きょう、ママンが死んだ

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Aujourd'hui, maman est morte とは、アルベール・カミュの小説「異邦人」の最初の一文である。

概要[編集]

この物語は、養老院、つまり老人ホームにぶち込んでいた自分の母親が死亡したことを「今日」主人公のムルソーが認知する場面から開始される。ムルソーは、養老院からの電報で母親の死を知るが、それを見た後「これでは何も分からない」と困惑を吐露し、もしかしたら母親が死んだのは昨日だったかもしれないと考える。そして、無数の読者と、自分自身に対して「おそらく昨日だったのだろう」と伝える。この時点で、「きょう、ママンが死んだ」というのが誤謬であることが分かる。

物語はさらに進展する。ムルソーは母親の葬儀を済ませて、会社に有給休暇を申請し、葬儀の翌日、愛人と海水浴に行ったり映画を見に行ったりした。それから1週間いつも通りに労働して、その後悪友のレエモンのトラブルに便乗してアラブ人を殺害して逮捕され、10か月以上拘留されて死刑判決を受けることとなる。

この時点で、最早ママンが死んだのはきょうどころか昨日ですらない、遥か昔である。ところがムルソーは、「きょう、ママンが死んだ」という最初の一文を全く訂正しない。彼はアスペルガー症候群的なところがあり、他人の気持ちに極めて鈍感なのだが、それは読み手に対する配慮にも反映されており、読み手を混乱させる「きょう、ママンが死んだ」という最初の一文を、ついに最後まで訂正することはなかった。彼を法廷で弾劾した検事は執拗にムルソーを攻撃して死刑を求刑したが、他方このことには全く言及しなかった。このことから、検事とムルソーは読み手を混乱させるという点において共犯関係にあったことが推察される。それどころか、この作品の登場人物は誰一人としてムルソーの誤謬を訂正しようとしない。

そもそも最初からして間違っていたのだ。ムルソー自身が「おそらく母親は昨日死んだのだろう」と述懐している。その後もどんどん日にちは進んでゆき、ママンが死んだのは日を重ねる度に遥か昔の出来事になってゆくが、この小説の冒頭にある「きょう、ママンが死んだ」の一文は訂正されない。愛人のマリイ・カルドナ、悪友のレエモン・サンテス、知人のマソン、セレスト、エマニュエル、サラマノ老人、彼の弁護士、彼を弾劾する検事、その他大勢のモブキャラ、彼らは一体何をやっていたのか。彼らが誤謬の訂正をしないムルソーを看過したことで、ついに読者は最後まで「ママンが死んだのはきょう」と勘違いしてしまうのだ。そして、ママンが死んでからわずか一日の間に、ムルソーは恋人と海水浴に行き、映画を見て、アラブ人を殺し、10ヶ月間拘留され、死刑判決を受けるのだと誤解し、混乱する。最早、この物語の登場人物すべてが共犯関係と言って良い。

評価・影響[編集]

マルティン・ハイデガーは、「この一文は著しく読者を混乱させ、この小説の世界観の時空を歪める。この誤謬をふんだんに含んだ一文を訂正しなかっただけで、ムルソーは処刑されるに値する、アラブ人殺害などどうでもいい」と指摘している。また社民党福島瑞穂は「母親が死んだだけの人が、なぜその日の内に死刑宣告されなければならないのですか、やはり死刑賛成論者は野蛮人の集いですね」と言及した。しかし架空の世界での裁判に関して現実の死刑存否問題を持ち込まれても困ると言わざるを得ない。

この一文の影響力は凄まじく、今日、多くの人が「異邦人」に言及する際に、必ず引用するのがこの「きょう、ママンが死んだ」という一文である。このことから、ムルソーの母親は毎日のように死に続けていることが判明する。誰かが一回この台詞を引用する度に、その日、ムルソーの母親は死ぬのである。既に死んでいても、「きょう死ぬために」生き返ってきてまた死ぬ。ゾンビか何かなのであろうか。いずれにせよ人間を逸脱した存在であることは明白である。一説によれば、とあるマフィアのボスと同様にゴールド・エクスペリエンス・レクイエムに巻き込まれたとされ、永遠に死に続ける運命にあるらしい。

結論[編集]

結局、ママンが死んだのは今日なのか昨日なのか、それは永遠の謎である。真実を知っているのは養老院だけである。