ローマ帝国

L'Impero romano (イタリア語)
Imperium Romanum (ラテン語)
国の標語 : 世界の海はローマのものじゃー!悪いか、ゴルァ!
ローマ帝国の位置
公用語 日本語ラテン語イタリア語ヒワスリ語1
首都 ローマ
最大の都市 ローマ
皇帝 オダ・ノブナガ
執政官 不明
面積
 - 総計
 - 水面積率
世界第xx位
xxx,xxxkm²
不明
人口
 - 総計(xxxx年
 - 人口密度
世界第xx位
xxx,xxx
xxx人/km²
政府 不明
国民的な英雄 不明
クーデター 紀元前660年2月11日
通貨 ユーロ (EUR)
時間帯 UTC +1 (DST: 無し)
国歌 ローマといえばボンジョルノ
宗教 不明
国際電話番号 379

アンポータル 国 アンプロジェクトアンポータル 国

イタリア語が常用される。


目次

[編集] 元祖ローマ帝国の歴史

[編集] 建国

ローマ人たちは狩りで生計を立てる自給自足のハイパー野蛮人であった。そんなある日北方からエトルリア人だかなんだか知らんがワンサカ人がやってきてあっという間にローマを占領した。退けや屑ども、って感じ。

しばらく圧政が続いたあと、カエサルという若者がおじいさんとおばあさんからきび団子をもらってエトルリア人退治に出かけました。途中ポンペイウスが道端で腹をすかして倒れていました。「か、カエサル・・・・、腰の・・・きび団子・・・・くれ、」カエサルはあっさり断るとポンペイウスはカエサルの足をつかんで離しません。仕方なく上げるとポンペイウスは「これで百人力だあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」といってカエサルについていくことになりました。注:ポンペイウス=ボス猿

またしばらく歩くと、クラッススが道端で倒れていました。今度は見つからないように遠回りするとまたもやクラッススが倒れていました。さらにルートを変えてもまたもやクラッススが倒れていました。仕方がないので飛行機に乗ってフライとしていると、飛行機の通路にクラッススが倒れていました。仕方ないので話しかけると「き、きび団子・・・・お前・・・・軍師・・・・劉備・・・・、」と訳の分からないことを言うので機内食にハンバーグステーキセットを頼むと「さ、サーロインがいい」とぬかすのでカエサルは飛行機から蹴落としました。1時間ほどするとなぜか飛行機の中に倒れこんでいたので仕方なくサーロインステーキを食べさせてあげました。「うおおおおおおお!!!!!これでふっくぁーつ!!!」といって以後同行することになりました。注:クラッスス=雉鳩

更に移動するとブルートゥスが倒れていました。仕方ないので話しかけてみると「きゃ、キャビア食いたい・・・・、」と言いました。キレたカエサルはブルートゥスを撲殺しましたがすぐに回復しました。カエサルはそれで全回復すればいいのにと思いながら、たまたまそこにあった密売キャビア屋で安い怪しいキャビア(1キログラム3円)を買って食べさせました。ブルートゥスは「ヴォゥオェエ!!」と嘔吐し、「これキャビアちゃうやんけ!!」と関西芸人風に一気に復活しました。注:ブルートゥス=犬奴隷

そして3人のお供を連れしばらく歩くとついにエトルリア島に着きました。エトルリア島ではアドルフ・ヒトラー総統閣下が視察に来ていました。4人は総統に銃を突きつけ要求しました。「戦車貸さんかいわれぇ!」「いいよ。爆撃機も貸したげる。」総統があっさりOKしたので4人はあっけにとられながらも最新式のドイツ軍の軍備でエトルリア人を皆殺しにしました。

2時間ほどの戦闘の末、島は焦土・血の海と化し、ここで「ローマ帝国」の建国を宣言しました。

[編集] ネロ様の統治

その後も拡大を続けたローマ帝国であったが、中でも名君中の名君として知られるのが皇帝ネロである。彼は宰相パトラッシュの補佐を受け、首都ローマの再開発事業に着手。ゼネコン各社の提案の中から「街ごと放火してフォーマット、その後クリーンインストール」という最も合理的な案を採用しようとした。だが一部抵抗勢力左翼キリシタンプロ市民らの妨害を食らってしまった。万事休すかと思われたが、ネロは親友で芸術家仲間であるアドルフ・ヒトラーに相談し「放火して、放火犯として邪魔な連中に罪をなすりつければ一石二鳥では?」とのアドバイスを受け、市内各所にダイナマイトを設置、旧態依然としたローマを吹き飛ばした。

翌日には「不逞キリシタン各所で放火」の噂をばらまき、敵対勢力の排除に成功。その後は都市計画道路の整備や鉄道の複々線化を実施、ローマを再開発した。しかし皇帝ネロのウソはやっぱりバレてしまい、ローマから追放されたネロはパトラッシュと共に飢えと寒さでベルギーのあたりで悲劇的な最期を遂げた(いわゆるフランダースの犬)。現在はちっちゃな銅像が残されている。

[編集] オダ王朝の歴史

[編集] 建国

戦乱日本に平和を齎したオダ・ノブナガは世界征服を目論み、ヨーロッパへと渡航し、ヨーロッパ各国と戦い(欧州大戦)、1601年、ベルギーのブリュッセルにて欧州帝国の成立を宣言、初代帝王に即位。同時に帝都や暦、国歌を制定する。翌1602年、憲法や官位を制定し、軍備を統一させた。更にホリ=ゾン教カズ教を普及させたり、日本を直轄地として統括し、各地区ごとに首長を置いて統括させたりする等、領地の安定的な支配体制を築いた。

[編集] 露亜侵略

1610年6月、アジアへの侵攻を開始する。7月にムガル帝国へ進軍し、ムガル軍と交戦。ガイロイドの力により、1ヶ月で制圧。続いてへ進軍。ピカティニーラグナロスを積極的に活用し、明を制圧。これにより、ノブナガは世界の大半を掌中に治め、ノブナガは1611年、ロシアへ宣戦布告を行い、欧露大戦を勃発させる。当初は帝国軍が優勢だったが、ロシア軍が逆襲をし、次第に帝国軍は窮地に追い詰められ、1615年、ロシアは帝国と和睦を結び、戦争は終結した。

[編集] 発展期

戦後エクストリーム・謝罪、疲弊しきった国家を再建する事を宣言する。1616年、破綻寸前の財政回復の為、税金の収入を安定させる。その結果、国民の収入が引き上がり、生活が向上する。次に軍備を増強する為、1620年、夜叉国と同盟を結び、強力な兵隊を常備させる事に成功する等、次々とライオン総理顔負けの方策を打ち出すことで改革は成功し、帝国は国力を向上する。1640年、ノブナガは息子ノブタダに帝位を譲位し、上帝として院政を行い、1670年に崩御。その後ノブタダはの後を継ぎ、数々の外交政策を行う。1680年、ロシアとの間に「欧露同盟」を成立、次いで1685年、夜叉国を併合させる。更に植民地政策の一環として1689年、総督府を設置し、三弟オダ・ノブタカ、四弟オダ・ヒデカツ、五弟オダ・カツナガを総督して派遣する。続いて1694年にオダ幕府将軍ノブタケが自害した際に「植民地統括法」を発布し、帝国政府随一の強権を誇った幕府の権限は大幅に弱まる。

[編集] 全盛期

1699年、二代帝王ノブタダが崩御し、息子ヒデノブが帝王に即位した。このころまでに帝国の政治や経済は安定しており、宰相徳川秀忠は新帝王を補佐し、1700年、帝政の一新を目的にフランスのパリに遷都させる等、幕府権力の強化を推し進めていったが、1709年に秀忠が失脚し、後任に豊臣秀頼が就任し、その補佐の下、ヒデノブは親衛隊と呼ばれる帝王直轄の部隊を置き、帝王権力を固めて、オダ王朝の絶対化を確立する。

1730年、ヒデノブが急死すると、四代帝王ヒデトモは秀頼に補佐され帝王独裁だった帝政を議会制に改め、内閣や帝国議会を置く。これはアドルフ・ヒトラー並に独裁色が強まったヒデノブ晩年の政策に反感を抱くの民衆に応えたものであった。

[編集] 豊徳戦争

「欧州太平」を謳った欧州帝国の全盛期は1740年に徳川秀忠と豊臣秀頼が対立した事で終了する。それは両家の初代当主徳川家康豊臣秀吉からあった問題だが1709年に秀忠が失脚し、後任に秀頼が勢力を伸ばした事から決定的となり、ヒデノブの崩御により、帝国政府は権力抗争の場と化する。

時の首相秀頼は秀忠の嫡子家光を次の首相にする予定であったが、豊臣側の大名山内忠義影の薄い男の甥)が秀頼の嫡子国松を次の首相に推薦した為、家光支持派と国松支持派に別れ対立した。前者は酒井家次(徳川四天王酒井忠次の嫡子)を、後者は前述の通り、忠義を中心に擁して対立を深め、やがて、両者の対立は1749年に全国の大名の兵力を政治の中心地であるパリに結集して遂に大規模な戦争を引き起こした(これを「豊徳戦争」と呼ぶ)が、大規模な軍事衝突にも関わらず、参加諸大名の力は衰えており、双方共に勝利をもぎ取れる程の戦力はなかった。その為、延々と11年間も決着が付かず、両軍の総大将である忠義・家次が1759年に相次いで過労死するが、諸大名は兵を引き上げる事無く続き、続いて秀頼・国松父子や秀忠が1760年、インフルエンザで死亡し、戦争は終わる。しかし現職の首相が死亡してしまった為、新首相家光への政権交代に時間が掛かり、帝王の権威も著しく低下する。

[編集] 衰退期~アメリカの反逆

豊徳戦争にて帝王の権威は失墜したものの、依然世界の覇者として君臨しており、皮肉にもこれまで帝王の権威を超えようとしていた徳川家の方が旧豊臣側の大名による反抗に脅かされる程、大きく弱体化してしまう。その後勢力を伸ばしたのは豊臣家家臣である細川光尚だった。1765年に光尚が首相に就任し、帝国の建て直しを図り、細川家の勢力を上げる。しかしその政権も長くは続かなく、1769年に殺害されてしまい、家光が再び首相の座に就き、徳川家の権威を盛り返す。しかし光尚の子綱利が徳川・細川体制を確立させるが、綱利がその直後に死亡し、今川氏真の曾孫である今川氏堯が綱利の甥宣紀を傀儡化し、細川家の権限を掌握した。この状況を見た帝王ヒデトモは政局の安定化に努めるが、その矢先に氏堯のクーデターによって1773年に暗殺された。弟ツネナオは氏堯をエクストリーム・スポーツゲゲルにて滅ぼし、帝王に即位する。だが1775年にジョージ・ワシントン率いるアメリカ領の住民が独立を求め、反乱を起こす。当初、帝国軍が優勢だったが1777年にニューヨークで敗北した後、勢いづいた独立軍の前に屈し、1778年、ヨーロッパまで後退し、帝国領の大半を占領され、翌1779年に帝都パリを制圧され、帝太子ヨシナオ共々殺害される。ここに5代178年続いたオダ王朝は滅亡する。

[編集] ギリシャ文化の流入

ギリシャがオリエント地域からの軍事侵攻に晒される日々が続き、ローマ帝国に軍事支援を求めたところ、 ローマ帝国はそれを口実にギリシャを事実上ローマの支配下に置いた。

それに伴いギリシャ文化、主に演劇(快楽主義)、哲学(悲観主義、冷笑主義、アイロニズム)の価値観が大量流入し、 ローマ帝国の文化に質的変化が生じた。

特にローマ帝国執政官の顧問となったギリシャ哲学者達は 「どうせ頑張ったって、頑張らなくたって人は平等に死ぬ」「死んだらあの世に何も持っていけない」 「貴方が 1000年の歴史に残る偉業を成し遂げても、その偉業自体は 100年も持たない」 などと無気力な生き方、冷笑と皮肉をたっぷり指導者に浴びせたため、指導者はやる気や情熱、理念を失っていった。

理念を失ったローマ帝国は、支配欲、征服欲など、目先の願望と利益にとらわれて行き、 次第にローマ帝国の存在そのものに疑問を持つ者が増えていった。

[編集] ローマ人の陰謀

離散したローマ人は、歴史の裏側で数々の陰謀を繰り広げたとされる。近年、その行動が露骨に表面化しているのが、神国日本である。

ローマ人とその手先は、日本語のローマ化を計り、「ローマ字入力」という洗脳装置により、日本人を洗脳。新たなローマ帝国として乗っ取りを謀っている。美しい日本のひらがなを愛するかな入力同盟が抵抗運動をしているが、知的な日本人のほとんどはローマ人の手先に成り下がっている。21世紀に入り、負け組にはローマ字が理解できず、パソコンを使わず、ケータイしか使えないため、侵略活動が停滞している。

[編集] 国土面積

かつて、トラヤヌス王の時代に最大になった言われる領土も、東西分割などがあって縮小した。しかしベニト・ムッソリーニ皇帝の卓越した手腕により、現在のものまで回復した。

[編集] ことわざ

  • すべての道はローマに通ず - 剣道、水道、北海道、極道、極悪非道は全部ローマから始まっているという事からそう言われるっぽい。

[編集] 関連項目


Hitlerefficiency ハイル・ヒットラー! このローマ帝国は、偉大なる我らがアーリア民族の築き上げた最高の文化的作品である!
この記事を書き上げてこそ、ユダヤ人を殲滅できるのだ!
この記事をつまらなくする者に宣戦布告を! ジーク・ハイル! (Portal:スタブ)