ランディ・バース
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
ランディ・ウィリアム・バース(Randy William Bass、1954年3月13日 - )は、昭和後期(1980年代)に阪神タイガースに降臨した元プロ野球選手にして神。つまりイエス・キリストの親父である。
[編集] 人物概要
阪神タイガースは1964年に優勝して以来、20年以上優勝から遠ざかる低迷期を迎えた。その原因はフロントの無策だとか派閥争いのせいだとかいろいろ言われたが、いずれにせよ大阪・神戸の街はそのせいもあってか、この阪神低迷期にV9の記録を作っていた読売ジャイアンツ(巨人)が本拠を持つ東京に勢いを奪われ、意気消沈した雰囲気が漂う街へと落ちぶれてしまった(関西圏には他にもパ・リーグ3球団があったが、お呼びでなかった)。
そんな風に大阪・神戸の街が寂れる中、彗星のように阪神に現れたのがバースであった。彼は1983年に阪神に入団し、アメリカ時代に「ニューヨークからロサンゼルスへ飛ばす」といわれていた長打力を阪神でも生かすことに成功、チームの奮起を一気に高めたのである。
そして彼の入団3年目に当たる1985年の4月17日、阪神甲子園球場の阪神・巨人戦で阪神戦を最も得意としていた巨人の槙原寛己を相手取り、バースがバックスクリーンに到達する逆転3ランホームランを放つと、続く掛布雅之・岡田彰布もバックスクリーンに届かんとするソロホームランを放った。この試合によって阪神は、虎の守護神を球場へ降臨させることに成功したといわれている。そして勢いづいた阪神は、バースを始めとした打撃を生かして巨人・広島とのもみ合い状態を抜け出し、21年ぶりに明治神宮野球場で優勝を決めたのであった。意気消沈していた大阪の街は、バースのおかげで賑わいを取り戻したのである。
しかし1988年、彼が球団と揉めた挙句に阪神を去った後は、阪神は前回以上の悲惨な低迷期(暗黒時代、駄目虎時代)を迎えることになる。これを打開するのはそれから実に15年後の2003年、星野仙一が阪神監督に就任し、横浜スタジアムで1985年の再来と言える3連発を決めるまで待たなければならなかった。この低迷によってバースは球団の守護神であると共に、不遇な退団をさせられたことに対して、呪いをかけ続けることが出来る祟り神でもあることが証明された。
なお彼の本名は「バス」であるが、大人の事情によって変更させられた。「バスガス爆発」のような早口言葉、それに親会社の事業と関係があるらしいが、禁則事項です。けれど、2000年代になって同じ綴りのアダム・バスが東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。こちらの親会社にも同じ種類の事業があるにもかかわらず、バスという登録名で済んでいるのはなんで?
[編集] バース教
上記したように1985年の阪神優勝はバースに支えられたところが多いため、大阪を中心とする関西(近畿)の阪神ファン(阪神タイガース教徒)は、バースを神格視するようになった。
そして1987年以降、阪神は長期低迷期を迎えたことから、バースを不遇に退団させたことや、勝手に彼に見立てて1985年にカーネル・サンダースの像を道頓堀に投げ込んだことがチームに負けをもたらしていると考えるファンも現れた。遂には菅原道真の祟りを恐れて北野天満宮を造った京都の公家と同様、バースの呪いを鎮めるべくバースの肖像とサンダースの肖像に対してお祈りする宗教団体も形成された。これが俗に言う「バース教」(バース・サンダース教ということもある)である。
バース教徒はバース・サンダースの呪いを鎮めるべく、低迷期は2人への祈祷を続けると共に、それに対抗できる外国人選手の到来を待ち望んだ。更に街で髭を生やした外国人を見るたび「バースや」といって彼のサインを無理やりさせるなどして、バースに対する愛を未だに有していることを世間に示し続け、呪いの解消を祈ったという。
その中でも1996年にクレイグ・ワーシントンと共に阪神に入団したケビン・マースは「バースと一文字違い」だと言うことで教徒の注目を集め、一時はバースと同じ応援歌を歌って「彼こそバースの呪いを鎮められる存在だ」と祭り上げられた。更には「打ってクレイグ、頑張りマース」と応援し、クレイグと共にCMコンビとして阪神に再び黄金時代をもたらすのではないかと、期待されもした。ただし1年もたなかった。
2003年に阪神が優勝したことにより、バースの呪いは解けたとしてバース教信者は減少したとも言われているが、それでも球団に再び暗黒時代が訪れないよう、日々2人への祈りを今なお続けるファンはいると言われている。


