ケビン・メンチ

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ケビン・メンチKevin Mench1978年1月7日 - )とは、2009年だけ黄色い おもしろ球団に所属。黄色い お祭り集団を違った意味で過熱化させた、なんちゃって野球選手である。

妻はシャナ

本名はメンチカツ

来歴[編集]

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阪神入団[編集]

年も暮れようという2008年12月24日、おもしろ球団から新外人獲得の発表があった。「メジャー89本塁打」という右投右打の外野手。それがメンチである。2年契約になるところを、自ら希望して1年契約(1億8000万円)でやって来るという。

ただ、黄色いお祭り集団の反応は冷めたもの。そりゃバースの再来』などという、ゴシップ報道に20年近くも騙され続けたのだから無理もない。

確かに、とまで讃えられたランディ・バース級の助っ人なんてのは酷な要求であろうということくらいは、誰もが理解している。でも、せめて

「1年間、普通に働けるヤツ連れて来い!」

というのが、偽らざるホンネである。

になると、お祭り集団の中でも「精鋭」に類する応援団のみなさんによって2009年シーズンに間に合うように、個別のヒッティング・マーチを作ってもらえた。特徴は、歌詞には「Go」と「メンチ」の掛け声しか使わない『例年に無い 手抜き版』シンプルな作り、となっている。前述にあるように、何年も裏切られ続けている現状では凝ったヒッティング・マーチを作ったところで御蔵入りに成りかねない、と心配された為だろう。

キャンプから開幕直前まで[編集]

3月2日の紅白戦では、スタメンのライトで出場。すると守備では、2塁手フジモンキーの後逸に対し100kgという巨漢のわりに意外と素早いカバーリング、3塁へのスローイングで1塁走者をアウトに仕留めた。しかも、その1塁走者が赤いチビッコだというから、周囲の驚きを誘った。

リニューアルされた甲子園でのチーム初練習に加わった12日でも、実戦でのライト守備を想定したハードな激突を繰り返し、「アレだとポールの方が危ない」とまで、真弓明信新監督に言わしめた。これほど非常にマジメな姿勢に対し、球団も開幕までに「ポールにもラバー設置」を約束した。でも、世間の関心事は他にある。

それよりも期待する打撃は、どうなのか?

打てないチームの救世主と見込んで、獲得したのだ。問題は、その1点にある。

『いろんな投手を観たい』と和田コーチに直訴し、オープン戦への早期出場に意欲を見せるなど、ココまでなら優等生である。実際、「フォームを崩してまで当てたがる」助っ人がいる中、空振りであっても安定した下半身で「自分のスイングに徹した」打席を見せたことを、和田コーチから評価された事さえある。変化球にも対応できそうな気配も見せており、春季キャンプを終える2月いっぱいまでなら、大きな問題を見せていなかった。←いや、知ってた人もいたけど、多くの事実を隠蔽されてただけなのかもしれない…。

しかし、オープン戦を重ねるにつれて、徐々に怪しくなってきた。なにしろ真っ直ぐを打てないという。なにも150km/hに悪戦苦闘している訳でなく、普通の140km/h程度で打ち損じているのである。打棒復調、猛打爆発なんて兆しも無いまま、2割を大きく下回る打率.143でオープン戦を終えた。

いくらなんでも深刻な重症度に、とうとう開幕間近の3月30日には獲得に動いたトーマス・オマリー駐米スカウトを急遽招き、翌31日からのメンチとのマンツーマン指導に充てさせた首脳陣。指導で下地を作り直し、4月1日からは味方投手の「活きた球」を教材に蘇生させていくプランであった。

ところが、その4月1日。メンチは「球が見づらい」と言い出して室内練習をリタイヤした。

確かにこの日は「エイプリル・フール」、少々のウソなら笑って済まされる。しかし自身の深刻度を理解できていれば、こんな発言にはならない。せっかく蘇生の為に、火の玉ストレートの守護神までが協力を買って出て、持ち球の全てを駆使して46球を投げ込んでくれたという。それでも、肝心の本人にヤル気が無いのだから、全くの徒労である。←3月上旬までの優等生ぶりは、何だったのか解からない(怒)。

翌々日が開幕だと言うのに結局、緊急指導でもダメだった。だいたい、ホントに球が見づらいのであれば、火の玉に投じてもらった全46球だって見えてない恐れもある。あの発言がウソであってもホントであっても、困ることには変わらない。そんな危険を抱えたまま、チームとメンチは開幕戦に臨んだ。

公式戦[編集]

開幕スタート[編集]

4月3日の大阪ドームにおける神宮に居座る、ふにんきのツバメとの開幕戦。「あれだけ打ててないんだから、出すなよ!!」という罵声が聞こえてるのか判らない6番ライトでのスタメン抜擢。「ファンからも不安視されてる」のを示すように、スタメン発表時の歓声は他のチームメイトより小さかった。そもそも1億8000万円をつぎ込まれたメンチが優先的に起用されるのは仕方ないにせよ、対抗と目された林威助桜井広大といった併用相手たちの出遅れも、メンチ起用の後押しにつながった。

勝利した3日は問題視されなかったが、早くも翌4日には問題を露呈する。3ウラの2死満塁、8ウラの1死1・2塁という2度の追撃機に、いずれも空振り三振で2回とも潰す失態。翌5日(3戦目)には7番へ降格、第1打席こそ大ファールを放って期待させたものの、『三振前のバカ当たり』を実践しただけ。ホントの三振で凡退している。

この3戦目ではそれどころか、後方への飛球を追いかける2塁手ヘッスラ・ファイターとのスライディング接触をやらかし、右ヒザを強打。まだ水準の良かったと思われてた守備面で、印象の悪さを露呈した。「打てんどころか味方まで壊すんか(怒)。何なら、このまま休んでくれ!!」という周囲の期待もあった為か、第3打席の凡退をもって途中交替。結局、開幕3連戦を11打数無安打3三振、フライアウト8つで終えたのである。

7日からは甲子園に場所を移した、赤い激貧球団との3連戦。初戦の7日は、4-10で負けてた試合を11-10でヒックリ返しているが、7番のメンチは初安打を含む3安打。3本目なんて9ウラのサヨナラを呼び込む、先頭打者としての安打であった。

翌8日の第1打席にも2塁打。好調はホンモノか、と思われた。しかし、この2塁打を最後に11打席無安打(1四球を含む)。元の打てないメンチに戻りつつあったため、11日にはスタメンを外された。その後は翌12日のスタメン復帰での2安打に見られるように時折アタリを見せるものの、それが翌日まで続かない。その後も2安打させるために、わざわざ「無安打日」・「スタメン落ちの日」を設けているようも感じられた。←でも、2安打すると次から打てなくなる、というヘタレのスパイラルに つながっている。

それでチームが勝ててれば不満も出ないが、リモコン不要の鉄人の奮闘があるとはいえ、なかなか上向かないチーム状態。絶不調の5番粗いさんと共に、その元凶と看做されてたメンチ。辛抱してきた?口の悪いお祭り集団からもダメ害人と認定されるようになっていた。

そこへきて同月21日のナゴヤでの味噌カツ球団との負け試合終了後、首脳陣に対し「疲れがひどい」と自己申告。21日終了時で打率.167(8安打)・2打点なのに、疲れるほど何か仕事したのか!?と思われたものの、翌22日には『腎機能障害の疑い』で1軍登録抹消である[1]。思い描いていた『ジャパニーズ・ドリーム』どころか、クビすら危うくなっていた。←今さら気付くな!!最初から死ぬ気でやれ(怒)!!

復帰戦[編集]

神宮球場でのツバメ3連戦を迎えるという翌月5月15日、お祭り集団を憤慨させる大事件がおきた。誰もが、その存在を忘れていた『メンチの1軍復帰』、しかも即スタメン抜擢である。

ちょうどチームは絶望的な貧打に悩まされてた頃であり、最小失点ですら跳ね返せずに投手陣を見殺すという情けない敗戦を重ねていた。打線の救世主を渇望されていた、とはいえ『なにもコイツでなくても、いいだろう(怒)!!』との声も上がった。

でもそこは2軍戦とは言え、5月13日・14日のタカ戦で2戦連弾を含む9打数8安打という大アタリを見せており、さすがに上げない訳にもいかず「状態が良い」との情報を信じて、見守るしかなかった。

それが2戦連続のスタメンで、3打席無安打1四球・4打数無安打1三振。メンチを諦めた人たちにとっては、お約束の結果だった。さすがに見切られて3戦目からスタメン落ち。18日付けで2度目の抹消となった。

結局、この3連戦で3タテを食らったチーム。真弓新監督による場当たり的な采配『黒魔術』がウラ目に出たとは言え、開幕3連戦の11打席を完全に封じられた、ツバメ戦へのスタメン抜擢は『貧打の特効薬』どころか『貧打病の再発』を招いただけだった。しかも、登録直前の14日に7-1という久々の大勝で3安打した桜井広大を外しただけに、その効果は笑っちゃうほど際立っていた。

とうとう球団も、代替の即戦力獲得に動き出した。

その後[編集]

5月28日、緊急獲得したアラバマの扇風機大砲の入団会見を開いたという球団。メンチの1軍登録抹消から、わずか10日。「メンチへの期待度ゼロ」を宣告したようなものである。

入団時には在阪の新聞各誌「メンチ・勝」だの「メンチ・活」だの、メンチの1打で勝った際の見出しを用意していたものの、完全に御蔵入りとなってしまったようである。フライアウトでの凡退、「メンチ・フライ」では見出しにも使えなかった。(あえて使うなら「メンチ・喝」だろう)

なお2軍で窓際族に成り下がってた…調整中の7月24日には、夫人の初産に立ち会う為に日本を離れると、そのままシーズンを終えた。しかし、出場15試合・打率.148(54打数8安打)・2打点という、お寒い成績だったんで誰も気にしない。もし中途半端に帰って来られても2軍若手の出場機会を奪うだけであり、迷惑なだけであった。ただ、退団確定でありながら、正式発表は11月になってからだった。

結局、阪神のダメ害人 殿堂』入りという実績しか残せませんでした。

それでも唯一の救いといえば、『未知数の外人と契約して懲りた』経験を活かした1年契約であった事。こんな害人を『年々スケールダウンしてる、どこぞのダメ害人』のように複数年契約を結ぶようでは、球団は身を滅ぼすだけである。もっとも、以前のマイク・キンケード2004年シェーン・スペンサー2005年2006年在籍)やルー・フォード2008年在籍)、以後の打点02013年在籍)をメンチと併せれば、目クソ鼻クソの水準に変わりない[2]

ちなみに11月26日、オマリーさんも阪神の駐米スカウトをクビになっている。スペンサーとフォード、そしてメンチ。全部、オマリーさんが獲得に動いた選手である。『球団からの空振り三振宣告』なのだろう。

脚注[編集]

  1. ^ お祭り集団のみなさんで祝杯を挙げた、とは想像に難くない。
  2. ^ スペンサー・フォード・メンチという新規獲得の面々も年々スケールダウンしてるところまで、同調させてるのは奇遇か?

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

ExSport.png この項目「ケビン・メンチ」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君もこの記事に胸が高まるような文付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)